「話にはそんな幽霊達なんか出てこない」と、何度かエクスキューズのように言われる台詞が、最後まで読むと反転したように感じられました。
私という読者の勝手な読みの中では、「話には」出てこない。幽霊がいないとか、この世に出てこないとか、自分の話を語らないとは、言っていない。そう読める気がしたのでした。
蝋燭同士が会話していて、生きた人間がいない風景にも読める気がして、終わりでぐっと盛り上がったように感じます。
作者からの返信
怪談がフィクションなら、「現実には出てこない」。でも伝承では百の物語を終えると幽霊や化け物が「出てくる」。まるでその時を待っているような……
想像力の広がる豊かな感じ方だと思います。人がおらず、蝋燭だけが揺らめいて、一つ、一つと消えていく光景も、なかなかにそそるものがあります。
読んでいただきありがとうございました。
語られて消される炎が供養になるならば。
あってはならないと何度も語った末に消された炎で供養された愚かな男は、いったい誰のことだったのでしょうか。
『百物語のひとつめ』として何度も語り語られる。それでも浮かばれぬ後悔を、静かな男の語り口に見るような。
そんな風に思えました。
作者からの返信
釘を刺した感じです。
怪談も物語なので物悲しく(同情できる形で)終わるか、あるいは身勝手な人間が酷い目に遭って終わる、という形になる事が多い筈。
勿論、リアルに考えるなら、身勝手な人間が得をして終わるだけの出来事もあってもおかしくはない。でもきっとそういうものは「物語」にはならない、あったとしても残らないと思うのです。
「あってはならない」は、私のそんな願いも込めています。
死者の無念や化け物の悲哀を語る以上、怪談には敬意を払って欲しいので……