8/17「冒険に出たいが、残念ながら宿題がピンチだ。わっはっはっ」



 カリカリ。シャープペンシルをノートに走らせる音が時々、響く。

 そして、クーラーの駆動音。


 時折、むーっと唸る声。

 時々、嬉しそうに「ふふっ」と微笑む声が入り混じった。


 佐竹家の居間――座卓で俺と、青葉。そして紅葉が座る。佐竹のお姉様は、不満ですと言いた気に、頬を大きく膨らましていた。


「納得いかないんですけど」

「私は、満足」

「……俺は胃が痛い」


 優柔不断な俺が悪いとは、思う。長方形のがっしりとした樫の木の座卓。俺の隣にはあお。向かい側に紅葉もみ。青が俺の肩に触れるか触れないかぐらいに、距離を詰めてきて――その都度、紅葉もみから理不尽に攻めるような視線が、俺に注がれるのだ。


「まーちゃん、ここ教えて」


 と見せてきたのは、比例・反比例の問題だった。それ、この前、普通に解いていたよね?


「……その年で〝まーちゃん〟って。うまくマサ君って言えずに、このまま来るなんてね」


 イヤミいっぱいだが、ぷーと膨れたその表情は、頬いっぱいにご馳走をため込んだハムスターのようで、全然怖くない。


(そういえば……)


 記憶がどんどん溢れてくる。舌っ足らずの青は、どうしても上手く言えず呼び方が「雅君ましゃっく」になっていたのだ。そんな青が、うちの爺ちゃんと俺を呼ぼうとして――上手く言えず、口から漏れ出たの言葉は〝まーちゃん〟だった。


 すんなりと言えて。それ以降、青はずっと「あーちゃん」と連呼するのを、今でも憶えている。言葉の遅さを心配された彼女だったが、今や集落で一番の才女である。


「うん、まーちゃんがこのまま呼んで良いって言ったから」


 開き直った青は強かった。佐竹家の前でも。紺野家の前でも。そして親戚連中、すれ違った集落の連中にすら、遠慮をしないのだから。


 雅春と呼び捨てにされた方が良かったんじゃないかって思うくらいには、青の距離が近い。


「んー。やっぱり、ズル! ズルすぎる!」


 紅葉、お前は駄々っ子か。足をバタバタさせない。座卓越し、ゲシゲシ俺を蹴るな。お前ら、本当に姉妹だよ!


「だって、ちゃんと勝負したよね?」

「ぬぬぬ――」


 姉妹が言っているのは、第1回座席確保選手権「マサ君」「まーちゃん」の隣は、だぁれだ? 相性バッチシビンビン大会のことである。ちなみに、打ち合わせをしたかのように声をハモらせる姉妹。よくもまぁ、こんな恥ずかしいタイトルを考えついたモノだと、感心しきりである。


 ルールは簡単。

 好きだと思うもの、相性がバッチリだと思うモノを姉妹が言う。そこに対して、素直に俺が答える。なお――。


『『嘘をついたらすぐ分かるので、無駄な抵抗はしないように』』

『『嘘ついたら、宦官ね』』


 と笑顔で言う。君らが一番、シンクロ率が高くて、怖いけど? 二人とも、目が笑っていないから、なお股間がひゅんとする。


※宦官


東洋諸国で宮廷や貴族の後宮に仕えた、去勢された男子。中国・オスマン帝国・ムガル帝国などに多かった。王や後宮に近接しているため勢力を得やすく、政治に種々の影響を及ぼした。宦者かんじや(コトバンクから引用)


 そんなこんなで、お茶請けの皿をシャープペンシルで紅葉もみが鳴らして、ゲームはスタート。

 

【先行】

青葉「まーちゃんの夢を見たよ」

雅春「何も見ずにぐっすり寝た」

青葉「なんで?!」


【後攻】

紅葉「マサ君はおっぱい星人」

雅春「いや、俺はどちらかと言うと……うなじが……」

 紅葉も青葉もそれが……って何を言ってるんだ、俺! これじゃ、俺の性癖暴露大会じゃんか!


【再び先行】

青葉「宿題、私は終えました。まーちゃんは?」

雅春「お……終えたよ……?」


 この瞬間、ギロリと俺を睨む紅葉もみ――眼光って、人も殺せるんだなって思った瞬間だった。





■■■




 俺は小さく、息をつく。

 こうやって見れば、ヒントはたくさんあった。


 居間の端に鎮座するサイドボード。佐竹姉妹の図工の作品やら、母の日のクレヨンで描いたイラストよりも前に、俺達三人の写真が飾ってあったのだ。


「……髪、切ったんだな」


 青に対してそう呟けば、彼女は襟足へ、やや強引に俺の手を引く。


「あ、青?」

「昔はよしよしって。まーちゃん、撫でてくれたよね?」


 そうだっけ?

