耳の中に何かいる

もうパニックになりました

　私は医師なので、珍しい体験もします。

　とある患者さんの主訴は「耳の中の違和感」で、今朝から声が聞こえにくくなった、というものでした。

　大体このような主訴は気のせいであることがほとんどなのですが、一応耳鏡と言われる道具を用いて耳の中を覗いてみると、不思議なものが見えました。

「これは、腫瘍？」

　中耳炎とか、よくある症状であれば診断できるのですが、私が知る限りどれにも当てはまらない、何らかの黒いできもののようなものが見えたのです。

（もう耳の病変とか国家試験以来経験ないからな……）

　私は耳鼻咽喉科への紹介状を書いて、すぐ受診するよう勧めました。手遅れになってはいけませんからね。

　数日後、耳鼻咽喉科からの返書が届き、その内容に私は驚きました。

「病名：耳内異物　ご紹介ありがとうございました。ご紹介いただいた患者様は外耳道にゴ●ブリの一部が入っていたようです。無事取り出し、特に傷などはありませんでした。ご紹介いただきありがとうございました」

　たまにそういうことがあると、聞いたことはありましたが、実際に経験したのは初めてでした。見た感じはそのものではなくて、体の一部だったのでしょう、想像するだけで恐ろしい話です。

　しかし、他人事ではなかったのです。

　ある日、私はワイヤレスイヤホンをつけていつものようにランニングをしていました。山の中を走ることが多く、蚊含め虫はたくさんいます。

　私はランニングを終えて、イヤホンをもとのケースに戻しました。

　ふう、と一息ついて歩いていると、何か耳の違和感に気づきました。

　周りの音が右耳だけ聞こえにくい感じがしたのです。

（なんでだろう）

　私は考えるより前に、右耳を触っていました。そして反射的に声を出していました。

「ひゃああああ」

　触ったところ、どうやら私の右耳に何かがしっかりと蓋をしていたのです。あのときのゴ●ブリの一件を思い出した私は、必死になって右耳を何回もこすり、叫び声をあげていました。

　数回擦った後、その原因と思われるものがごろっと落ちて、地面に転がりました。そしてその落ちた物を拾い上げたのです。

　それはワイヤレスイヤホンのイヤーピースでした。

　イヤホンを外した時、イヤーピースだけが外れて耳に入ったままになっていたのです。何てことのない現象だったのですが、見えない場所にあったことと、以前の経験から、私は思わずパニックになってしまったのでした。

　今となっては、大のおじさんが叫び声をあげて、右耳を必死にこすっている姿を誰にも見られなかったことを祈るしかありません。