【7.温かなウーロン茶】 一九九七年六月
第10話 ヨシアキ
「知り合ったばかりのころ、ヨシアキは無口な性格なんだと思っていました」
学校にも寮生活にも慣れた高校二年生の六月のことだった。いつものように外泊許可を取ってセイジの家におしかけ、セイジの作ってくれた山盛りのチャーハンと餃子と野菜スープの晩飯を食っていると、突然そんなことを言われたので、驚き、その拍子にむせた。軽く咳き込み、あわてて温かいウーロン茶に手を伸ばす。セイジが入れてくれるウーロン茶は苦味のなかに柔らかな甘味があって、とてもおいしい。お茶で口の中のチャーハンを飲み下すと、息を整えた。
「無口? 俺、無口なんて言われたこと、一度もないけど?」
セイジはおっとりと笑う。
「ええ、すぐに、屈託のない明るい性格だとわかりました。ぼくなんかより、ずっとね」
「たぶん、あれだ、中学二年生のころは、声変わり途中の自分の声が不快でたまらなくて、仲のいいやつとしかしゃべらなかったからだ。知り合った当初は警戒していたんだよ。それに、セイジの声がさ、すごく美しかったから、よけい気が引けてた」
その言葉にセイジがこちらをまじまじと見た。スープを飲む。
「ヨシアキの周りは、いつも、朝の光の清冽さに満ちていて、ぼくも照らされているかのように明るい気持ちにさせてもらっています。ゲームをしていても、テレビを見ていても、ご飯を食べていても、いつも自然と笑い声が聞こえてくるなんて、これまでぼくの人生にはなかったことですから」
どうしたんだろう? ちょっと怖くなった。そう感じながらも、頭の奥を痺れさせるあの深い声で、セイジが俺について語ってくれるのをもっと聞いていたかった。
「セイジ? 何かあったの?」
「何もないですよ? ただ、ヨシアキがぐんぐん成長しているのに気づいて、胸がいっぱいになったんです。きみ、一昨年からずいぶん身長が伸びたでしょ? もう同級生よりずっと小さいってことは、ないですよね?」
「言われてみれば、そうだね」
そんな話をするのに、どうして寂しそうな顔をしなければならないのか、俺にはわからない。チャーハンをすくっていたスプーンを置いて、まじまじとセイジを見た。セイジもこちらを見つめた。
「実は、ヨシアキが中学三年生のころ、陸上の練習を見かけることがありました」
「え?」
「きみは中距離の選手でしたね? 部活動の時間に、よく、他の部員たちと河川敷にやって来ては走っていたでしょう?」
「うん。え、なに、見てたの? それなら、声、かけてくれれば良かったのに」
「驚いたんです。黙々と走るヨシアキに笑顔の気配はなく、思惟する哲学者のような表情を浮かべてひたすら自分を追い込んでいました。ぼくは見てはいけないものをこっそりとのぞいているような気分になって、後ろめたさとともに、きみが走るのを見つめていました。
しばらく走り込んだあと、きみの周りにひとり、ふたりの仲間がやって来ました。彼らと会話を始めると、途端にヨシアキから孤独の殻が融け落ちて、いつもの明るいヨシアキが現れたんです。ぼくは何とも言えない気分になって、そっとその場を立ち去りました」
セイジは口を閉じるとこっちを見つめている。その柔らかそうなくちびるに、その視線に、いきなり胸がどきどきしはじめる。でも、あのときは、たぶん「腹減ったあ」とか「かったりい」とか「早く帰ってゲームやりてえ」とか、中学生らしいどうしようもないことを取りとめもなく考えていただけだろう。哲学者? そんなたいそうなもんじゃあない。中学三年のとき? ああ、それなら、セイジとキスしたいとか、セックスしたいとか、そんなことだって考えていたかもしれない。
「ヨシアキとふたりでいるとき、ときどき探すんです。あの孤独なヨシアキは普段どこに隠れているんだろう、あのヨシアキが今のヨシアキを押しつぶして乗っ取ってしまうことはないのだろうかって」
「そんなことないよ、俺は今ここにいる俺がすべてだよ」
なんだか腹立たしいような怖いような寂しいような気持ちになって、俺は立ち上がると、セイジに強引にキスをした。
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