桜の木の下に埋まっていた死体

春雷

第1話

 桜の木の下には死体が埋まっている、と兄貴が言った。

 兄貴と僕の部屋は共同だ。僕は勉強机に向かって、宿題をやっていて、兄貴は床に寝転がって漫画を読んでいた。

「どうしたんだ兄貴、突然」僕は振り返らずに言った。

「今日、帰りに井上さんに会ってよ。教わったんだよ」

「梶井基次郎をか?」

「カジイ? 誰だそれ」

 僕はため息を吐いて、「井上さんって、あの怪しい井上さんだろ? あんまり関わらない方がいいんじゃないか?」

「井上さんは別に怪しくねえよ」

「怪しいよ」僕は反論する。「いつも誰かに追われてるじゃないか」

「逃走中に参加してるだけだよ」

「何年間参加してるんだよ。賞金がっぽりもらえるだろうな。でもたぶん、実際は金は貰えるんじゃなくて、払わないといけない側だろう?」

「あんまり井上さんを悪く言うな。大人にゃ色々あるんだよ」

「兄貴も僕と同じ高校生じゃないか。大人の何がわかるんだよ」

「少なくともお前よりはわかるよ、長く生きてるんだから」

「二歳差だよ、たかだか。てか兄貴、受験勉強はいいのかよ。夏が勝負なんじゃないの? 受験生は」

「うるせえ。ちゃんと母ちゃんに塾の夏期講習入れられたよ。明後日から勉強三昧だ、チキショウ」

 僕はそこで会話が終了したものだと思い、再び宿題に集中した。数学は苦手なので、より一層集中しなければならない。

「それでさ」と兄貴が声をかけてくる。

「おいおい兄貴、話は終わったんじゃないのかよ」

「まだ死体の話してないだろ」

「何でそんな死体に興味津々なの?」

「いや、井上さんがさ、見たんだってよ」

「何を?」

「桜の下から、死体が出てくるところ」

「え? それは、井上さんがラリってたんじゃないの?」

「違うよ。シラフで見たんだよ」

「ゾンビってこと?」

「ゾンビなのかな。まあ、とにかく死体が出て来て、歩いて行ったんだって」

「どこに?」

「お台場方面」

「ゾンビも逃走中参加するのかなあ。じゃないよ、兄貴。そんなの井上さんのホラ話じゃないか」

「ホラ話かどうかはわからないだろ? 一緒に確かめに行こうぜ」

「え?」

「死体を探しに行こう」


 僕は宿題があるから行きたくない、と何度も言った。兄貴のスタンドバイミー的な外出に付き合っている暇はない、と。しかし兄貴は頑として聞き入れない。ついに僕の方が折れ、二人で桜の下に埋まっている死体を探すことになった。

 今年の夏は特に暑い。風があれば多少涼しいかと思いきや、風すら暑い。外出とはすなわち拷問。そんな認識が芽生える。

 兄貴はと言うと、そんな暑さにへこたれることなく、いつもの快活さで、「さあ、行こう!」と言っている。今、確信した。兄貴は母に似ている。

 兄貴が走り始めた時には、何度もやめてくれと頼んだが、僕の頼みを兄貴が聞くわけがなく、僕は叫んでも体力を消費するだけだと早々に判断し(賢い)、ただ無心で兄貴の背中を追いかけた。

 暑すぎるせいか蝉も鳴いていない。遠くの空には入道雲。電線が雲を横切っている。

 ひたすら駆ける。アスファルトが溶けて、体が沈んでいくんじゃないかと思う。でもそんなことはあり得ない。

 息が切れ、汗が身体中から吹き出す。横っ腹が痛い。

 それにしても、と僕は思う。

 高校生が過ごす夏休みは、これが正解なんだろうか。

 考え始めると、暗澹たる気持ちになると早々に判断し(やはり賢い)、ジョジョのカーズばりに僕は考えるのをやめた。


 公園の桜の花はもちろん散っていて、普通の木にしか見えない。僕は花を綺麗だとはあまり思わないが、やはりどこか味気ないものだ。

 兄貴はしゃがんで、桜の木の根本にある土をスコップで掘っている。

「死体なんてないと思うよ」水筒に入れた麦茶を一口飲んで、言う。

「あると思うのがロマンだ」

「死体にロマンも何も・・・」

 しばらく兄貴は土を掘っていた。すると突然、「あー!」と叫んだ。

 その時、僕はブランコに乗っていた。すぐに降りて、兄貴に駆け寄る。

「どうしたんだ、兄貴」

 兄貴は掘り返した地面を指差す。

 それを見て僕は驚いた。

 井上さんの顔だ。間違いない。細すぎるフレームのメガネ。もじゃもじゃの縮れた髪、顔中を覆う髭。井上さんだ。桜の木の下には井上さんが埋まっていた。そして井上さんは、何故か手足を縛られていた。

「え、え?」僕は混乱してしまった。「何で?」

 突然、井上さんが目を開けて、むっくりと立ち上がった。

「うわあ!」と僕は驚いて叫んだ。「動いた!」

「井上さん・・・?」と兄貴が言った。

 すると井上さんは舌をぺろりと出して、「いやあ、借金で首が回らなくなってね、埋められちゃった⭐︎」

「いやそんなお茶目に言われても・・・」と言った後、僕は疑問を口にする。「井上さん、死んだってことですか?」

「社会的にはね」と井上さん。「でも僕ちゃん、肺活量がすごいからさ。土ん中でもしばらく生きてられるのよ。いやあ、思ったより早く来てくれて良かった。もっと長期戦になると思ってたからね」

「肺活量がすごいって・・・、モラウ=マッカーナーシじゃないんだから」

「あんまフルネームでいう奴いねえよ」と兄貴。「じゃあ、井上さん、俺に助け出してもらうために、桜の木の下に埋まっていた死体がお台場に向かった話をしたんですか?」

「モラウだけにね。そうだよ。普通に頼んだら、面倒くさがって来てくれないかと思ったからさ。良かっただろう? ロマンがあって」

 その言葉を聞いて、兄貴はカチンと来たらしい。スコップで井上さんに襲いかかった。井上さん向かって、スコップを振り下ろす。井上さんは、そんな兄貴の攻撃をひょいと避け、そのままお台場方面にぴょんぴょん逃げていった。手足を縛られているのに、思いの外素早い。兄貴はスコップ片手に、彼を追いかけていった。

 やれやれ、と僕は思った。いったいこれは何だ? こんなことに貴重な青春の1ページを費やすのか? こんなことなら彼女でも作っておくべきだったよ。まあそんな簡単に作れるはずもないけど。奥手だからさ。

 チキショウ。

 だんだん考えが暗い方に向かっている気がしたので、僕はブランコに乗った。しばらくブランコに揺られ、楽しいことだけ考えていようと思った。だけど上手くいかなかった。そして、自分こそが誰よりも阿呆なんじゃないかという気がして来た。

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桜の木の下に埋まっていた死体 春雷 @syunrai3333

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