8/11「井戸で冷やしたスイカはとても美味しかった」



 蝉の声が耳につく。

 街に比べたら涼しい、そう思ったのも到着直後まで。慣れれば、やっぱり夏は暑いのだ。


 夜は涼しい。それは認めよう。天然のクーラーかと思ったよ。以前はそんなこと当たり前だったはずなのに、やっぱり俺は所々、忘れているらしい。

 それにしても――。


「……なんでいるんだよ?」

「悪いの? 紺野のお爺ちゃんは、いつでも来て良いって言ったし。だいたい、まーちゃ……雅春が来る前から、ココ、私の居場所だし」


 佐竹妹が、やっぱり不機嫌そうに俺を睨む。


「いや、それは別に良いんだけどさ」


 爺ちゃんと婆ちゃんが、佐竹姉妹のことをお気に入りなのは、昨日の大宴会の様子からもよく分かる。いや、それよりもだ――。


「俺、一応……年上だよね?」


 呼び捨て?

 咎める視線を向ければ、素知らぬ顔で、勉強を進めている。


「それにしても、お気楽ね」

「へ?」

「高校生になったら、宿題ないの? 余裕じゃない? こっちは受験勉強、必死なのにね」


 Oh……。

 青葉ちゃん、君はどうして。どうして――クソッタレな現実に引き戻すのか。去年、あれほど勉強していたのに。確かに、コンスタントに勉強する習慣は風化していったのかもしれない。


「丁度、良いか」


 俺は立ち上がる。じーっと、背中に突き刺さるような視線を感じた。

 それにしても……。


(……過去の俺、この子を怒らせるようなこと、何かしたの?)


 思い返してみるが、心当たりは全くの皆無。きっと、ポロリと欠けた記憶に、何かヒントがあると思うのだが、焦れば焦るほど思い出せない。


(ま、良いか)


 間借りしている寝室から、一式を持ち出し、また居間へと戻った。


「……勉強? 雅春って、そんなキャラだっけ?」


 そんな意外そうな顔しないでくれないか?

 だいたい、あの事故以来、ちょっとしたことで忘れてしまう。それなら反復的に、学習していくしかない。忘れる前に、刻みつけろ。俺はそんな力業で、これまで乗り越えてきたのだ。


「良い格好見せたかったんでしょうけど、残念でした。お姉ちゃんは、部活。今日は来ないからね?」


 なんで、そうなる。

 思わず、座卓に突っ伏す俺だった。




 ――ふんっ。

 やっぱり、不満気な青葉ちゃんの吐息と、風鈴の音が重なった。







■■■






「あらあら。雅と青葉ちゃんがこうしているの、久しぶりに見たわね」


 お盆にスイカを載せて、婆ちゃんがやってきた。


「スイカ?!」


 目をキラキラさせて、青葉ちゃんがいち早く反応する。


「よく冷えてるわよ。朝から、井戸に沈めておいたからねぇ」

「めっちゃっ、嬉し――べ、別に……く、食い意地はっているワケじゃなくて……そ、その……」


 俺と視線が交わって、気まずくなったらしい。


「いや、テンション上がるでしょ。婆ちゃんのスイカ、美味いし」


「……おっべか言うようになったんだねぇ、雅も。でも、このスイカ、dosucoドスコで買ったヤツだからね。朝のキュウリは私が作ったヤツだけど、さ」

 ニッと婆ちゃんは笑う。

 それから、小声で囁かれた。


 ――女の子を恥欠かせなかったのは、ポイント1点だね。


(……意味わかんないって。それより――)


 朝摘みキュウリも、瑞々しくて、本当に美味かったが――今はもうスイカが食べたくて仕方ない。


 田舎近郊のショッピングモールといえば、ニャオングループのdosuco。まとまった買い物なら、そこに行くのがモアベターなのは、変わっていないらしい。


「そういえば、あんた達はよく縁側でスイカの種飛ばししていたよね?」

「いつの話だよ?」

「し、しないからね?!」


 青葉ちゃんが、顔を真っ赤に染める。


「あらあら。別に遠慮しなくて良いのにね」


 クスクス、婆ちゃんは笑う。それから、縁側のそれぞれの皿を置いて、婆ちゃんは部屋を後にする。


「し、しないよ?」


 青葉ちゃんの、必死の抵抗。なんだ、可愛いとこあるじゃん、笑いをかみ殺しながら、俺は縁側に座ってみた。


(何か思い出すかも)


 そんな一抹の願いすら、無駄だと分かっているけれど。

 りんと、風鈴が鳴る。


 本当に、この家はよく風がよく通る。

 縁側から、思わず空を見上げて――。



 ――青。

 え?


