第38話 えいゆうのものがたり
『かのじょ』は、きがついたときには ひとりでした。
おやも きょうだいもいません。あれはてた ろじうらが、『かのじょ』のふるさとです。
はじめは、いきることに ひっしでした。
そのひ たべるものにさえ くろうしました。
ごみをあさり、こぼれおちたパンのひとかけらを ふろうしゃたちと うばいあい、あまみずをすすることで いきのびつづけました。
『かのじょ』は おさなくも うつくしかったので、こどもがすきな へんたいにおそわれたことも いちどや にどではありません。
……だから、きっとそのときに きづくべきだったのです。
こどもが たったひとりで だれにもたよらずに ちあんのわるいまちをいきぬくことや、じぶんにおそいかかる おとなのおとこのひとを かえりうちにできることがどれほど『いじょう』であるかということに。
『かのじょ』は きがついたときには うつくしい しょうじょに そだっていました。
なんどか おかねもちの めしつかいとして やとわれましたが、そのたび にくたいかんけいをせまる ごしゅじんさまに ぼうりょくをふるったので『かのじょ』は うまれそだったまちを おいだされてしまいます。
なので『かのじょ』は あたらしいまちで あたらしいせいかつをはじめました。
だれも『かのじょ』のことを しらないまち、『かのじょ』は そこの ぼうけんしゃのギルドでざつようを させてもらいます。
ぼうけんしゃは あらくれものばかりでしたが、『かのじょ』にとっては とてもやさしいひとたちでした。
かれらは ギルドにおとずれるたびに『かのじょ』へ じまんのぼうけんたんをきかせます。
『かのじょ』は がさつで ぶえんりょな ぼうけんしゃたちに にがわらいしながらも、こころのそこから かれらのぼうけんのはなしを たのしんでききました。
そんなあるひ、『かのじょ』のじんせいが かわるきっかけがおとずれます。
ぼうけんしゃのひとりが たいじしそこねた まものが ぼうけんしゃギルドをおそってきたのです。
うでっぷしのつよい ぼうけんしゃたちは ではらっていて、そのばには ぼうけんしゃのしょしんしゃと うけつけのおねえさんたち、そして『かのじょ』しかいませんでした。
ほかのひとたちが ふるえてうごけないなか、『かのじょ』は いっぽまえにでます。
じぶんをうけいれてくれたこのばしょを まものなんかに こわされるのが ゆるせなかったのです。
てぢかな イスをぶきにして、『かのじょ』は まものにたちむかいます。
だけど まものは おとなのおとこのひととは くらべものにならないくらい つよかったのです。
イスはこわれ、『かのじょ』のうでからも たくさんの ちがながれます。だけど、『かのじょ』は いっぽも にげだそうとしませんでした。
『かのじょ』には まもりたいひとたちが いたからです。
きづいたときには、『かのじょ』は ちかくにいた ぼうけんしゃのつるぎを にぎって まものを うちたおしていました。
はじめて てにしたぶきで、はじめて まものとたたかい しょうりしたのです。
これが、『かのじょ』が ちいさな『えいゆう』と なったひのこと。
『かのじょ』にたすけられた だれもがきづきました。『かのじょ』には さいのうがあると。
『かのじょ』は しょしんしゃのぼうけんしゃたちに なかまとしてさそわれ、ぼうけんしゃとしての いっぽをふみだしていきます。
そこから『かのじょ』は みるみるうちに ぼうけんしゃとして せいちょうしていきました。
しょしんしゃむけの ちいさなおつかいからはじまり、たびをする しょうにんのごえい、はたけをあらす まものたいじなど すこしずつむずかしい いらいもこなしていきます。
ですが ベテランのぼうけんしゃたちは『かのじょ』のじつりょくを まだうたがっていました。
かれらにとって『かのじょ』は ふつうのおんなのこにしか みえなかったからです。
しかし、『かのじょ』が ぼうけんしゃになって しばらくしたあるひ、ちかくのまちで『きかいにんぎょう』が ぼうそうするじけんがおきます。
『きかいにんぎょう』をせいぞうする こうじょうで あくいをもっていたずらをした にんげんがいたのです。
『きかいにんぎょう』たちは むさべつに まちのひとたちをおそいはじめます。
たすけをもとめられた ぼうけんしゃギルドは、『かのじょ』をふくむ しょしんしゃのぼうけんしゃたちをのこして ベテランのぼうけんしゃたちだけで まちのきゅうしゅつにむかいます。
