8月31日

 その日も沢田はいつもと同じように起床した。今日は休日、そして米の日。普段と同じく昼に炊きあがるように炊飯器のタイマーをセットしようとして気が付いた。


「昼と夜の食事、できないかもしれないよね」


 沢田は米を炊くのをやめた。今日の朝食が最後の晩餐になるかもしれない。なら晩餐らしく豪勢にしよう。いつもは1枚の食パンを2枚にして納豆を挟んだ。たっぷりの牛乳とコーヒとカルビスをジョッキに注いだ。梅干しとらっきょうを小鉢に入れて副菜にした。全部食べたら満腹になった。


「なんだか静かだなあ」


 昨晩は自治体の防災無線が公民館や学校へ避難するようにずっと呼びかけていた。台風じゃあるまいし公民館や学校が爆裂魔法を防いでくれるわけがないのだが、ほとんどの住民は避難したようだ。きっと大勢いる場所に身を置いた方が安心できるのだろう。沢田はひとりの方が安心できるので行く気はない。


「あれから何か進展したかな」


 沢田はネットの情報を見ようとした。が、やめた。それを知ったところでどうなるものでもない。今は何もかも忘れてのんびりしたかった。

 そう言えば今日の日記をまだ書いていない。23日間毎日更新すれば500リワードが付与されるヨムカクのキャンペーン。今日はその最終日。これまで毎日更新してきたので今日更新すればめでたく500リワード獲得だ。さっそくいつものように駄文を入力する沢田。


「しっかしつくづくバカだよな。ボクやヨムカクが生き残れる確率なんてゼロに等しいのに」


 昨晩の状態のままなら2カ国の首脳から出されていた要請の期限が午前9時に切れる。そうなれば爆裂魔法の詠唱が始まるだろう。改良された新型爆裂魔法は1発でヤーパン帝国の半分を壊滅状態に追い込めるらしい。2カ国が1発ずつ詠唱すればそれだけでヤーパン帝国は滅亡する。


「まあいいや。何が起きるかわからないのがこの世の中ってもんだしね。さあ書けたぞ。これで500リワードゲットだぜ」


 とにかく目標を達成できて満足した沢田は引き出しからチケットを取り出した。今夏の「玄冬81のびのびキップ」だ。少しは涼しくなるであろう9月に行こうと思って、最後の5回目はまだ使っていないのだ。今日でヤーパン帝国が終了するのなら2度と使う機会はやってこないだろう。


「ムダになっちゃったなあ」


 23日間の日記も81キップ5回目も、ただ時間と金を浪費しただけで終わってしまった。しかしそれを言うなら沢田の人生そのものがムダだ。何もせず、何者にも成れず、ただ毎日を怠惰に生きてきただけなのだから。

 沢田は台所の電子レンジを見た。壊れたまま放置してある。慌てて買い替えなくてよかった。もし買っていたらムダになっていたことだろう。その選択だけは間違っていなかった。


 ――ウウウウー!


 突然Yアラートの警報音が鳴り響いた。


 ――爆裂魔法詠唱情報。爆裂魔法詠唱情報。当地域で爆裂魔法の詠唱が開始されました。広範囲に被害が及ぶ可能性があります。直ちに屋内へ避難してください。


 沢田は時計を見た。すでに午前9時を過ぎている。警告通り2カ国の首脳は爆裂魔法の詠唱を開始したようだ。どこで詠唱しようと空間転移術を使えば任意の場所で魔法を発動させることができる。魔法術も日々進歩しているのだ。


 ――爆裂魔法発動までの推定時間は10分です。


 発動させる場所が遠方になればなるほど、爆裂魔法の威力が大きくなればなるほど詠唱の時間は長くなる。今回は10分ほどかかるようだ。


「つまりあと10分の命ってわけか。別にやりたいこともないし、寝るか」

「こらこら、最期の時くらい有意義に使ったらどうなんだい」

「ば、ばあちゃん!」


 いきなりの登場に面食らう沢田。数日前にお盆帰りで会ったばかりの亡き祖母が目の前に立っている。


「どうしてこの世にいるの。お盆はとっくに終わったのに」

「この世だけでなく死者の国も存亡の危機に瀕しているんだよ。だから特別に死者の国の全門戸が開放されたのさ。この世に戻って最期の時を心残りなく過ごせるようにね。あたしだけじゃなく全世界の死者がこの世に戻って来ているはずだよ」

