第5話 ヨシアキ

 春休みに入ったある日、セイジがうちに来た。リビングで姉とセイジと一緒にセイジが持ってきたケーキを食べた。嬉しくって、たぶん、はしゃいでいた。姉がときおり怪訝な顔で俺を見た。

 このあとセイジは姉と大学に行くことになっていたらしい。姉が支度をしに自分の部屋に行った。今しかない。俺はセイジが抱いていたまれを抱き取り、ゆっくりと左手でなでながらセイジの目をみた。「好きです」そう告白すると、セイジが面食らった顔になった。そりゃあそうだろう、セイジには彼女がいるし、俺は中学生で、しかも男だ。

 でも、一蹴されることはない、内心そう確信していた。まれをなでたり、カードを配ったり、コップを持ったりする俺の手を見つめるセイジに、一種異様な熱を感じていたんだ。それに気づいてセイジを見つめると、いつも照れたように笑って目をそらした。色白の顔が隠しきれないほど赤くなっていた。セイジは、俺に、少なくとも何かの関心を持っている。

 自分が心惹かれる人が自分に特別な関心を示してくれる、それは初めての経験だった。この先も、それはとても難しいだろうとわかっていた。だから思い切って告げた。「付き合ってください」。

 思い返すと顔から火が出そうだ。中学生ならではの、恐れ知らずな厚かましさ。たとえセイジが俺に何かしらの好意を持っていたのだとしても、それなりにうまくいっている恋人がいたというのに。今なら、できない。

 でも、その一途さの裏で感じ取っていたものは間違っていなかった。セイジは戸惑った顔で俺を見てから目を伏せてしばらく考え込んだ。そのあと目を上げ、俺の顔を見つめた。「せめて、高校生になるまで、あと一年、よく考えてごらん。高校生になって、それでもぼくのことを好きだったら、そのとき、付き合いましょう」

 一年? 一年、待つの? それって、俺、振られたの? それとも、一年待ったら付き合えるってこと? 一年って、どのくらい? いや、一年は一年、三百六十五日だ。それは、明日でも、明後日でも、十日後でもない。喜べばいいのか悲しめばいいのか、わからなかった。苦しそうにほほえむセイジを、まれをなでながら見ていた。


 俺が入学したのは数年前から進学に力を入れ始めた私立高校で、特別進学コースに入れれば入学料も授業料も免除だった。遠方から通う俺は寮に入ることになったけど、週末の外泊は可能で、入学式を終えた三日後の土曜日、外泊許可を取って家に帰った。姉経由でセイジに伝えてもらうと、彼はすぐにうちに来てくれた。

 セイジも俺も四月生まれだが、早生まれの俺は、セイジとは学年で八つ、年齢でほぼ九歳違う。セイジは姉と同じく一年留学していたので、この三月に一年遅れで大学を卒業し、東欧の雑貨や紅茶、酒を取り扱う会社を起こす準備をしていた。姉は大学院に進学しており、セイジとはまだ付き合っているのと尋ねると、じろりと横目でこちらを見て、無言でうなずいた。

 セイジは取り扱う予定だというリンゴとローズヒップのフルーツティーとウエハースそっくりな菓子を手土産に持ってきてくれた。キッチンでセイジと姉がお茶を入れると、すぐに甘酸っぱい香りが部屋中に広がり、腕の中のまれが不思議そうな顔をした。リビングでしばらく歓談した。セイジの事業の準備状況、姉の大学院の雰囲気、俺の寮生活。まれがすっかり俺よりもセイジになついているのが、俺がいない間のセイジと姉の親密さを表しているようで、胸が苦しくなった。「セイジ、ちょっと来て」セイジを俺の部屋に呼んだ。後ろで姉が「ちょっと、あんた、セイジって呼ぶの失礼でしょ。ヨシアキって呼ばせるのも、止めなさいよ」とぶつぶつ言っているのが聞こえた。「俺、高校生になりました。付き合ってもらえますか?」セイジは小首をかしげた。俺にはそれが「はい」なのか「いいえ」なのかわからなかった。セイジ、ともう一度口を開こうとする俺をセイジが左手を上げて制した。「ヨシアキ、きみはぼくにふたつのことを意識させてくれました。ひとつは自分がバイセクシュアルであるということ。きみに出会って初めてその気持ちに気づきました。もうひとつは、ポリアモラスであるということ。ぼくにはパートナーが一対一である必然性が分かりません。それが今の社会通念や倫理に反することはわかっています。でも、本当にそうなんでしょうか。一対一の、依存しがちで逃げ場のない関係が、ぼくは恐ろしいです」セイジはそう言うと、目を伏せた。「ぼくはきみのお姉さんが好きです。彼女は、臆病なぼくには知ることのできなかったいろんな世界を見せてくれました。彼女とともにいるのは良くも悪くも刺激に満ちています。同時に、ヨシアキ、きみのことが好きです。きみの美しい手に魅了され、きみの穏やかさにいつも安らぎを感じています。アカネさんを選ぶか、ヨシアキを選ぶか、この一年考えてきました。でも、好きになった複数の人たちを好きでいてはだめですか?」震えるように息を吐いた。「人生を百パーセント差し出し合うパートナー関係はぼくには築けません。ぼくは自分を受け入れてくれる人たちと緩やかにつながって生きていきたいです。ヨシアキ、もしきみがポリアモリーという生き方を許容できるのなら、ぼくと付き合ってください。アカネさんにはまだ告げていません。でも、すみやかに告げねばならないとわかっています」そう話すセイジの顔はきっぱりとした口調とは裏腹に苦しそうに見えた。

 姉には告げるまでもなかった。セイジを抱きしめ、キスしていたところを見られたのだ。セイジも俺も、まだ若かった。姉の右手が手加減なしにセイジの左頬を叩いた。セイジはただうなだれて受け入れた。顔を歪めた姉はかたわらで立ち尽くしていた俺を一顧だにしなかった。うつむいて部屋を出て行きながら、ただ一言、つぶやいた。「あんたはいつだって、私のものを奪っていく」


 俺はその日以来、週末ごとにセイジの家に泊まるようになった。家にはもう帰らなかった。土曜日の昼過ぎに寮を出て、夜をセイジと過ごし、日曜日の午後に寮に戻る。俺たちの関係は、そのとき以来、細くて強靭な糸となって続いている。俺が高校、大学を卒業し、就職してからは、金曜日の夕方に会って、土曜日の朝別れる。それ以外の時間、何をしているのか、お互い知らない。

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