8/18「涸れ井戸の冒険譚」
「あの紅葉さん……?」
「知らない」
ぷいっ、と紅葉はそっぷ向いてしまう。
もみもみもみもみ。
本日は、紺野家の居間にて。
なぜか、
「……と言うか、宿題が終わって良かったじゃん」
「ボクはこつこつやる派なの」
「そう言いつつ、夏休みの最後に宿題をやっつけるの、やっぱり
「そういうトコは思い出さなくて良いから!」
ぶすっ、と
「自分呼び、元にもどしたんだ?」
何か、違和感を感じた理由の一つ。今の
虫網を持って、俺と同じ麦わら帽子を被ってこの集落を駆け回った
「その方がボクらしいでしょ? マサ君、ちゃんと思い出してくれたしね」
ニッと紅葉は笑う。
「でも、ちょっと、肩もみが雑じゃない?」
「あのなぁ……なんで、俺が
「ん? こんな可愛い子の、肩を揉めるなんて、役得じゃない?」
「自分で言う?」
「マサ君から見て、私は可愛くない?」
それ、聞く?
紅葉が前を向いているのが救いか。今なら、目を泳がせても咎める人はいない。しかし、助けてくれる人もいない。家族は、薄情にも俺を置いて外出してしまったのだ。
――後は、若い人に任せて。ホホホホホ。マサ、男として責任はしっかり取るんだよ?
母さんは、余計な一言を残して出て行ったのだった。
「マサ君? どうなの? 私、可愛くない?」
「……」
コクリと唾を飲み込む。まさか、こんな言葉を紅葉に囁く日が来るとは思わなかった……でも、覚悟を決める。
「か、可愛いよ。
「そう――」
すっと、肩を揉んでいた手を引かれる。
「え?」
「今、揉んでくれた所、
「良かった、それなら――」
すっと、紅葉が俺の手を引く。
ふよん。
なんだろう、経験したことのない感触が、指の腹に伝わる。
「あ、ちょっと下すぎた。ココ。鎖骨下側のから指、二本分くらいかな?
「そ、そ、そうなん?」
「宿題で疲れちゃったから。良いよね、マサ君?」
「マッサージするだけだなら――」
「ん……んっ」
なんで、そんな女の子みたいな吐息漏らすの?! あ……女の子だった。
「思いの他、こっているんだね。でも、不思議」
優しく、そっと触れる。一歩間違えればセクハラだと思うが、紅葉は警戒心がなさ過ぎる。
「鎖骨下と
「ぶほっ」
思わず、むせ込んだ。
「もうちょっと下もこっているから、そこも触って欲しいかな」
「な、な、な、何言って。そんなにこってないぞ? むしろ柔らか――」
「マサ君のえっち。どさくさに紛れて、胸を触るんだ?」
「ち、ちが……」
最早、冤罪。
「マサ君も男の子だね?」
ふふっと笑う。ダメだ、これ。完全に紅葉のペースに飲まれている。お墓で鬼ごっこした時も、完全に
(……あれ?)
じゃあ、あののっぺら坊って誰?
俺はぶるんぶるん、首を振る。冷静じゃない時に、思考を巡らしてもドツボに嵌まるだけな気がする。
「……青の手伝い、しなくて良いのかよ?」
これはナイス話題転換。この間に、体制を立て直すのだ。今日は、古井戸の確認をしようと、お寺に向かう予定。それなら、と青は「お弁当作るから」と張り切った。俺も手伝うよ、と一応は言うが、あっさり青に拒否される。
――ダメ。全部、私の手作りをまーちゃんに食べてもらうんだから。あ、お姉ちゃんのお手伝いも不要です。暗黒物質をまーちゃんに食べさせるわけにはいかないからね
酷い言われようだった。ただ紅葉から大きな反論はなく――その結果、今に至る。当の本人はお弁当作りの手伝いをすらつもりはさらさら無いらしい。
「だって……折角、マサ君と二人っきりなのに?」
確信犯? 本当に、紅葉は人を揶揄うことに一切の妥協をしない。本当に、そのクソガキっぷり、変わっていないって思う。
「あ――」
何かを思い出したかのように、紅葉が呟く。
「なんだよ?」
「ブラジャー、つけ忘れたかも」
そう言いながら俺の手を胸元へと、そろりそろりと導いていく。
「ちょ、ちょ――」
俺が必死の抵抗を試みようとした時だった。
ぽとん。
そんな音がした。
畳に、落ちたお弁当箱の包み。しっかり包まれているから、きっと中身は無事だと思う。
立ち竦んで――目を見開く、佐竹青葉。
どう見ても、紅葉の胸を揉んでいるように見えない紺野雅春、16歳。思春期まっただ中。
そして、痴漢の被害を受けたかのように、両手で胸を隠し、羞恥で頬を染める佐竹紅葉。実際は、イタズラが成功して大興奮の
「実際には、さらしを巻いているから胸の感触はほとんどないと思うけどね」
思春期男子の純情を返せ――じゃない。いや、感触……したけど?
