8/12「釣りにいこう、お昼は俺に任せておけと言った朝の俺をぶん殴りたい」



「青葉ばっかりズルいと思うの」

「お姉ちゃんが、部活に行ったのが悪いんでしょ!」


「だって学生の本分だもの」

「私だって、ま……」


「ま?」

「……ま、雅春まさはるには、勉強教えてもらってただけだし。仕方なく、教えてもらったんだし」

「仕方なく、だもんね? じゃぁ良いよね。私、しっかり雅君とお話したかったんだ」


 うつらうつら二度寝をしていると、居間からそんな声が聞こえてきた。4年に一度、オリンピック。選手の奮闘を肴に酒を飲むダメ大人。そして、極力、佐竹姉妹から距離を置こうと、テレビに――試合に熱中する振りの俺。やっぱり、青の視線が突き刺さるのはさておいて――。


(……色々、ツッコミたいんだが――)


 ・姉妹喧嘩は家でやれ。

 ・寝られない。

 ・青、お前はまた俺を呼び捨てかよ。


(なんとなく、恥ずかしくなったんだろうなぁ……。俺も、彼女でもない子を愛称ニックネームで呼ぶのはちょっとずいから、別に良いけどさ)


 布団を被って、この音をシャットダウンしようとした瞬間だった。婆ちゃんが、正座して俺を見やっていた。


「おはよう、まさ


 にっこり、婆ちゃんが笑う。


「お、おはよ――」

「起きていたということは聞いていたんでしょう?」


 俺はコクコク頷く。何が、とは聞かない。婆ちゃんの冷ややかな眼差しを受け、俺はどうやら反論すら許されない立場なのだと知る。爺ちゃんや父さんに対しての女性陣の対応を見れば、さもありなん。


「普段は良い子達なんだけどね。雅が帰省するだけで、こうも刺激受けるとは思わなかったけど、まぁ納得かな?」


 分かるよね、と婆ちゃんの顔が言っている。うん、全然分からない。


「私ね、男の甲斐性って大事だと思うけどさ。来てくれた子達を放っておいて、三度寝はどうかと思うんだけど。雅はどう思う?」


 Oh……。

 しっかりカウントされていた。


「起きなっ!」


 タオルケットを強引に剥がれた俺だった。







■■■






「ねぇ、マサ君? 聞いてる?」

「……」


 ちゃぷっ。


 釣り糸が引っ張られる。慌てない。食いつく、その一瞬を見逃さない。勢いよく引き上げて、ヤマメを釣った。――紅葉さんが。


「釣りってさ、朝・夕が狙い目なの。日の出、日没の時間をマズメって言うんだけどね。街の感覚で、コンビニ行くように『魚、釣ってくる』とか普通あり得ないからね?」


 それは、仰る通りだと痛感している。だいたい、日記の通りにこの夏は過ごしてみようかと思っていたが、すでに5年前、とっくに過去の俺は痛感していたらしい。


 ――釣りにいこう、お昼は俺に任せておけと言った朝の俺をぶん殴りたい。

 うん、考えなしに言った今の俺、5年生の俺にぶん殴ぐられたら良いと思うんだ。


「私、言ったよね。今日はマサ君とデートしたかったから、。オシャレしてきたんだって」


 そう言った、紅葉の容姿に視線を向ける。花柄のワンピースに可愛らしいミュールがよく似合って。決して、川釣りに来るコーデじゃない。


 ただ、言い訳させてほしい。彼女いない歴=年齢の、今野雅春。16歳。いきなりデートと言われても、無理ゲーだと思うんだ。行き先を問われたから、日記帳通りの川釣りをリクエストした俺、及第点――いや、落第点なのは婆ちゃんと青の、冷めた目を見れば、火を見るより明らかで。


 ――何言ってるんだ、コイツ。

 明らかに、そういう目で見るていた気がした。


「ま、良いけどね」


 にっこり笑って、釣り竿を放り投げた。それから、俺の横へ椅子を移動して――ち、近い?


「私の釣果は、ヤマメ10匹です。マサ君は?」

「……0匹」


 これを敗北と言わずして、なんと言うのか。


「勝った方が、釣った数の分だけ、言うことを聞くルールだったよね?」

「です、ね」


 紅葉から提示したルール。自信なさ気に言うから、勝機があるのではと思った俺……なぁ5年生の俺、遠慮無くぶん殴ってくれ。


 ――お姉ちゃん、勝負事になると強いからね。油断しないでね。


 小声でアドバイスしてくれた、青の言葉をもっとしっかりと受け止めれば良かった。


 なお、他の誰かに聞かれなければ「まーちゃん」呼びは継続らしい。

 青葉ちゃんと呼んだら、何故か脛を蹴られた。どうしろと?

