第27話 ヨシアキ

 コンパルちゃんを諫めながら、心の中にゆらりと波紋が広がっていくのを感じていた。別れたのか。とうとうあいつと別れてしまったのか。六年間も続いていたのに。

 ポリアモリストを告白したあの日から、セイジは数人の男女と付き合ってきたが、交際期間はたいてい一年ほどだった。トキワのことをセイジはひときわ愛していたのだと思う。ともにチェコにゆかりがあり、かつ音楽に対する深い愛も共通していた。

 まれにセイジの口からトキワの名が出ると、他のメタモアの名とは異なり、俺の心を奇妙にひっかいた。トキワのほうもそうだったのかもしれない。


 一度だけ、トキワが俺に会いに来たことがある。トキワがセイジと付き合い始めて一年経ったころだろう。夕方、大学から帰宅しようと裏門を出たところで、後ろから呼び止められた。「ヨシアキ――さん?」振り向くと、見覚えのない小柄で暗い目をしたやつがこちらをにらんでいた。「そうだけど、どなたでしたっけ?」「トキワです、ヤマシロさんと付き合っている――」「ああ……」「少しお時間もらえませんか?」

 人目を気にするトキワを促しふたりで喫茶店に入ると、開口一番、セイジと別れてくれときた。「僕は本気で彼を愛しているんです。彼だって僕を心から愛してくれていると感じています。でも、それは水曜日だけ。それじゃあ足りない。自分の音楽を追求しつづけるために、僕は水曜日だけでなく、全曜日の彼が欲しい。あなたが邪魔なんです。別れてもらえませんか」もちろん即座に断った。「あなたにはセイジが本当に必要なの? 金曜日のセイジだけで本気で満足しているんなら、実はいなくたって大丈夫でしょ? 僕に譲ってください」「譲るって、ものじゃないんだから……」「複数の恋人と同時に付き合ってるなんて、変でしょ? あなたと付き合いながら僕に声をかけたということは、彼の心は今やあなたより僕にあるはずだ。こんな異常な状態になっているのはあなたが身を引かないせいなんだ。セイジを苦しめるのは止めてもらえませんか」

 俺はため息をついた。

「あのさ、友人って自分のどこか一部分と共鳴する人だろ? 異なる部分と共鳴する、別の友人が何人もいたりするよね? 恋人だって、それでいいじゃない。ポリアモリーってそういうものだろ? セイジときみは音楽やチェコの文化を共有し、セイジと俺はもっと卑近な趣味を共有する、そんなかたちで共存すれば――」「そんなの詭弁だ。そんなみだらな関係、人前で明かせるの?」「――」

 俺が答えられずにいると、トキワは勝ち誇った顔でこちらを見て、身を引けと繰り返した。そのしつこさに鼻白んでいたものの、敵意むき出しの一途なまなざしに、どこか憎みきれないものを感じ、思わず口元をほころばせた。それに気づいて焦り、急いでコーヒーを飲み干すと、まだ何か言っているトキワを置いて、出て行った。

 それ以降、トキワが俺の前に現れることはなかった。その後もセイジからはまれにトキワの名前がこぼれ、そのたびに、ああまだうまくいっているんだなと少しだけほっとして、あいつの幸せを祈るような気持ちになっていた。

 トキワは自分で自分を制御するすべを見つけ出したのだろうか。自分の感情を自分の手のひらの上で自由に遊ばせるすべを身につけたのだろうか。あいつが自分から音楽を分離できるとは思えなかった。生きる限り背負い続ける音楽、それは呪われた夢に思えた。


「スオウさん?」

 ふと我に返ると、コンパルちゃんが心配そうな顔でこちらを見ている。

「もしかして、気分が悪いんじゃないですか? あの、二日酔いですか? すごくお酒のにおいがします」

「ごめんねえ、くさいよね。二日酔いではないけれど、今朝一時まで飲んでいましたからねえ」

「あ、そうだったんですか。すみません。じゃあ、お昼を食べるよりは寝ていたかったのでは?」

「いや、さすがに腹は減った。飯食いに行こう。そこの大通りまで出たら、店がいくつかある」

 外に出たとたん、皮膚を焼く日差しの強さと肉のとろけそうな空気の熱さに辟易し、一番近くのカレー屋にそそくさと入って昼食を食べた。コンパルちゃんは結局もうセイジの話はせず、四年生の進学の話、ガラス細工の話、白岩の婚約についてしゃべり、チェコについてあれこれ質問すると、そのまま帰っていった。

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