言うまい。何も言うまい。言って碌なコトは何もない。
「あ、あの……青葉さん――」
それ以上の言い訳は無用だと、俺は悟った。この夏、俺は貴重な経験をしている。この平和な日本で、殺意に晒されることって、そうそうないと思うんだ。
「まーちゃんのバカぁぁぁぁぁあっっ!」
オノマトペで表現するのなら――バッチィィィィィン!
そんな強烈な音が俺の頬をうつ。
炎天下の夏、俺の頬に打ち込まれた、真っ赤なモミジ。
――秋の夕日に照る山もみじ♬
そんな、お馴染みの童謡が脳内で再生されて。
きゅーっと目を回した俺は、畳に倒れこんだのだった。
■■■
――真っ赤だな、真っ赤だな♪
■■■
「痛い……」
「私は謝らない。まーちゃんが、全面的に悪い」
「マサ君、悪気があったから。許してあげてね、青葉」
なぜ煽る、紅葉。いや、だって
「お姉ちゃんが一番、バカ」
ぶすーっと、青が頬を膨らませ、ご機嫌斜めだった。
時刻は、お昼を過ぎて、13時。まだ、ご飯にありつけない。いや、青のこのご機嫌だと、ご馳走してもらえるかも怪しい。青曰く、お寺がランチできるように、テラスを設けているらしい。何がなんでも、そこで食べると言って聞かない。
――お姉ちゃん、ジャマ。
うん、青葉の呟きは聞き流そう。さらに胃が痛い。
それにしても……この
胸が大きくて、肩こりするからマッサージなら。胸を大きくする為にマッサージをしろ、とか。
全幅の信頼を寄せていた親友に欲情するケダモノだとか。
まーちゃんに欲情されるのなら、拒まないとか。
子どもは三人は欲しいとか。
佐竹のおじさんに聞かれたら、きっと俺は屠殺場でブタちゃんと一緒にミンチに違いない。なお佐竹本家は養豚農家である。
「……それにしても、これ。青が作ったのか」
「それっぽいでしょ? まーちゃん、すぐ信じたし」
5年前、倉で見つけた古地図。当時は大興奮したが、今見ればそういう雰囲気の和紙に手作り感満載の地図。そもそも、文字が、明らかに
「地図は私が作って、字はお姉ちゃんにもお願いしたんだよ」
「どう江戸時代っぽいでしょ?」
「いや、ただ字が汚いだけかと――」
容赦なく紅葉が俺の頭を叩く。
朝のニュースの占い、不要な発言は控えるべし。ラッキーカラーは、青。特に花柄が良いとか言っていたが、今から戒めようと思う。今日は本当に碌なことがない。
「すっかり、青に乗せられていたんだな」
ちょっと拗ねてみせる。あの日――地図を見つけて、大興奮した記憶が蘇ったから。
「だって……」
口ごもる。
「……お姉ちゃん以上に、まーちゃんと探検したかったんだもん」
そう呟く。俺は、無意識のうちに青の髪へと手をのばした。それから、やけに頭をつきだしてアピールする姉の方にも。
そんな他愛ないやり取りを繰り返していたら、あっという間にお寺についてしまった。
――
どこにでもあるお寺、とはちょっと言えなかった。門を抜ければ、狛犬がいるのだ。普通は神社に鎮座するものだと聞く。その狛犬の横を通り過ぎた瞬間、パサッと何か音がした気がした。
(尻尾、そっちの向きだっけ?)