 世の中あまりに理不尽だった。




「じゃぁ、一つめのお願い。一緒に釣ろう?」


 紅葉が俺の手に、自分の手を重ねる。


「……へ?」

「あの、紅葉さん? その近いというか、手が――」

「雅君は緊張し過ぎ。そんなにカチコチだったら、魚も逃げちゃうって」


 クスリと笑う。


「あの、いや。でも、俺……汗臭いから……」

「夏だもん。汗、かくよ。健康的で良いと思うけどな」


 ぴくっ。糸が引く。慌てないでね、紅葉がそう囁いた。


「2つ目。彼女はいますか?」

「いや、魚が……」

「彼女はいますか?」


 敗者よ、答えよ。そう勝者は申している。


「……いません」


 これほど屈辱的な罰ゲームがあるだろうか。魚は釣り糸をくいくい引く。


「まだ、まだ。ココで引いたら逃げられちゃうからね。でも……そっか。まるっきり、勝ち目のない戦いでもないかも。がんばろうっ」


 後半、紅葉の呟きは魚が抵抗する水飛沫で、かき消される。


「今、かな」


 ひょぃっ。

 紅葉が、俺の手に自分の手を添えたまま、竿に力を加える。


 魚がビチビチ跳ねるのを戸惑っていると、なんの造作もないと言わんばかりに、魚を掴み、針をとる。一連の動作が何ともエレガントだった。


「はい。お願い権、一つ追加ね」

「……え?」


 俺は硬直する。


「これも、カウントに入るの?」

「それはそうだよ。私と一緒に釣ったんだもん。雅君が自分の釣果だと証明できるなら、それはそれで別に良いけどね」


「それは……」


 無理ゲーだ。あまりに無理ゲーである。


「大丈夫。青葉、勉強が落ち着いたら、オニギリを握ってこっちに来るって言っていたから。それまでがタイムリミットね」


 ぺろっと、紅葉は可愛らしく舌を出す。でも、その姿が――俺には小悪魔にしか見えなかった。


「……別日にデートは決定として。次のお願い、どうしようかなぁ。あ、彼女に着てほしい下着の色なんか、聞いちゃうの良いかもね!」

「ぶほっ」


 なんてこと言うの、この子?!


「大きな声出したら、魚が逃げちゃうよ?」

「……お、俺、彼女いたことないから、そういうの分かんねぇ――」


「じゃぁ、私が彼女だと仮定してで良いけど。何色が良い?」

「いや、ちょっと待って。そういうの良くな――」

「でも私、勝ったよね?」


 これ以上ないくらい、ド正論だった。


「そういうのは、健全じゃないというか。ちょっとよくないって俺は思うんだけれど。水着なら、まだ――」


「本当?」

「それくらい、なら……」


 いや、水着もかなりハードルが高い。


「雅君、優しいね。お願い権使うつもりだったのに、自分から言ってくれるんだもん」

「はい?!」


「じゃ、次のお願いは――」

「鬼か?!」

「鬼はデートを台無しにした雅君だよ? あ、また魚引いてる」


 ぐいっと、釣り竿に反動を感じた。


「あ、ちょっと。これ、かなり引いて――」

「雅君、しっかり持って。これは大きいよ!」


 俺と紅葉は腰を落として、竿を持つ。先方はばしゃんばしゃん水を跳ね上げ、抵抗するが。こっちも昼飯がかかっているから、負けていられない。だから、気付かなかったのも仕方がないと思うんだ。




 ――もうちょっとしたら、そっちに行くからね。まーちゃん、おにぎりはツナマヨが好きって言っていたもんね。私、がんばって作ったよ!


 青からのメッセージ。猫がぐっと拳を固めたスタンプが、メッセージアプリ【LINK】に送信されていたことに気付かなかったことも、要因の一つだったと思う。





 この20分後、ようやくついた青の逆鱗に触れる。

 その理由――皆目見当がつかない俺だった。









▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥





とある妹の呟き「何がデートじゃないよ? まるっきりデートじゃん! デレデレしてさ、鼻の下のばして! まーちゃんのバカバカバカバカ、ウルトラバカ、真性バカ! 真性包茎! ハゲ! エッチ! まーちゃんなんか、もう知らないからっ!」


とある姉の呟き「……勇気出して良かったかも。あのね、雅君。どうでも良い人にあんなこと言わないからね。そんなこと普通に言っていたら、変態でしょ? 気になってほしいから頑張ったんだからね」


とある妹の呟き「……別にそういう風に見てほしいって思わないけど。夏休みぐらい、ちょっと背伸びしても良いよね?」


とある姉の呟き「ちゃんと見てほしいから、もっと頑張らなくちゃ。だって、夏休みってあっという間だもんね」


とある姉妹の呟き「

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