熊本地震からの逃亡。(7)
あれから3年たった。中心地の活気は普段通りに戻り路面電車の通町筋電停(熊本の繁華街)からは順調に復旧工事の進む熊本城が見える。自分がよく写真を撮りにいく地区は地震直後は壊滅状態だったが今ではマンションが林立している。あの大きな揺れは本当にあったのか…そう、忘れかけている。それは良い事だと思う。少しでも前に進めたんだから。
けれども忘れてしまってはいけない、と思う自分もいる。その根拠はわからない。あの揺れで自分を含めた多くの人間の人生が変わってしまったのかもしれないのだ。亡くなった方、家を失った方、身体に、心に傷を負った方…。ひとりひとりの人生が変わったかもしれないという事実を忘れて良いはずがないとも思う。それが今回、この地震の記録を書く意味だと思う。
東京都町田市にある友人の家に厄介になる事になった。いつまでも居て構わない、と言ってくれたことが素直に嬉しかった。とりあえず自分は熊本で転職活動をしていたのでとりあえずの無職。友人は仕事で朝早く出て夜遅くに帰ってくる。熊本に帰る時が来たらまた職探しの日々だ。なにか長期のバカンスにでも来たかのような心境だった。しかしテレビを付けると故郷の惨状が映し出される。
実は羽田空港に着いた4月16日、まっすぐに町田には向かわなかった。友人は早く帰って待っている、と申し出てくれたがさすがに悪いので「行きたいところがある」と小さな嘘をついた。何処かで時間を潰さなきゃ、と思っていた。京急線に乗って都内に出て喫茶店で時間を潰すか…と思っていた。改札を通り地下ホームへ…その時に見た行先案内板に『浅草方面』と書かれてあった。その時だ。不意にある"猫"の顔が浮かんだ。普段から猫の写真を撮っている自分は一度その"猫"に会いに浅草まで出向いたことがあった。
すずのすけに会いたい。
そう思い立った。「すずのすけ」とは浅草にあるギャラリー・エフという土蔵を改造したギャラリー併設の喫茶店で、そこの看板猫だ。
なにかの運命だろうか、ちょうど浅草方面への列車が発車する。思わず飛び乗ってしまった。1時間後、浅草に着く。たしかA5出口のすぐ傍だ。思わず走り出していた。
ギャラリー・エフ。その扉の前に立つ。自分がたった何時間か前に地震で傷ついた熊本に居たのが不思議でならない。
店内に入ると…不思議な顔をされたIzumiさんが立っていた。
Izumiさんは『銀次親分物語』という本を出されている方で大の猫好きな女性で、東日本大震災で福島の帰還困難地区に取り残された動物たちを保護する活動も行っていらっしゃる、知る人ぞ知る方だ。
「幽霊じゃありませんよ」
こう言ったのを憶えている。その後、すばやく二階に居た"すずのすけ"を連れてきてくれた。以下、IzumiさんのTwitterを引用させていただく。
『未明の震度6強、震源地付近で被災され命からがら避難して来られた方がすずに会いに。その恐怖だけでなく、自分だけ逃げて…と複雑な想いを抱えておられたけれど、今は離れてでもまず身を守るしかできないと思う。少しでも癒しになればとモッフ献上。』
いろいろ話こんだ。
「自分たちだけ楽な方法をとりたくない」
この言葉が呪いのように付きまとっていた事。それを話すと、
『あなたが逃げた分、食料と避難場所、物資が誰かに渡される。リレーのバトンのように。命のバトンを渡したと思ってほしい』
と。この言葉をかけて頂いた時、思わず熱いものが込み上げてきた。
父に言う。3人が避難すれば3人分の救援物資が誰かに届く。3人分の水、食料、避難所のスペース。我々が楽をすれば誰か3人が少し楽になる。そう考えてみるのはどうだろうか、と。県外に避難するこは確かに「逃げた」ように見られるかもしれないが、それがどうしたというのか。
父親に言った言葉。けれど本当は自分が"楽"したいだけだったんだ。現実から目を背けたかった。誰かが助かるから避難したのではなく、自分が助かりたいから逃げてきた。まさに『熊本地震からの逃亡』だった。
けれど。それをほんの少しでも理解してくれる人がいた事。救われた、と感じた。
すずのすけの体温がとても暖かかった。その感触は今でもはっきり覚えている。
友人は少し早く帰ってきて出迎えてくれた。この日から1か月近く世話になる。何もしなくてもいい状態だったが、何かしていないと地震の事で苛まれそうだったので、この機会に東京中をめぐり猫の写真を撮りためておこう、と考えていた。後ろめたさは全く消えてはいないが。その気持ちが当時のツイートに残っている。以下に引用する。
ちょっと地震の話。本震のあった朝、私たち一家は親戚の所へ避難…逃げる為に車で市民病院の前を通過したんだけど、その時、すごいものを見た。救急車の大行列。入りきらない10台程のそれが車線をふさいでた。
