優秀な寒空

月這山中


パソコンに向かったまま一日が終わってしまった。


電熱ストーブに置かれたやかんからシュンシュンと湯気が立ち上って鳴っている。

上京したばかりの頃、大家さんから譲り受けたこいつを修理して早2年が経った。学校は夕方の授業しか取っていないが、それでも遅刻が多くて教授の視線が冷たい。元より人の輪に入ってなにかするのが苦手なのもあってか『倦怠期』とでもいう状態に陥っている。


レポートを書くためのワードファイルは、導入の見出しがあって、稚拙な文章が並び、あとには無限の白い空間が広がっている。


「子供の頃から、細かい機械を弄るのが好きでした」


高校での三者面談の日をよく夢に見る。あの時はなにも考えられなくて、ふと唯一の特技が出てきたから、そういう道に進みたいと答えただけだった。ぼんやりと考えていただけでその他の"本気の人たち"ほど明確な意思を自分は持っていなかった。朦朧としたまま二十年余りの人生を生きていて、その状態は今も続いている。


今は計算も設計図を描くのも全てコンピューターがやってくれるそうだ。

発想することと、他人を接待することだけが人間には残された仕事で、自分にはどれも向いていなかった。


自覚しただけで、改善の見通しは無い。


パソコンのチップ一つよりも、いや、目の前の旧式ストーブよりも無価値な存在になったと突きつけられ、それならばとバンドとか、ネットで活動とか、学校を辞めて打ち込めるほどの別の道があるわけでもない。

空を進む翼がなくなって、地面に叩きつけられたわけでもなく、天に登れるわけでもない。何もない空中に投げ出され、直立不動で止まってしまったようだ。


……昔、そんな絵をポスターで見たことがあったな。近くの美術館で企画展がされていたのだったか。気になってはいたが自分は芸術に疎いし、仕送りで生活しながら行くのも悪い気がしていたので、結局観に行かなかった。青い空にもこもこした雲が浮かんでいて、そこに大きな石がただ静かに浮かんでいる絵だ。

ふと沸き起こった感覚は、妙におかしかった。


熱気が篭ってきたので、頭を冷却するために窓を開けた。

大家さんに言わせれば、この部屋は特等席らしい。下の店に客が入ると会話の内容と笑い声が漏れ入ってくるのだが、確かに景色は良い。


「すごく良い大学じゃないかい、わしと違って優秀な子だ」


そう言ってとても良い条件でこの部屋を紹介してくれた。なんだか騙してしまったようで申し訳なくなる。

この部屋の下で小さな電化製品店を経営している大家さんは、あまり歳を感じさせないが祖父と同い年くらいだろう。あの店がやっていけているのかいつ見ても不思議なのだが、彼くらいの年齢層が毎日2、3人は来るので、まだ良い方なのか。


そういえば両親にもあまり電話をしていない。……あわせる顔がない。

大人たちの投資に見合うほど輝かしい将来などが、自分にあるとは思えないままだ。


優秀な青さを誇る寒空は、無限に広がっていて、空虚で、あのポスターの色とよく似ていた。

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