ですが、まぞくと たたかうことがもくてきの『きかいにんぎょう』には ベテランのぼうけんしゃたちでも かんたんにかてません。
そんななか、なかまたちが とめるのをふりきって『かのじょ』がやってきました。
『かのじょ』は あっとうてきなちからで『きかいにんぎょう』たちを せいあつして、まちにへいわが おとずれました。
それが『かのじょ』が 『えいゆう』とよばれるようになった ひのことです。
そのひから かのじょは だれにとっても とくべつなそんざいになりました。
まいにち、だれかしらから ぼうけんにさそわれるようになりました。
ベテランのぼうけんしゃたちも、あたまをさげて『かのじょ』に いっしょのぼうけんにでてくれるように たのみこみます。
まいにち、だれかをたすけるようになりました。
『かのじょ』は つよいのでピンチになりません。だからそのぶん、しぜんとだれかをたすけてしまうのです。
そのたびに『えいゆう』の めいせいは まわりにとどろいていきます。
『かのじょ』は うれしくてたまりません。
はじめは ひとりだったじぶんが、だれかにもとめられること、だれかのたすけになっていることが とてもうれしかったのです。
────────ただ、だれも『かのじょ』に じまんのぼうけんたんを はなしてくれなくなったことを さみしくおもいましたが。
そして、『かのじょ』にとって うんめいのひが おとずれます。
『かのじょ』を はじめにぼうけんへ さそった ひとりのせいねんが あるだいじけんのひきがねをひきます。
かれは『おろかもののとう』に のぼってしまったのです。
そこにあるとされる でんせつのけんを てにいれるためでした。
かれは、『えいゆう』とよばれる『かのじょ』と つりあうにんげんになりたかったのです。
ですが、『おろかもののとう』のちょうじょうに たどりついた せいねんは、そこにいた ドラゴンを ねむりからさまさせてしまいます。
めをさましたドラゴンは ちじょうにまいおりて いくつものむらや まちをほのおでやきました。
たくさんのひとが しにました。
ぼうけんしゃも みんなでドラゴンをたいじしようとしますが、とてもかないません。
くにのへいしたちも かけつけますが、けっかは いっしょです。
なので、だれもが『かのじょ』に きたいしました。
『かのじょ』なら もしかしたら。
『かのじょ』なら きっと、と。
そのとき、『かのじょ』はじぶんが なにをせおっているのかに きづきました。
はるかむかしの しんわにでてくるようなドラゴン、それを『かのじょ』なら どうにかできるなんて『みんな』に おもわれているのです。
おとなのおとこのひとをあいてにするのとは わけがちがいます。
そのへんの まものをあいてにするのとは わけがちがいます。
どうかんがえても かてません。
どうかんがえても しにます。
それでも『かのじょ』には にげることができません。
せなかに のしかかった『みんな』のきたいが、にげることをゆるしては くれません。
『かのじょ』は たたかいました。
ぜんしんぜんれい、そのばによういされた すべてのぶき、すべてのかのうせいを つかいつくして ドラゴンとたたかいます。
なのに、ドラゴンには きずひとつ おわせることができません。
はんたいに『かのじょ』は きずだらけです。
なんでいきているのかが ふしぎなほどに。
『かのじょ』が なしえたことがあるとすれば、このたたかいのあいだは だれも しぬひとがでなかったことでしょうか。
ですが それも『かのじょ』がドラゴンにころされれば おなじことです。
だから、もうすこしで しんでしまいそうな からだでも、『かのじょ』は にげるわけにはいきません。
すべてのぶきを うしなった『かのじょ』はドラゴンのくびに しがみつきました。
さいごのわるあがきで、どうにかドラゴンのくびをしめられないかとおもったのです。
ドラゴンは くびにしがみつく『かのじょ』をいやがり、ふりおとそうと そらへ まいあがります。
『かのじょ』は しんでも はなさないつもりだったので、けっきょくドラゴンは『おろかもののとう』まで まいもどってしまいます。
そこには まだ、ひとりのせいねんが のこっていました。
せいねんは ひっしに いっぽんのつるぎをぬこうとしています。
『かのじょ』はドラゴンからとびおりて、どうしてまだこんなところにいるのかと せいねんをといつめます。
せいねんは なみだながらに こたえました。
このでんせつのけんを きみにとどけないと。これさえあれば、きっときみなら まけないとおもって。
