【27.スリヴォヴィツェ】 二〇一九年十二月中旬

第40話 コンパル

 スオウさんに呼び出された工作室で、私は丸椅子に坐り、うつむいている。ちらりと目を上げると、正面に坐ったスオウさんが、ぐずる幼児の前でかがみ、顔をのぞき込むパパの表情になっている。そのきらきらと輝く瞳に魅入られそうになり、あわててうつむく。

「みんなにスオウさんの恋人って紹介するんですか? 私の立場は?」

「ごめん。隠したり、嘘をつくのって辛いよな。ほんのちょっと我慢すればいい、そのほんのちょっとの繰り返しがどれだけ心を苛むか、俺も少しは知ってる」

 スオウさんの低い声がわずかに湿り気を帯びた。

「それを承知で敢えて言うよ。しばらく、我慢できない? 今の社会では、ポリアモリーは同性愛以上に反感が強い。正直に明かせば受け入れてもらえるというものじゃないんだ。公序良俗に反するという非難をわだかまりを残さずにかわす自信が俺にはまだない。加えて、きみとセイジの二十六歳という年の差も世間はとても気にする。もしかするとポリアモリーよりも根深い問題かもな。

 ヒワダ先生はどちらも意に介していらっしゃらなかったけど、あんな方、それこそ、ふつうじゃないから。研究室の皆に明かしたら、ヒワダ先生だってフォローしきれないかもしれない」

 理解も納得もできなかった。

「年齢、年齢って、そんなに重要なことなんですか? スオウさんはヤマシロさんとは九歳違い、私とは十七歳違いですけど、ヤマシロさんは同世代で、私は異世代だって感じているんですか? 私とは感性や常識を共有できないんですか?」

 スオウさんは立ち上がると、脇にある作業台の上に乱雑に放り出されていた工具をひとつひとつ台の下の引き出しにしまいはじめた。腰をかがめ、引き出しを開け、工具をしまいながら、ぽつり、ぽつりと言葉をもらす。

「知らないことってさ、怖くない? 小さい頃の俺は初めて見るもの、初めて体験することが怖くてたまらなかった」

 スオウさんは胡乱な目で見ている私に気づき、苦笑した。

「信じられないって顔してるな。でも本当。誰より小さなスオウくんは誰より怖がりで泣き虫だったんだ。だから八歳年上の姉にいつもくっついていた。小さな泣き虫の弟が、当時は可愛かったんだろうね。姉は俺を可愛がってくれて、わがままもすべて許してくれていた。

 でも、くっついてみて、これがびっくり。あの人、頭いいくせに不器用なの。何をするにもひととおりの失敗を繰り広げていた。いつも後ろではらはらしながら見ているうちに気づいたんだ。生きていくのに必要なのは、上手に隠れる技術じゃなくて、観察なんだなって。よく観察して適切に対処すれば、怖いものなんてないんだ。それに気づいたら、すうっと憑き物が落ちた。

 セイジはさ、ようやく姉の庇護から卒業した俺が、先達としてではなく、ともに歩んでいきたいと望んだ存在なんだ。それだけだよ」

「――ヤマシロさんは? ヤマシロさんも私のことをずっと年下の、理解不能な世代だって思ってるんですか?」

「人のことを憶測でしゃべりたくはないけれど――あいつはそういう感覚が薄いんじゃないかな。俺たち恋人のことは自分と世界を隔てる境界杭のように思ってるから」

「境界杭?」

「うん。あいつ、頑固で譲らないところがあるだろ? あんなに優しいのに、なんでだろって思わない? 自分があやふやだからなんだよね。自分をしっかりつかめれば、多少、主義主張を曲げたって自分の根幹は揺るがない。でも、セイジにはそれができない。

 自分と世界の境界が、あいつにはわからないのかもね。恋人をいわば姿見にして、そこに映る自分を見て、ようやく自分の輪郭を確認しているんだ」

 スオウさんは再び口をつぐみ、掃除機を持ってくると、作業台の上と周りの床のごみを吸い取った。そのあと、ぼろぼろのウエスで丁寧に拭き、ウエスを捨てて手を洗った。丸椅子に再び腰かける。

「もしもセイジを忘年会に連れてくるなら、俺がこれまで相棒がいると言い続けた手前、そう紹介するのが一番穏当だと思う。それとも、セイジを忘年会に呼ぶの、止める? 

 俺は、セイジときみと三人で生きていくのが、本当に心地よい。でも、俺たち三人がこの国で社会生活を営む限り、どの道を選んでも、誰かが傷つき我慢を強いられる状況が繰り返し訪れる。ゆっくり馴染んでいくしかないんだ。それには耐えられそうにない?」

 光る眼がこちらを見つめる。工作室の室温が急に下がったように感じた。向かい合って坐るスオウさんと私。スオウさんの平面と私の平面。ヤマシロさんは両方の平面を行ったり来たりする。私たちが三人で平穏に暮らしつづけるためには、ヤマシロさんに二つの平面が交わる直線を歩んでもらえばよいと思っていたけれど、問題はそんなところにはなかったようだ。思いもよらぬところから大きな問題がぽかりと浮かび上がり、私はうろたえた。

「年末にさ、ヒワダ先生と息子さんを招いて、五人で年越しをしようよ。おおっぴらに、きみとセイジ、俺とセイジは恋人です、って言おう。それじゃあ、だめ?」

 スオウさんの言葉には迷いがない。澄み切ったしずくのようだ。私の心のささくれに触れると、一瞬、ちくりとした痛みをもたらし、すぐにしみとおっていった。

「すみません。本当は最初からわかっていたことです。スオウさんが心配するほど、私は傷ついているわけではないんです。不安になっただけです。

 ヤマシロさんには、忘年会に参加してもらいたいです。スオウさんのパートナーとしてでもいい、ヤマシロさんに私たちの人生の公的な場へも自由に出入りしてもらいたいです」

 スオウさんが私の頭をくしゃくしゃと乱暴になでた。

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