「でもヤバくなっているのはボクらの国だけなんでしょ」

「いいや。午前9時のヤーパン帝国に向けた詠唱開始と同時に、全ての爆裂魔法保有国が一斉に報復の詠唱を始めたんだ。間もなくこの世界は滅ぶよ」


 死者に対して親密な思い出を持つ者がこの世からいなくなればその死者は消滅する。この世が滅べば死者の国もまた滅ぶのだ。ならば最後は親密な者と一緒に過ごせというわけか。死者の国の管理者もなかなか粋な計らいをするもんだ。


「だったらボクじゃなく他の親類の所へ行きなよ。ボクはひとりでも平気だから」

「そんな強がりを言うもんじゃないよ。それにあたしの孫で結婚していないのはおまえだけ。みんな家族を持っている。そんな所へ行ってもお邪魔なだけだろ」

「じいちゃんはどうしたの」

「おまえの実家へ行ったよ。あんたにはおじいさんが見えないからね。今頃囲碁でも打っているだろうさ」


 いつもと変わらぬ祖母の声、祖母の顔。それだけで沢田の心に明るさが戻ってきた。やはり誰かと一緒にいた方が安心できる。たとえそれが死者であっても。


「さあ、もう残された時間は少ないよ。やり残したことはないのかい」

「うーん、そうだなあ」


 沢田は少し考えた後でエアコンのスイッチを入れた。この時間帯にエアコンを稼働させるのは初めてだ。涼しい。今日も猛暑日になるのだろうか。


「最後に聴くのはやっぱりモツアルトだよな」


 ここ数年使っていなかったCDラジカセを押し入れから引っ張り出した。モツアルトのCDをセットする。流れ出した曲はレクイエム。物悲しい前奏に続いて入祭唱が始まる――主よ、彼らに永遠の安息を与え給え。絶えざる光で彼らを照らし給え――


「おや、あそこに野良がいるよ」


 祖母は窓の外を指差している。見れば野良キャットのブチだ。レクイエムの曲を聴いてやって来たのだろうか。


「ああ、いつもこの辺を徘徊しているからね。別に珍しくもないよ」

「だけどずっとこっちを見ているじゃないか。きっと寂しいんだよ。入れておあげ」

「うーん、でもなあ」


 ――爆裂魔法発動まで残り5分です。速やかに屋内へ避難してください。


 防災無線の声が響く。ブチも屋内に避難したいのだろうか。柄にもなく憐憫の情を覚えた沢田は玄関の扉を開けてブチを部屋の中に入れた。


「ほら、お飲み」


 牛乳を皿に入れて差し出すとペロペロと舐め始めた。野良キャットたちに意地悪しすぎたな。もう少し優しくしてあげればよかったかもしれない、そんな思いが込み上げてきた。


「ボクも飲もうっと」


 沢田は残しておいた最後のヤルクト1000を飲み干した。何も混ぜずにそのまま飲むのは久しぶりだ。これはこれでうまい。


「おまえ、ずっとひとりだったこと、後悔しているんじゃないのかい」


 祖母の言葉は今の沢田には重く響いた。後悔していないと言えばウソになるかもしれない。現に今、ひとりでは得られなかったであろう安らぎを感じているのだから。だが、それでも強がりを言わずにはいられなかった。


「ううん。やっぱりひとりが一番だよ。きっとボクの性に合っているんだろうな」

「なら、もう一度人生をやり直せるとしても、またひとりの人生を選ぶのかい」


 沢田は少し考えた。そして力強く答えた。


「うん。次の人生でもひとりで生きていくと思う」

「そうかい。そう言いきれるんならこれまでのおまえの人生もそれほど悪いものじゃなかったんだろうね」


 ――爆裂魔法発動まで残り1分です。命を守る行動をしてください。


 沢田はブチを抱き上げた。温もりが伝わってくる。そのまま横になった。妙に眠い。女神ヤルクト様の御加護だろうか。腹の底から全身に平穏が広がっていく。


「ばあちゃん、ちょっとだけ眠ってもいいかな」

「ああ、おやすみ。ずっとここで見ていてあげるよ」


 沢田は目を閉じた。社会の底辺を這い回りながら生きてきたが沢田にとっては幸福な人生だった。もう何の悔いもない。レクイエムの合唱が部屋に響く。――主よ、憐れみ給え。キリストよ、憐れみ給え――ああ、本当にいい人生だった。


 ――詠唱終了しました。間もなく爆裂魔法が発動します。


 その防災無線の言葉が終わらないうちに周囲は閃光に包まれた。しかしその時にはもう沢田は深い眠りに落ちていたので、何も見えず何も聞こえなかった。











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