せいねんのこえは ふるえ、そのりょうては はだがやぶれて ちがながれています。
それでも、せいねんは つるぎをひきぬこうとする ちからをゆるめたりしません。
『かのじょ』は ひっしなひょうじょうの せいねんをみて、またひとつ おもい『きたい』をせおうことになるな、と かくごしました。
『かのじょ』は せいねんのかたに てをおいて、つるぎをひきぬくやくめをかわります。
でんせつのけん、『ほしつるぎ』をてにしたとき まるで『かのじょ』をまっていたかのように あっさりとつるぎは ひきぬかれます。
……あとのことは かたるまでもないでしょう。
そのひ、『かのじょ』は そらをとぶドラゴンをちじょうにおとして うちはたしました。
ドラゴンごろし。まさに、しんわの『えいゆう』です。
『かのじょ』がギルドにかえったとき、まわりひとたちのじぶんをみるめが いつもとちがうことにきづきます。
『あこがれ』、『せんぼう』、『きょうふ』
『そんけい』、『すうはい』、『きたい』
いろんなかんじょうの こもったしせんが『かのじょ』にむけられますが、すくなくともそれは『にんげん』にむけられているとは とてもおもえないものでした。
『かのじょ』をたたえるために あつまった『みんな』のなかのひとりが むせきにんにいいます。
“こんどは あの『まおう』だって たおせるかもしれないね”
『かのじょ』の にがわらいがひきつります。
また、じぶんになにかおもいものを せおわせるきなのかと、『かのじょ』はうまれてはじめて はきけをおぼえました。
『みんな』のことが こわくて、おぞましくなって、『かのじょ』は つぎのひ『みんな』のまえからすがたをけしたのです。
だれにも みつからないように にげだしたさきの そうげんで、『かのじょ』は ひとしずくのなみだをこぼします。
『かのじょ』は きづいたときには ひとりになっていたのです。
そこへ、あるけんじゃが あらわれて『かのじょ』に こえをかけます。
おやおや、ぼくとおなじタイプのにんげんがあらわれたと おもってきてみたけど、ずいぶんと さみしそうじゃないか。きみは ひとりがすきなのかい?
『かのじょ』は くびをよこにふります。
そうか、ひとりになってしまったのか。みんなのきたいが おもくなったのかな?
やわらかい えみをくずさず、けんじゃは『かのじょ』にききます。
『かのじょ』は くびをたてにふりました。
まあしかたない、つよすぎるちから まぶしすぎるさいのうは まわりのにんげんの あしをとめてしまう。きみは よわいものをみすてられないせいかくだから、ついかれらをせおってしまうんだね。
はくじょうな えみをくずさず、けんじゃは『かのじょ』にいいました。
あなたは、ちがうの? 『かのじょ』がききます。
ぼくはドライだからね。そういうものは ぜんぶ、とおいむかしに おいてきてしまったのさ。
けんじゃは わらってこたえました。
そう、なんだ。─────わたしも そうできたらいいな。
『かのじょ』は おもわずつぶやいていました。
だれもわるいひとは いなかったのに、『かのじょ』は『えいゆう』になって『みんな』の『きたい』をせおうことになりました。
だれもわるいひとは いなかったのに、だれも『かのじょ』に じまんのぼうけんたんをかたることは なくなりました。
ただ『かのじょ』が『かのじょ』らしくいるだけで、『かのじょ』がつよいにんげんだったというだけで おもいにもつが ふえていくのです。
いまの きみにふさわしいばしょなら しょうかいできるよ。────しりたいかい?
けんじゃは、しんけんなかおで『かのじょ』にききます。
『かのじょ』は すこしだけためらったあと、くびをたてにふりました。
けんじゃは、ちょっとだけざんねんそうに わらいました。
そうか、きみも あしをとめてしまうのか。『えいゆう』には なれても、『ゆうしゃ』には なれなかったんだね。
『かのじょ』は けんじゃのことばにカチンときましたが、なにもいいかえせません。
だって、これいじょう なにかをせおわされることが、もういちど『みんな』の めせんにさらされることが とてもこわかったからです。
こうして『かのじょ』は けんじゃのことばにしたがい、ながいあいだ『みんな』のまえに あらわれることはありませんでした。
これが『かのじょ』の ものがたり。
『えいゆう』である『かのじょ』が、『ゆうしゃ』である『かのじょ』と であうまえの じまんできないぼうけんたん。
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