(え?)


 色――いや、違う。

 でも、この響きは懐かしい。


 折りたたんでいた、夏休み日記をポケットから出して、見やる。

 相変わらず、汚い字だ。


 名前を書くところに〝まー君〟〝もみじ〟〝あお〟と書いてあった。


(これ、学校に出す、夏休みの宿題なんじゃねぇの?)

 バカだな、あの時の俺。

 思わず、苦笑いが浮かぶ。


 ――あお。

 ――青。

 ――青葉。

 ――あお。




あお


 そう呟いていた。

 気付けば、スイカで頬張っていた、青葉ちゃんの動きがピタリと止まる。


 ぷっ、ぷっ、ぷっ。

 その前まで、青葉ちゃんは庭めがけてスイカの種を飛ばしていた。


 俺も負けじと、スイカに齧り付く。

 ひんやり冷えている。最高だ。

 そして、少し青臭いけれど。自然の甘みが、口いっぱいに広がっ――。




 ぷっ、ぷっ、ぷっ。

 種が俺にめがけて、飛んで来た。

 思わず、何事かと顔を向けたのも悪かった。


 ぷっ、ぷっ、ぷっ。

 種マシンガンが、俺の口の中へ――そして、飲み込んでしまう。



「んっ? ん?」


 種、飲み込んだじゃん! いや、それ以前に、これ間接キスにならない? え――。


「……出せ、種! まーちゃん、盲腸になっちゃうから!」

「へ……?」


「種、飲んだらダメなんだって! もう、昔から、まーちゃんはそう! 私のスイカまで平然と食べちゃって、さ。無頓着すぎるよ! これ間接キスだって自覚を――」




 俺と、青葉ちゃんは顔を見合わせる。

 沈黙。


 りん、りん。凜。


 透明な鈴の音が、やけに鼓膜を震わす。とりあえず、双方、間接キスの認識はあったようだ。だが、ここで意識したら負けの気がする。とりあえず、落ち着こう。




 深呼吸。




「……ちょっと落ち着こう」

「……う、ん」


「とりあえず、これぐらいじゃ盲腸にならない」

「うん……」

「俺、もしかして。昔、青葉ちゃんのこと、あおって呼んでいた?」


 コクリと青葉ちゃ――青ちゃんは頷く。


「青葉ちゃんは、俺のことまーちゃんって、呼んでいた?」


 それは小さく、青ちゃんは頷いた。なんとなく分かった。青ちゃんは、他人行儀に佐竹さんと呼んだり、青葉ちゃんと呼ぶことがイヤだったんじゃないか、と。

 でも――。


「今さら……青ちゃんて、呼ぶのイヤじゃないの?」

「イヤ……じゃない」

「そっか――」


 しゃり。

 俺はスイカを囓って――それから、メモ帳を取り出した。

 佐竹青葉。その名前の横に、大きく青ちゃんと書いてみる。


(うん……しっくりきた気がする)


 しゃり。

 青ちゃんが、小さくスイカを囓った。



「あ、あの……」


 青ちゃんの、今にも消えそうな声。俺は青ちゃんを見る。


「昔みたいに、呼んでみても良い?」


 スイカより真っ赤に、耳まで染めて。

 コクンと、頷いて。

 しゃりっ、とスイカを囓る。


 ぷっ。

 照れ隠しに、スイカの種を吐き出したはずが――。





「まーちゃん」


 それだけ言って、青ちゃんはまたスイカを囓る。それだけ、ただそれだけなのに。

 完全に思い出したわけでも。

 あの頃に戻ったワケでもないけれど。





 ――青。

 どこか、しっくりきて。パズルのピースはまったというよりは。

 どちらかというと、見失っていた色をようやく塗れた、そんな気がして。





「んぐっ!?」

「まーちゃん?」







 考え込んでいるうちに――また、スイカの種を飲み込んでしまった俺だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る