 そんな記憶はないけれど――。


「もう、してくれないの?」


 くりっとした瞳で、俺を覗きこむ。


「そっか。それも忘れちゃったんだ。〝青〟って呼び名も忘れちゃったもんね。仕方ないけれど……それは、ちょっと寂しいかな――」


 憶えていない申し訳なさと、どことなく懐かしい距離感に俺は、少しだけ青の髪を撫でた。女の子の髪がパーソナルスペースだ。おいそれと触れて良い場所じゃないのに。つい、生唾を飲み込む。


「……マサ君、騙されたらダメ! 青葉、恥ずかしがって、そんなコトできなかったんだから! いつもの後ろに隠れていたじゃ……あ、れ?」


 はっとした紅葉もみは、自分の口を抑える。


「懐かしいな」


 つい笑みが零れた。

 あぁ、そうか。


 想い出が、今になって溢れ出して止まらない。

 誰よりも、気を許せた男友達ダチがいたんだ。虫取り網をもって駆け回ったり、小川に飛び込んだり。蛙の肛門に爆竹を仕込んでだのが青に見つかって、怒られたり。


 そんな悪友ダチがいたことを、今になって思い出して――。


 止まる。

 硬直する。


 昨日の夜も、写真をあさって。

 三人の写真が、これでもかというくらいに出てきた。今度は、逆に溢れすぎてワケが分からなくなっている。

 そんな記憶の瀑布を浴びながら――少しだけ、気付いた。





 5年生のあの夏、紅葉もみは、ほとんど俺の隣にはいなかったことを。







■■■







「……5年生の夏は、青と一緒に過ごしていたんだよな?」


 今さらだけれど、呟く。


「そうだよ」


 にっこり笑う。


「髪を切っていたら、分からないって。なんで髪を切って……」


 やっぱり、青はにっこり笑う。それは今は教えない、と言わんばかりで。青は寂しそうに微笑むだけだった。


「……あお?」


 俺は目をパチクリさせる。彼女は頑固だ。多分、俺がどう言っても答えてくれない。俺は小さく息をついて、紅葉に視線を向ける。


紅葉もみは髪をのばしたんだな?」

「うん、マサ君に可愛いって言ってほしくて」


 ぐぃっと座卓にカラダを預け、顔を突き出す。

 それこそ、恋人同士がキスを交わそうぐらいの距離で。


「むーっ」


 隣で青が不満そうに――脛を抓るの、止めてくれませんか?


「ねぇ、マサ君? 青葉ばかり髪を撫でるのズルいって思うんだ。ね、マサ君に可愛いって言って欲しくて、頑張ったんだけれど。ダメかな?」


 コクリと呟く。

 記憶のなか、蘇った紅葉は、いつも活発で。負けず嫌いで。集落の男子なんか、口と手でブチかますぐらいに男前で。


「……青葉だけなの?」


 そう言われたら、ぐうの音も出ない。すっと、その髪に指を滑らせる。


「……お姉ちゃんばかり、ズルい」

「そうだね。今は一緒にたくさん、マサ君に撫でてもらおうか」

「へ?」


 俺は目をパチクリさせる。産むを言わせない、二人の視線。それぐらいで根負けするワケが――するワケな――根負け――した俺だった。








「うん、堪能した」


 にっこり笑う、紅葉。それが合図と言わんばかりに、姉妹はほんの少しだけ、距離を離す。気付けば――左に紅葉。右に青葉がいて。俺、見る人が見れば、最低の女ったらし、クソ野郎だと思う。


「……最低のクソ野郎」

 うん、佐竹のお父さんの呟きは、とりあえず無視をするとして。


(……どうして、こうなった?)


 小さくため息をついて。そんな俺を見て、紅葉はクスクスと笑う。


「ねぇ、マサ君。これは、提案なんだけどさ? 夏休み日記を辿るの、私も混ぜて?」

「は……?」


 もう止めようと思っていた俺には、予想外の提案だった。


「マサ君はもう気付いていると思うけれど、ボクはあの夏、ほとんど君の隣にいなかったんだ。そして、青葉はまだ全部を知られる勇気がないの」

「……」


 青は、姉の言葉をえ、俯いてしまう。


「ボクは、あの夏を取り戻したい。青葉は、あの夏を乗り越えたい。マサ君は、あの夏を思い出したい。これは、悪くない交渉だと思うんだけど。どうかな?」


 ぎゅっと、青が俺のシャツの裾を掴む。

 怖くて、踏み出せなくて。でも、勇気を出したい。そんな時の表情かおだって、俺は知っていて――。





「良いよ。あの時みたいに……クソガキ、続けようか?」


 俺の言葉に、姉妹は顔を見合わせて、それから満面の笑顔を溢す。

 日記を指でなぞる。


 この通りになんて、どうせ進めやしない。それでも、クソガキに戻ってみるのも悪くないって、思ってしまう。





「そのかわり」


 俺も負けっぱなしじゃいられないから。これぐらいの意地悪させてもらおう、と悪い笑顔を浮かべて見せた。


 紅葉が慌てて、胸を隠す。お前は、俺をどれだけクソ畜生って思ってるの?


 いや、青? しないからね? だから、脛を全力で抓らないで?! 痛い、痛い、マジでいた――。







■■■






「……宿題、今日で終わらせようぜ?」


 痛みにこらえながら、俺の無情な一言を放つ。5年生の時の俺とは違うのだよ、紅葉もみ君。


日記にチラリと視線を落としながら、そんなことをおも――わないと、痛くて泣きそうで。青、本当に痛いから!



 ――8/17「冒険に出たいが、残念ながら宿題がピンチだ。わっはっはっ」




 うん、思い出した。文面は愉快だが、青が厳しくて。この時の俺も別の意味で涙目だった。



 ――だって、夏休み。たくさん、まーちゃんと遊びたいから。

 あの時の青の声が、俺の鼓膜を震わせる。


 でも、その声をかき消すくらい。


 紅葉もみが、この世のものとは思えないくらい、悲哀に満ちた絶叫をあげたのだった。

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