ポケットの中の快感

鷹槻れん

お気に入りのハンカチ

 小学六年生の冬。


 学校への通学路、私はスカートのポケットに有名な垂れ耳わんこキャラが描かれた、お気に入りのハンカチを忍ばせて学校への道のりを急いでいた。


 もうじき二学期も終わると言う冬の朝。


 かじかむ手をポケットに入れて暖を取りながら、朝の冴えわたった冷たい空気の中、歩き慣れた道を学校へと急ぐ。


 ポケットの中。

 手に触れたハンカチをギュッと握ったら、ガーゼ生地の中でパリッと何かが砕けた。


(わ、何だろ。気持ちいい)


 指に力を込める度、布越しにパリパリと言う小気味よい感触が伝わってくる。


 私は夢中になって〝それ〟をパリパリパリパリ粉々に砕いていった。


 そう。

 これは緩衝材などに使われているプチプチをひとつずつ丁寧につぶしていく心地よさに似た中毒性があるかも知れない。


 そんなことを思いながら学校への道すがら、歩きながらずっと――。


 私はハンカチの中の〝何か〟を小さく小さく丁寧に粉にしていった。



***



 学校には最近ペーパータオルが用意されていて、トイレに行ってもハンカチを使う機会がなくて。


 私はその日一日ポケットの中にハンカチが入れてあることをすっかり忘れて友人との時間を楽しんだ。



「ただいまぁー」


 学校が終わって、友達と話しながら賑やかに下校して……家に帰り着いた私は、(そういえば朝、ハンカチの中で何をつぶしていたんだろう?)とふと気になって。


 そろそろとお気に入りのハンカチをポケットから取り出してみた。


 パリパリとした、小気味よい指先の快感だけを頼りに押しつぶしまくったけれど、考えてみたらハンカチの中に何がくるまれていたのか確認したわけじゃない。


 ちょっぴり怖くなって、恐る恐るハンカチを広げてみた私は、声にならない悲鳴を上げてハンカチを玄関の土間に投げ付けていた。


 無造作に投げ捨てられたハンカチからは、粉々になった〝カメムシの死体〟がバラバラになって舞い散って。


 あれだけ懸命に砕いたのに、足や触覚や腹の一部が壊れきれずに残されていたから。

 それがやけにリアルで、ゾワリと私の背筋を冷たく凍りつかせた。


 きっと、死んでカリカリに乾燥していたんだろう。


 カメムシ特有のくさいニオイなんてしなかったし、変な体液もにじみ出てはいなかった。


 けれど――。


 私はお気に入りだったそのハンカチを、何の躊躇ためらいもなくゴミ箱に捨てた。



***



 何十年も経った今でも鮮明に覚えている、小気味よいパリパリとした感触。


 大好きだった垂れ耳わんこキャラを見る度にその時の記憶がよみがえって来て……私はそのキャラと、つぶれた虫がトラウマになった。


 ポケットの中は、目に見えない最も身近な死角。


 ひっくり返してみるまで何が入っているか分からないから……。


 私はあれ以来、ポケットの中をひっくり返して何も入っていないことを確認してからでないと、安心して手を突っ込めなくなってしまった――。



  END

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ポケットの中の快感 鷹槻れん @randeed

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