【23.オムライス】 二〇一九年十一月

第34話 コンパル

 私もスオウさんもヤマシロさんの家にしばらく泊れることになったらしい。スオウさん、いったいいつの間に話をつけてくれたんだろう、ヤマシロさんは猛反対しなかったのだろうか。気になったけれど、聞き出す気力もタイミングもなかった。

 夜になると傷が激しくうずきはじめた。眠る前に化膿止めとともに痛み止めを最大量服用したけれど、それでも右手は重く痺れて熱を帯び、鋭く脈打つ痛みが残った。

 布団に入ると、感覚は否応なしに手の痛みに集中する。なかなか寝付けず、何度もうめき声をあげ、体をよじった。

「眠れなさそうですね」

 隣からささやき声が聞こえた。

「すみません、うるさくして。あの、やっぱりスオウさんと一緒に寝てもらったほうが……」

 ヤマシロさんがこちらに向き直る気配を感じた。頭にそっと手が載せられ、ぎこちない動きでなでられる。その動きを感じていると、過敏になった神経が少しずつ鎮まっていくようだった。ヤマシロさんの二の腕から、隣で眠っているときより少しだけ濃く、ヤマシロさんのにおいが伝わってくる。そのにおいを嗅いでいると、頭をなでられる感触よりも、はるかに安らげそうに思えた。

「ヤマシロさん」

「なんですか?」

「あの、もっと近くで、添い寝してもらえませんか?」

 頭をなでる手が止まった。戸惑いが伝わってきた。

「すみません、あの、でも、そう言う意味合いじゃなくて、ヤマシロさんのにおいが肌から立ち上るのを直接感じたいんです。そのにおいを嗅いでいると、痛みを忘れられそうなんです」

「なんだか、とても恥ずかしいんですけど……」

 ヤマシロさんはそうつぶやくと、そっと手を伸ばして私の掛け布団を持ち上げ、ぴたりとくっつけた敷布団の上をゆっくりと移動して、私のすぐそばにまで来た。とたんに、皮膚が発する熱とあの鳥の羽のようなにおいがより濃く押し寄せ、私を浸した。

「落ち着きます」

 私は頭を布団にもぐらせ、ヤマシロさんの胸におでこをくっつけた。ヤマシロさんが体をこわばらせたのがわかった。申し訳ないと思ったけれど、ヤマシロさんのにおいが私を眠りに誘う。そのまま、とろりとした眠りの淵に沈んでいった。


「おーい、コンパルちゃん、生きてるか? 起きられそう?」


 どこかから、スオウさんの声がする。なんで? ぼんやりとそう考え、そうだ、ここはヤマシロさんの家で、昨日はスオウさんも一緒に泊まったんだと思い出し、目を開けた。スオウさんがのぞきこんでいる。


「お、目、覚ましたか。もう七時半だけど、どう? 起きられそう? 調子が悪かったら、寝ていればいいけど、薬だけは飲んでね。持ってこようか?」

「いえ、起きます」

「おう。痛みは、どう?」

「昨晩よりは、落ち着いている気がします」

「おお、さすが。その治癒力は若さだねえ、うらやましいよ」

 ゆっくり布団の上に起き直り、立ち上がった。少しふらつくけれど、気分も昨日の夜よりははるかに良い。

「ほら、坐れ」

 スオウさんがダイニングテーブルの椅子を引いてくれた。

「ヤマシロさんはもうお店ですか?」

「うん、七時に出て行った。今日さ、ヒワダ先生が来るよ」

 驚いた。何か間違ったことを聞いたのではないかとスオウさんを見たが、スオウさんは落ち着きはらってこちらを見ている。

「あの、ここにですか? どういうことですか?」

「昨日報告したの、きみの怪我の件。県外にいらっしゃって、すぐに対応できないけれど、明日――つまり今日だね――戻ってきたら様子を見に来たいっておっしゃってた。今のところ、夕方になりそう」

