(3)
「今日は本当に」
海に来ることができなかった俺の声が、記憶と心を鮮やかに叩き出す。
「じゃなくて……」
まだ、君の笑顔も。
君の泣き顔も。
君との思い出も。
君の声も。
すべてが鮮明に響く。
こんなにも、すべてが彩り豊かに甦るのに。
「今まで」
今日で、お別れだって。
「本当にありがとうございましたっ!」
鼓膜を優しく撫でる、ありがとうの言葉。
そして、その言葉を最後に彼女の声が途絶えた。
「……っ」
君との思い出を飾ったカメラが、音も立てずに砂浜へと落下した。
「なんで……なんで……」
神様。
どうして彼女は、こんなにも早く世界から消えることになってしまったんですか。
「なんで……どうして……………」
零れ落ちる言葉も、激しい波音と一緒に拐われてくれて構わないのに。
都合よく俺の声だけは、攫ってもらえない。
俺だけが、置いていかれる。
「どうして…………」
君は、ここにいないの?
君は……。
吐き出したい言葉がある。
吐き出したい想いがある。
けれど、うまく吐き出せないから気持ちが悪い。
「…………」
病を患った彼女と、どうして一緒に生きることが許されないのか。
最後の最後まで、彼女は運命と向き合った。
運命と懸命に闘った結果、彼女に与えられたものは別れという名の解放だった。
「ねえ」
君は今、幸せですか。
運命との闘いを終えた君は、幸せを感じていますか。
「俺は……幸せじゃないよ」
君は笑ってくれているのに、俺は今にも泣きそうな表情をしている。
きっと、正反対の表情を見て、君はまた柔らかく優しく笑ってくれているんだと思う。
「やっと病気と闘わなくて済むのに、俺、喜ぶことができなくて……」
辺りから、音が失われたことに気づく。
波は落ち着きを見せていて、あんなにも激しかった勢いある波はどこかへ行ってしまった。
「こんなにも静かだと、何も言えなくなる……」
海は、俺のことを追い返したがっている。
海が、俺のことを追い返したがっている。
「…………」
君との繋がりを、砂地から拾い上げる。
「……行けって、ことか」
データの中から、君との思い出を探す。
データを漁って、君の笑顔を見つける。
「冬の海で、ごめん」
写真の中に残された花が、青色の朝顔しか見つからない。
君には蒼が似合うと思って贈った花の花言葉が、まさか短い愛や儚い恋だったなんて誰も想像していなかった。はず。
「約束、守れなくて……」
ごめん。
謝罪の言葉を伝えるはずだったのに、凍てつくような風に言葉を奪われてしまった。
「謝らせてもらえない、か」
夏になったら、君を海に連れていくという叶わなかった約束。
約束が叶うことはなかったのに、君は自然の力を借りて俺の口を塞いでしまう。
「狡いって」
もうすぐ、君と俺の日常が終わりを迎える。
君との日常がなくなってしまった世界で、俺は新しい日常を見つけに行かなければいけない。
「俺は、生きているから……」
君は、声を発することができなくなった。
でも、自分だけは、自分ばかり、声を出すことができる。
だったら、最後に伝える言葉は決まっている。
「ありがとう」
君の名前。
君の笑顔が映し出された写真に向かって、声を出す。
震えないように、声を支える。
君との最後くらい、強くなったところを見てほしいから。
「ありがとう……ありがとう……本当にっ……」
俺を、幸せにしてくれてありがとう。
「泣いてない」
人差し指を動かして、削除という文字まで指を持っていく。
「泣いてないから」
削除を押せば、君の電話番号が消える。
記憶には残っているのに、君との思い出から君の連絡先は消えてしまう。
「約束したもんな」
今日を機に、連絡先を削除するって。
君が亡くなった瞬間、君と繋がることはできなくなったから。
いつかは消さなきゃ、いつかは消さなきゃを繰り返して、君の両親には散々迷惑をかけてしまった。
今日、君の誕生日を機に、君との日常を終わらせるって約束を果たしたい。
「…………」
どうして、終わらせないといけないのか。
どうして、君を消さないといけないのか。
どうして、春を思い出すことが許されないのか。
夏を描くことが許されないのか。
秋を振り返ることが許されないのか。
冬が存在することで、君と俺は日常を保つことができるのに。
「忘れられるかな」
生きる世界が変わっていく。
俺の日常に、変化が訪れる。
君の日常も、新しく生まれ変わる。
「忘れない……って言うと、約束破ったって言われるんだろうなー……」
ふと。
君の笑い声が聞こえてきた。
ふと。
君の笑顔が見えてきた。
そんな気がする。
「守るよ、守りますよ、ちゃんと」
なぜかって?
死んだ人間に会えるわけがないって?
「削除するから、ちゃんと見守ってくれよな」
だって、灰色で覆われていたはずの空から……。
「削除」
太陽の光が差し込んで来た。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、夏の太陽に会いたくなるような輝きを放ってくれた。
「行くよ」
これって、君からのメッセージなのかなって。
そう思った。
それが理由、です。
「ありがとう」
あ、また。
「大好きだーーー」
流れ落ちる涙の跡を撫でるかのような、爽やかで優しい風が通り抜けていった。
さっきまでの、今にも殺人事件を連想させそうなくらいの荒々しい波を起こしていた強風は一体どこへ行ってしまったのか。
「狡っ」
君と俺が築き上げた日常から、君と俺は今日。
卒業します。
『春が来ても、秋が来ても、冬が来ても、夏が来ても……』
きっと君は、美しく海に映える。
そんな確信と想像と妄想は、来年誰の手に渡るんだろう。
君の声が透明になった。 海坂依里 @erimisaka_re
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。