私はカメラを持っていたので…それを撮ろうと思ったんだけど、なぜか撮れなかった。…告白するが天災が起こったら真っ先に町にでて悲惨なスクープを撮ってやろうと常に思ってた。それが目の前にあったのに…。
それはたやすい事だと思っていた。秋葉原の事件の時、みんな平然とカメラやスマホを悲惨な現場に向けて。テレビ局もそれをあおっているのは周知の事実だし。(読者提供の映像がやたらある。投稿場所を設置している)
だけど私には出来なかった。そこにある、あった命を想像してしまったからなのか、とにかく…なにかが私の心にブレーキをかけた。それは(私は)やっていいのか?という疑問と共に。
夢をみた。悲惨な災害の現場で私は死体やひしゃげた家屋を楽しみながら…楽しみながら興奮しながら、そして満たされながら撮っていた。 目が覚めると…とてつもない自己嫌悪、そして夢精をしていた。それも2日連続で。
私はおそらく小心でずるく、そして偽善者なのだろう。第一、私は安全な場所に逃げてきた。怖くはなかったけど「めんどくさい」と思っていた。だからそれは逃げ出すことと同義だ。逃げたんだ。
そして夢。…あんな見た後に自己嫌悪になって夢精して…そして楽しかった夢は今までなかった。
心が弱いし狡猾さに満ちている。そう切実に感じる。
人の道から外れている。そう感じながら別の被写体にカメラを向けている現在。きっと彼等は動物的な本能でそれをくみ取りレンズを見て問いかけている。 「お前は…お前は人と向き合えないから俺たちを含む他のものに縋ってるのだ」 きっとそれが真実だし真理だ。
彼らにレンズを向けてわかる。彼らの表情が冷たい。ここは被災地ではない。そして私は多分、遠く離れた場所にいる被災者ではない。ただの地震経験者だ。きっとそれらには大きな落差があり、越えられない、越えてはいけないものがある。私が地震を語れる訳はないのだ。
そして彼らのは告げる。 「お前は誰だ?」 と。
これは誰でもない誰かの繰り言。私は私を軽蔑しているし、この繰り言に意味を見出さない、出せない。ただの記録にすぎない。
そして何年か、いや、私は私の日常を奪い返したときにはこの地震は終わってしまうと確信する。 一体なにがしたかったのだろう、なにが言いたかったのだろう。 だけどひとつだけ変わったことがある。それを確認し告げて終わりたい。 「お前はいろんなものを壊してきた。壊れてしまった」
懺悔でもない懺悔。後悔でもない後悔。人ではない人。真実をうつすはずもない私のレンズ。私の写真は…これまでとは変わってしまうのだろう。これからでは濁った眼、心が確実に織り込まれている。この世で一番、汚い、ただの画像。写真であろうはずがない。
さようなら、もうこれ以上堕ちるはずもないと思って安心していたころの私。 こんにちは、底なし沼にはまって堕ちていく私。どこまで堕ちるのか想像もつかない。ここが底だなんて事はありえない。心は、自惚れは底なし沼だ。
ちょっとこの当時はまさに自意識過剰というか、気持ちがネガティブに傾いてるのがとってわかる。地震を体験して「傷ついた自分」に酔っているのが明らかに見て取れる。
そして何年か、いや、私は私の日常を奪い返したときにはこの地震は終わってしまうと確信する。
しかし今はこのツイート、考えを否定する事が出来るのだ。それはこの東京での1か月の滞在を通して人の優しさに沢山触れ、傷が癒されたからなのだ。自分の弱さに、受けた傷に逃げずに向き合うことができた。
ちょうど"すずのすけ"の体温があんなにも暖かかったように、出会う人々は皆、暖かく迎え入れてくれ勇気をくれた。
あの地震は終わってはいない。まだ苦しんでいる方がいらっしゃるのだから。仮設住宅での孤独死のニュースが流れるたびに自分の甘さを律しなければ、と猛省する。分断されてしまった地域の繋がりや、傷ついてしまった心、特に子供たちの心の傷は深刻だという調査も発表された。あの地震で傷ついたのは当然ながら自分だけじゃない。
あえてタイトルを『熊本地震からの逃亡。』にした意味はそこにある。
このツイートをした、逃げていた頃の自分に言いたい。甘えるな、と。だから決して終わらせてはいけないのだ。記録して、ちゃんと受け止めないと。
それが今回、これを書くきっかけとなった。
決して地震は終わってはいない。終わらせてはいけない。被災した全ての人に笑顔が戻るまでは。(了)
謝辞に変えて。Izumiさんのこと、いつまでも忘れません。ありがとう。
熊本地震からの逃亡。(1) 猫島警部 @kani1000biki
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