8

 サーバルの息が彼の首筋に迫り、足元の横から石が転げ落ちる音が、背中を冷たく撫でた。


 タケシも叫びながらいそぎ反転し、なぜかにひどくバランスをとられて両手も使い、全力でイワエド方面へと走るが、サーバルも、彼のその背中めがけ、後肢の爪で道を削り、伸びるように大きく全身で跳躍する。


 そして、着地する先でタケシの背中に、爪をかけるが、間一髪。後ろ髪を少し削りとられながら彼は、


「イリア!」


 必死の形相で、彼女に声をかけた。


「なに!」


「さっきのあれ、なんで、つかわないのさ!」


「さっきのって、どっち!」


 どうしてだか片足の重たい彼は、ギャロップで走りながら、頂上をなくした彼方にみえる山を、指先で何度もつつきながら言う。


「やま、ぶっとばしたほうのやつーーーー!」


 まっすぐ前をみて歯を食いしばり、駆けるイリアは、一瞬、右に目をやり、


「だよね! でもごめん! あれ、いまはムリなのーーー!」


 とタケシに叫んだ。


「なんでだイリア! MPの問題か!? えむぴーがゼロなのか!?」


「えむぴー!? なにそれ! とにかく距離がちかすぎてイマあれ無理なんだ! ……でも大丈夫。あいつ足そんなにはやくないから! このままはしって! 峠をこえて下り坂になれば、もうコッチのもんだから!」







 実際、剣歯虎獣サーバルタイガーの前傾したバランス配分は、待ちぶせ型の狩りに特化した骨格構造をしている。


 タケシは、ふりかえり、


「はっ! さすが、ホモサピエンス、人間の脚つええええええーーーー!」


 勝ち誇るように、走力で大きく引きはなしてサーバルを煽った。


 剣歯虎獣サーバルタイガーの後脚は、かつての地上の食物連鎖の頂点にたった大型獣脚類ティラノサウルスレックスに匹敵する瞬発力を持っている。だが上顎から突出している巨大な左右の剣歯を支えるため、また、大型動物の頚部を切り裂きあるいは刺し抜いたまま絞め落として仕留める強力な咬合力を備えるため、彼らは頭骨をいびつに発達させすぎた。それにより身体の重心は前面に大きくかたよることとなり、長距離走を得意としない構造をしている。


 ゆえに、彼らは超短距離走者、あるいはむしろ助走なしの幅跳びのエリートであると言えて、人類ヒトのような持久走者に競りがちすることは不可能である。


 この峠をこえて下りの坂道にかかれば、サーバルタイガーのこの前傾した身体バランスには、さらに不利となろう。



 タケシは走りながら、余裕がでてきたのか、横をはしるイリアに尋ねた。


「ね、イリア! イワエドの村までは、あと何キロくらいなの!」


「十キロ!」


「結構あるな! ……え? なんでキロメートル知ってんの!」





 小高い築山のような巨大サーバルも、ガケぞいの街道に爪を立てて、それなりにおおきな歩幅ストライドを活かしてタケシとイリアを追っては来るものの、やはり、言うほど脚は速くない。


 あるいは、手負いなのか、それとも病気で息切れがするのか、数十メートルを走っては、休憩でもはさむかのように足をとめ、休み、また思いだしたかのように追ってくる。



「ははは! よゆーー! 異世界、ちょれーー!」



 だが、順調に思われ、余裕すらうまれたその逃走においても、またイワエドの村までの道中における峠でもある、そのカーブを目前にしてイリアは叫んだ。



「ま、待ってーー!」


 しかも彼女は、急ブレーキをかけるため自分とタケシの脚にをかけた。全力疾走中である。当然ふたりは仲良く両足の質量増加にもつれた脚をもんどりうたせて盛大に街道へところげて、土ぼこりをあげたが、


「──いいってえええ!」


 重力呪で、肉体の組成が鉄のように硬く変化するわけではない。イリアもひどく手腕をすりむいた。さらには予告なしで顔から地面へと派手に突っこんだタケシのほうは、「なにすんだよ!」怒鳴っているが、「見て、あそこ!」と、彼女の指さす先には、突きだした岩の根もとに、動物園のトラほどの大きさの何かが、身をひそめうずくまっているような、不穏な影が並んでいる。


「……な、なんだか、怪しいのがいるな」



 タケシは先に立ちあがり、つま先をたてて背伸びをするが、岩陰に潜むそれは身じろぎもせず、また姿も見せないでいる。


 重力呪を解除し、めくれた外套マントのすそをなおしながらイリアは、奥歯を噛みしめ、悔しい顔で立ちあがり、拳を握りしめた。


「……ごめんタケシ! わたしたち、はめられたみたい!」


「はめられた?」


 引き離したはずの大サーバルが、じりじりとせまり来る様子を見てから、また峠のカーブの岩かげを見比べると、うすうすと、それが何であるかはタケシにも予想がつく。


 



 イリアのまるい額に汗がにじむ。


犬歯虎サーバルはね、ときに親子で狩りをするの」


 はたして前方の岩かげから子サーバルが、待ちきれない遊戯がそうさせるように喉をグルグルと、鳴らしながら、二頭、連れ立つように姿をあらわした。


 子サーバルが、行く手をはばみ、下手からは母サーバルが追いつめる。



「挟み討ちか……」


 タケシとイリアは、背中合わせに、たかいガケの壁面と谷底を見た。


「道理でのらりくらりと親が追ってきたわけね……」イリアは忌々しげに言いながら「どうする……」自問して爪を噛んだ。


 飛び降りて逃げるにも谷底は深すぎる。




 イリアは、はっと気がついたような顔をした。


「そうか。──分かったわ」


 タケシを見た。


「どうした? いいアイデアがでたか!」


「うん! 親サーバルが、アンタを生かしておいた理由よ!」


 剣歯虎サーバルタイガーの母は、子どもに半死半生の獲物を玩具として与え、殺しの練習をさせる。


「あの大サーバル、生かしたまま子どもに与えるつもりで、ユーを殺さなかったんだよ」


 タケシは肩を落とした。


「なんだよ。起死回生のアイデアじゃないのか……」


 だが、イリアは、彼を見て笑みをうかべた。


「そうでもないよ! つまりユーが残れば、わたしは助かる……!」


 



 崖の上を、カラスが飛んでいく。



 タケシは、胸に手をあて、呼吸をおちつけて言った。


「イリア」


「なに?」


「違う方法をかんがえよう」


「なんで! ほかにないじゃない!」


 そうだな…… と、タケシは彼方の頂上のハゲ山を見て言った。


「あの山をふっとばしたやつ」




 だがイリアはかぶりをふった。


「何度も言うけど、あれ今はつかえないの」


 彼女の最大重力呪グラビトンには、使い勝手のうえでも、その修行のカリキュラムにおいても、いくつもの欠陥がある。


 イリアが汗を拭いながら背中の彼に言う。


「重力レンズの集約点が、5リーグ先に固定されているの」


「じゃあここで撃っても……」


「そう。サーバルには何も起きない。ここから5リーグさきに大穴があくだけ……」




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