腹が減って集中力が欠けている俺は、あえて気にせず、視線を向ける。
講堂の端に、水が涸れた古井戸があった。
その反対側にはテラス。今頃は檀家さんも減っているため、寺カフェもあわせて経営しているという。妖怪が護る寺院として、知る人ぞ知る神霊スポットらしいが、どうみても閑古鳥が鳴き、黒字経営とは思えない。
「それにしても……懐かしいかも」
確かに記憶に残っている古井戸へ、俺は視線を向ける。
ここから、降りていったんだ。
最下部にポッカリ小さな穴が空いていて、鍾乳洞へ繋がるなんて、誰が思うだろうか。
梯子に足をかける。
ぎしっ、と軋んだ音がする。
「羨ましい……マサ君と青葉、こんなトコを冒険したんだね……私もしたかったなぁ」
「今から、するんだろ」
と梯子に足をかける度に、ぎしっ、ぎしっと軋む音がして――。
見上げる。
待ちきれない紅葉が、梯子にもう足をかけていた――のは良いとして。
今日の紅葉はシックなワンピースを着込んでいた。
ひらひら揺れるスカートから、青地で花柄のナニかが見える。。
「マサ君、見上げるのは流石にデリカシーなさすぎるよ!」
ゲシゲシ。紅葉の踵が俺の頭に降り注ぐ。
「そ、そんなこと言ったって……」
ギシギシ。梯子が軋む。でも、そういえばこの井戸って、あれ――?
「お弁当たべたら、お寺の裏側から行こう? 祠に行くのは、そっちの方が近いから……って、まーちゃん?! お姉ちゃん?!」
青の声が聞こえる。
そうだった。
このお寺は、密かに祀る、龍神の祠があるのだ。なんでも開祖が、迫害された妖を守ろうと、この地でお寺を開いたのが始まり。住み着いた妖の恩返し。土地は豊かになり、水は澄んだ。やがて開祖は龍となり、滝をのぼり、この地を護り続けたという。
そんなお伽噺が、今もこの集落には伝わっている。
誰かに良いコトしなさい。
そんな風に、集落の子ども達は言われて育つ。
「紅葉、いったん上にもどろ――」
「だから見上げないでって、言ってるでしょ! マサ君のえっちっ!」
そう再度、
パキッと、乾いた音がして。
(……え?)
イヤな予感がする。いや、むしろイヤな予感しかしない。
バキバキバキバキバキバキッ――。
耳をつんざく音が、井戸内に響いた。
「ま-ちゃん?! お姉ちゃん?!」
青の声すら遠い。
平衡感覚が狂う。
くるくる回転して、底へと落ちた衝撃よりも――その後、降ってきた紅葉の全体重に、目玉が飛び出そうになった。
底にたまった、腐葉土が舞って。かび臭さが増し――二人で咳き込む。
暗い。
真っ暗だ。
でも、少しずつ目がなれて――。
(青い?)
それから、花柄?
「やっ、マサ君……そ、そこ、ダメ。い、息ふきかけないで、んっ、だめ――だから――」
俺は目を閉じる。
落ち着け。
深呼吸する。
紅葉から、甘い吐息が漏れるが、惑わされちゃいけない。
マズイ。
コレは、非常にまずい。
ラッキーカラーは青。特に花柄が良い。そして、不要な発言は控えるように。ニュースの占いコーナーを思い返しながら、俺はゆっくりと体を動かし、スカートから頭を抜いた。
「青、お寺から梯子を借りてきてくれる?」
「うん! そこ広いから、絶対に動かないで!」
そう、あの時は散々、迷ったんだ。二人で半泣きになりながら、龍神の祠に出たことを今さら思い出す。彷徨って出られないことはないが、何も準備せず、暗闇のなかを歩くことほど、無謀なことはない。
5年たって――。
今なら、冷静に対処できる。
「青、頼んだ!」
「まかせてっ!」
井戸のなか、俺達の声が谺のように反響して――それから静寂が包み込む。
「
安心させようと、彼女を見れば。差し込む日差しで見やるには、心許ない光量で。それでも分かるくらいに、紅葉の顔は真っ赤だった。今もプルプルと、体を震わせている。
「あ、の……え、っと?」
探検しようというのに、ワンピースで来た紅葉にも非があると思うけど。でも、俺はあえて口を噤む。不要な発言は控えるように、占いのアドバイスは今となって、手遅れと気付く。
ラッキーカラーは青――?
アンラッキーカラーの間違いじゃないだろうか。
いや、言い訳はしない。
俺、さ。
歯、食いしばった方が良いよね?
「マサ君のバカっ!」
オノマトペで表現するのなら――バッチィィィィィン! と。
そんな音が、井戸の中を響き渡って。
■■■
8/18は「青地の花柄」と、心の中の夏休み日記を書き換えた俺だった。
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作者注
東京・高輪にある「
【参考サイト】
トラベルjp:妖怪が守る寺!?英一蝶に縁ある東京・高輪「承教寺」
https://www.travel.co.jp/guide/article/28580/
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