甑と柄杓

 こしきが姿を消しても、安産の祈りが無くなるわけではない。

 現在も安産の祈りは様々な形で伝えられ、継承されている。


 例えば江戸時代には、一度に子をたくさん産む犬にあやかり、犬が安産の祈りの対象となった。安産祈願を行う神社仏閣では犬張子が土産物の郷土玩具として持て囃された。


 民間信仰では子安観音こやすかんのん子安地蔵こやすじぞうを信仰する女性が子安講こやすこうという集まりをしていた。地域の観音や地蔵を祀り、犬が死ぬと犬卒都婆いぬそとばを立てて葬ることで自らの安産を願った。


 この子安講は女性のみが参加を許される集まりで、月に一度程度、集落のお堂に集まり徹夜で一夜を過ごした。そこで行われたのは宗教儀式だけではない。普段、家の中では口に出せない不満や愚痴を同じ立場の女性と分かち合い、また悩み事を話し合う場でもあったという。年老いた女性は講から外れるので、姑の悪口も解禁である。


 酒や食べ物を持ち寄り芸を披露する者もいるなど、農村の女性にとっては楽しいイベントだったようだ。明治になって民間信仰が禁じられた時に講も解散させられたが、その後地域社会の中で復活し今も続いているところがあるという。


 だが一方で甑のまじないは中世までに消えたと思われる。中世以降、子安信仰が盛んになる江戸時代まで、安産の信仰にはどのようなものがあったのだろうか。


 実は姿を消した甑に代わりに安産の祈りの対象となった日常の道具がある。

 それが柄杓ひしゃくである。


 最古の柄杓は平城京跡から発掘されている。発掘された柄杓は薄い木の板を曲げて造るものの技法でつくられており、水を汲むために用いられていたと考えられている。水以外の液体は瓢箪ひょうたんを加工した柄杓様のものを使っていた形跡があり、木製の柄杓には水を汲むという限定された役割があったようだ。


 清水を汲むという柄杓の性質は、今も神社の手水に添えられた柄杓に見ることができる。


 柄杓はそのままの形で祈りの道具になったわけではない。柄杓の底を取り去った底抜けの柄杓が安産祈願の対象となった。


 底を取り去るという意味は、底に穴の開いた甑が持っていたまじないの力を受け継ぐものだろう。甑のまじないと入れ替わるように、底抜け柄杓のまじないが全国各地に広まっていったと思われる。


 現在も、妊娠した女性が安産を祈って神社仏閣に底抜け柄杓を奉納することは各地で行われている。


 縄文時代の遺跡に残る埋甕うめがめの形跡をその初めとし、人々は絶えず出産にまつわる祈りを続けてきた。その祈りは人々の生活と共に在ったため、生活の変化はまじないの形に変化を引き起こしていったのである。


 甑は全国各地の博物館や地域の資料館で展示されている機会が多い。

 思いがけずに甑の姿を目にしたとき、米の渡来、信仰の変化、技術の変遷そして出産に寄せた人々の祈りの姿がその向こうに見えて来る。


 歴史というのはこの甑のように多層の性質を持って現代に繋がっていると私は考える。 

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甑のまじない 葛西 秋 @gonnozui0123

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