「あの、私、家に帰ります」

「それはだめ」

 言下に否定され、焦る。

「だって、なんて言い訳するんですか? スオウさんの恋人の家に私が厄介になっているって? そんなの納得する人いますか?」

 スオウさんは柔らかに笑う。

「俺の相棒の家で、君の恋人の家ですって、言っちゃえばいいじゃん?」

「……」

「ヒワダ先生なら、大丈夫。わかってくれるでしょ。ただ、他の人には内緒にしておいてもらおう」

「スオウさんはそれでいいんですか? ヤマシロさんは? ヤマシロさんは嫌がっているんじゃないですか?」

「あんまりいい顔してはいなかったけどね。でもヒワダ先生のことは俺が以前から話をしていて、どんな方なのか興味を持っている。いい機会だと思うよ」


 病院で傷のふさがり具合を確認してもらってから、消毒して包帯を巻き直してもらった。消毒液は傷口に恐ろしくしみた。出血はさすがにほぼ止まっており、ほっとした。

 処置が終わると、スオウさんの家、そして私の家に行き、当面、必要そうなものを持ち出した。

「スオウさん、車を出してもらって、どうもありがとうございます。ひとりだったら、きっと何もできなかったです」

「おう、ありがたく思ってね」

 食材を買ってヤマシロ家に戻った。「腹減ってる?」「はい」「何でも良ければ適当に作るから、休んどけ」と言われ、ダイニングの椅子に坐っていると、すぐにいいにおいがしてきた。

「はい、どうぞ」

 スプーンと一緒に目の前に置かれた白い皿の上で黄色いオムライスが湯気を上げていた。

「スオウさん、料理できるんですね。しかも、こんなに手際よいなんて。驚きました」

 にっと笑う。

「オムライスは好きって言ったろ? 好きなものくらい、自分でも作るさ」

 スプーンなら左手でもほぼ不自由なく使える。スオウさんの気配りが嬉しい。

 赤いケチャップのかかった黄色い小山をスプーンでざくりと切ると、オレンジ色のご飯が現れる。刻んだソーセージ、ネギ、かまぼこ、それにミックスベジタブルが混ぜ込まれており、色鮮やかだ。ごま油とネギの香ばしいかおりが卵の柔らかなかおりと混じり、たまらなく食欲をそそる。口に入れると、優しい味が広がった。ありがたく、いただいた。

「ヒワダ先生、夕方の五時くらいになるらしい。まだ二時間はあるから、しばらく休んでいたら?」

「あの、休むより、シャワー浴びたいです」

「シャワー? 大丈夫か?」

「右手を濡らさないように袋で覆い、ゆっくり動けば、なんとかなるんじゃないかと。ただ、手伝ってもらうことになりますけど」

「服を脱ぐのだけなら、手伝ってあげます」

「それだけじゃないです。着るのもです」

「ああ、はいはい。キッチンにいるから、浴室のインターホンで呼びかけてくれたら、脱衣場に入るよ」

 シャワーを浴びはじめると、片手が使えない不自由さがよく分かった。左手だけでは洗えないところが結構ある。まずは左手だ。どう頑張っても洗えない。考えてみれば当然だけど、びっくりした。それに背中も難しい。柄付きブラシを使うのがいいのかな? でも、しばらくはそんな試行錯誤をする気力は湧きそうもない。さすがに気乗りしないけれど、明日はこれもスオウさんに手伝ってもらわないといけなさそうだ。

 体を洗うとなると、動かしていないつもりでも右手を動かしていたらしい。ずきりずきりと鋭い痛みに襲われはじめたので、早々に上がった。

 キッチンに戻ると、スオウさんが食器を片付けていた。

「スオウさん、何か手伝えることないですか?」

 こちらを向くと、首を傾げる。

「その右手じゃ、何もできないでしょ? まだ傷口が閉じたわけでもなし、大人しく休んでなさい」

「でも、何かしていないと気になって、ますます痛く感じるんです」

「横になっていられない? だめ? うーん、じゃあ、ゆっくり晩飯の準備をしようか? さっき豚肉を買ったから、生姜焼きにしよう。付け合わせはほうれん草の白和え。お椀は玉ねぎとワカメのかきたま汁。あと、ホイル焼きのキノコも付けるか。ふん、この程度でセイジには許してもらおう。ええと、レシピをネットでとってるからさ、それを読み上げてもらえる?」

「わかりました」

「じゃ、かきたま汁からいくか」

「はい。四人前のレシピです。まず鍋に水を七百ミリリットル入れます――」

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