第一話 出会

1-1 転生者、魔獣の森で拾われる

 晴れた夏空の下、キビタキの鳴く声がしている。



 次の宿場イワエドの村までは、あと十リーグ(※一〇㎞)といったところだろうか。この街道でも、南に向かうここだけは、森の小径を行かねばならない。


 山道に左右からせりだした森は、傍目には穏やかだが、その少し奥では、木々が揺れ、警戒を告げる鳥の声で騒がしい。


 はたして踏み込んだ森の藪笹の間では、苔むして深緑色をした体毛の獣の巨大な口元が、樹木に迫る体躯を左右にゆすりながら、鉤爪の生えた四つ脚で踏ん張って、後ろ向きに何か少年の死骸のようなものを咥え、引きずっている。


 その魔獣の、三角を立てた耳が、何かを一瞬、聞き取ったように動き、金色の瞳が周囲を探る。


 魔獣は、咥えた獲物を、そこに隠すと、頭部をもたげ、一度街道の方を見やった。左右の牙の間から舌を出し、口元の血を舐め取る。


 

 そして、ゆっくりと、尻尾までが縦縞模様の巨体の向きを変えていく。


 そのまま、魔獣の背は、生い茂る森の木々を鼻先でかきわけて、さらなる奥へと消えて行った。










 その数分後のこと。


 ミハラに向かうこの街道を、三人の野伏のぶせりが南下していた。



 ふと、革の胴巻きに短弓を持つ赤鼻の男が、その鼻で、あたりの森にすえた匂いを嗅ぎ取り、頭目格の風体をした長剣を担ぐ男に言った。


「── アルセンの親方、の匂いがしやす。こりゃ……剣歯虎獣サーバルタイガーですぜ」


 その赤い鼻は、よく利くらしい。高くかかげて、いそがしく空気を出入りさせている。


 アルセンと呼ばれた荒くれは、周囲に目を走らせながら、肩の長剣を前面に回し、眉を動かした。


「近いのか、トズラン」


 三人は腰を落とし、木漏れ日の中、耳を澄ませている。


 風が抜けていく。枝葉同士が擦れ合う中に、魔獣の気配がないかと、息を潜めているのだ。


 アルセンの背中に、そっと貼りつくよう、戦斧を両手持ちにし、鎧櫃を背負った大男が寄り添う。そうやって死角をカバーしあうのだ。三人はよく出来た連携を見せた。




 だが、鼻利きのトズランは、短弓の弦を緩め、鼻先を腕で擦った。


「──どうも、つい今し方までここに居た、そんな感じですぜ」


 そう聞くと無精髭のアルセンも、周囲を見、あごをなぞって渋い顔をした。


「となると、ここは狩り場か……長居は無用ってコトだな」



 その時、戦斧の大男が、糸のように細い目をさらにほそめた。


 前方の道に、何かを引きずったような新しい跡が見え、大男は無言で、重ねた拳を手話のように二度叩き、前方の道に向けて示す様に、その太い指を差した。


 アルセンは、目を凝らす。


「──お?」


 そして急いで駆け寄った先の地面をなぞり、引きずった痕跡が、右手の森に消えている様子を見て取ると、宝物を見つけたような声を上げた。


「──はっは! でかしたなボヤンスキー! こいつはきっと靴の跡だぜ?」


 アルセンは長剣を背中に戻し、森のせり出した樹々の根元に目を走らせながら顔色を明るくした。


 子育て中の剣歯虎獣サーバルタイガーには、獲物を樹上や藪に隠し、子を連れて戻る習性があるからだ。


「よし! おまえら、死体を探せ! おおかた旅人が襲われたんだろう。肉はくれてやるが、金目のものはオレ達で頂きだ、急げ、ケモが戻る前に先回りするぞ」





 三人組は、森に躍り込んでヤブ笹や潅木の根本をかきわけ、屍体をさがす。


 そんな彼らのは、傭兵とも盗賊ともとれるちぐはぐな装備である。


 どこの戦場で拾いあげ、あるいは追い剥いだものか、頭目格のアルセンであっても籠手は左右で不揃いで、短弓の赤鼻トズランは革胴を素肌のまま巻いている。


 ボヤンスキーとよばれた大男だけは、立派な具足櫃ぐそくびつを背負っていたが、今はそれも道端に置いたまま、あけた両手で額の汗をふきながら藪をどけ、旅人の屍と、それがまだ身につけているであろう装備や金品をさがしている。


 蚊の羽音の中、彼らは必死だ。無理もない。ここのところのいくさ日照りである。国を持たず、戦場の天幕を渡り歩く彼らの家は旅の空。路銀が尽きた時の惨めさは骨身に染みものがある。




 アルセンの声が響く。


「どうだ、ボヤン! 何か見つけたか」


 大男のボヤンスキーは、口がきけないのか三度指を鳴らす。


 するとアルセンの声を張る。


「わかった、だがあまり離れるな、サーバルが待ち伏せているかもしれねえ!」




 千周期もの戦乱がつづくこの中有ちゅううの地バルディアでは、耕作や牧畜に適さない極地に生まれた男には、冒険者という名の傭兵か、傭兵という名の私奪者になるかの、その二つの道しかない。


 つまり、冒険者、賊、傭兵──彼らの境界は曖昧だ。彼らをどの名で呼んだかは、その背中に隠れたか、向かい合ったか、あるいは横に並んだかの違いでしかない。


 だが、ほかに糧得る術を知らぬ彼らである。

 仕事ぶりに関しては、いつもいたって真面目である。





 熊ほども背丈のあるボヤンスキーが、芋虫のようにちいさく身をこごめ、そうまで苦心した甲斐あって、ついに笹の根もとに小さな血痕を見つけた。


 藪笹を払いながら、仲間のふたりが駆けつける。


 そこには、山行きの民にも、あるいは旅人にも、そして冒険者にもみえない半袖の黒いTシャツに、部屋着のような膝丈のボトムスを身につけた黒髪の華奢な少年が、死んだように伏していた。



 赤鼻のトズランが、弓の弦輪の先で、腕に新しい傷のあるその少年の脇腹をつつくが、反応はない。


 そのまま彼は、耳を少年の口元によせる。が、すぐにアルセンを見上げた。


「こいつ、まだ息がありますぜ」


 そう聞くと面白くなってきたようにアルセンは、アゴに手を当てる。


「──間違いねえや。こいつは転生者だ。俺たちにもツキが回ってきたようだぜぇ」


 ぞろりと無精髭を撫でる。



 親方は「よこせ」とボヤンスキーから戦斧を受けとると、彼の広い背中にまだ息のある少年をかつがせて、


「おいトズラン、頭陀袋だ! 急いでずらかるぞ。親サーバルが戻らねえうちにな!」


 と、袋からありったけの干し肉を掴んでバラ撒いた。戻るサーバルの気を引くためである。撒き終えてからアルセンは、ヤブ笹を長鞘と肩で押しひらきながら街道にむけて先陣を切って足を急がせた。



 少年は気を失ったまま、ボヤンスキーの肩の上で手足を揺らしている。


 その異形のみなり ──上下黒いTシャツとズボン── からして、おそらくは転生者である。


 ときに人を狩り売りもする〝冒険者〟である彼らの目には、金貨数枚から数十枚に相当する、転生者の値打ちは明らかだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る