2、2018年のアクア・アルタ
音楽院も二年目となると出演するコンサートも増えてゆく。ピアノ講師の仕事がない日は、チェンバロ奏者のレオナルドと次の本番に向けてリハーサルに励んだ。遅くまで音楽院の教室に残って練習し、用務員に追い出されることもしばしばだった。
友人も増え、週末には仲間と飲んだり食べたりするようになった。バーカロというヴェネツィアの居酒屋へ行くこともあれば、誰かのシェアハウスに集まることもある。
「レンの家も行ってみたいな」
大教室での講義科目である音楽史の授業後、レオナルドが言い出した。
「ヴェネツィアなのに半地下の家って興味あるんだ」
彼の言葉に、ほかの学生も振り返る。
「半地下ってマジ?」
「アクア・アルタのとき、浸水しないの?」
彼らの質問に、
「カステッロ地区だから」
と答えると、ヴェネツィア島内で生まれ育った学生が納得した。
「カステッロ地区は少し高くなってるんだよね」
彼の言葉に私は内心、ホッとした。
私の家にやってきた友人たちは、昼なお暗い室内を見ても、
「落ち着くね!」
「集中できそう」
「一人で住めるなんて最高だね」
とポジティブな反応を返してくれた。
だが日本人の友人は、
「六〇年代には水が入って来たんでしょ? 本当に大丈夫?」
と心配そうに尋ねた。友人はヴェネツィア島内にある国立の美術大学に通っているが、住居は本土側のメストレ地区にあった。
「ヴェネツィア島内は家賃が高くて、法的な契約を交わせる家に住めないから」
というのが理由らしい。
観光客が多く、家が足りないヴェネツィアでは、多くの学生が私と同じく契約のない家に住んでいた。友人に言わせれば、これは異常な事態だそうだ。友人はヴェネツィアに来る前、普通の都市であるボローニャの美大に通っていたから、ヴェネツィアだけに通用する変な常識に染まっていない。
「ちゃんとした家を探した方がいいよ」
と言われたが、私は気にしなかった。日本人は真面目で心配性なのだ。そして音楽の勉強以外のすべてが
だが果たして住む家の選択は雑事だったのか――?
半地下の家に住んで二度目の秋となる二〇一八年、私は初めてアクア・アルタの影響を受けた。音楽院までの道が水没し、足首まで水に浸かって歩くこととなった。
不安を煽る減七の分散和音でサイレンが鳴り響き、十月も下旬だというのに生ぬるい風が肌にまとわりつく。
アクア・アルタは南から吹く湿った風が、地中海の水を干潟に運ぶことによって起こる。そのためアクア・アルタの日は雨が降るものの、気温は上がるのだ。
島の主要部にはパッサレッレと呼ばれる台が並べられ、足を濡らさずに歩ける。しかし観光客が列を為し、
私は仕方なく、
アクア・アルタの日は気温が高いから寒くはない。だがヴェネツィアでは、アクア・アルタの水に浸かると病気になると言われている。島を襲う水自体は海水だが、下水があふれるため不衛生だからだろう。
黒人さんが観光客向けに、靴にかぶせるビニールカバーを売り歩いていたが、ぼったくり価格に思えて買わなかった。
足元がびしょ濡れのまま音楽院の練習室にこもっていると、用務員のおばちゃんから帰宅するよう指示された。潮位が高くなると公立の学校は休校となるのだ。
折角来たのに練習室から追い出されるなんてとぼやきながら帰宅すると、レオナルドからメッセージが届いていた。
『君の半地下の家に水、上がってきてない?』
『ありがとう、レオ。うちの周辺は全く問題ないよ』
大家のステファノさんが言っていたことは本当だったと確信しながら、私は返信した。水浸しになっていたのは一番近い広場までで、そこから我が家まではゆるやかな上り坂になっているから、水は上がってこない。
満潮時刻を過ぎると同時に、水は上がってきたときと同じく、音もなく引いて行った。
「日当たりが悪いことさえ我慢すれば、この家、一人で安く住めて最高だな」
日本人の友人は心配していたけれど、やはり六〇年代のような高潮は襲ってこないのだ。
シャワーを浴びた私は、機嫌よくベッドに寝っ転がって、スマホのニュースサイトを開いた。今回のアクア・アルタは標準潮位プラス百五十六センチまで上がったらしい。
『一八七二年の観測開始以来、四番目の高さとなりました』
というアナウンサーの解説に、私は驚いた。
「百五十年間も記録を取ってるのに、観測史上四番目ってそんな簡単に出るものなんだ……」
ニュースではその理由についても解説していた。
『平均海面水位の上昇と地盤沈下により、九〇年代以降、頻繁に異常な高潮が発生しています』
画面に映し出されたグラフを、私は二度見した。
一年間に発生するアクア・アルタの回数は、近年に近づくにつれ明らかに増えていたのだ。
「この家、平気かな?」
頭の片隅で警鐘が鳴った気がしたものの、私が引っ越しを決意することはなかった。島内で家賃の安い家を探すのは大変なのだ。かといって、音楽院への登校も音楽教室への通勤も遠くなる本土側に住むのは、もっと気が乗らない。
さて、アクア・アルタの汚水の中を平気で歩いた私は、噂通り本当に熱を出した。ただの風邪だったので、冷えたのだろう。
それでこの年、私は仕方なくヴェネツィア人御用達の大げさな長靴を購入した。日本では絶対に使えない
月日は流れ、また晩秋がやってきた。結局私は二〇一九年の高潮シーズンもまだ半地下の部屋に住んでいた。
そして十一月十二日、ヴェネツィアは記録的な高潮に襲われることとなる。
前日の夕方、音楽院内の談話室に備えられたコーヒーマシンへエスプレッソを買いに行ったら、レオナルドに会った。
「チャオ、レオ。明日の朝十時から九十五番教室でリハーサルだから、よろしくね」
稀に約束をすっぽかす彼に念を押すと、
「十時ってちょうど満潮時刻じゃね? 俺、音楽院にたどり着けるか分かんないよ」
やる気のないことを言い出した。日本の社会人的常識では、悪天候が予想される場合はそれを見越して早めに家を出るものだが、イタリアの学生にそんな理屈は通用しない。
「明日のアクア・アルタ、そんなに高くなかったよね?」
私は今朝見た予報を思い出して軽く反論した。しかもレオのシェアハウスは海抜の高い駅付近に位置しているから、アクア・アルタの被害を受けにくいのだ。
だが彼は首を振った。
「予報が修正されたんだよ。潮位の分かるアプリ、入れてる?」
私はうなずいてスマホをひらいた。今朝確認したときは標準潮位プラス百三十センチ程度に収まっていたはずが、明日の朝十時に百四十センチ、夜二十三時に百四十五センチと、より高い方へ修正されていた。去年の百五十六センチに迫る勢いで、嫌な予感がする。
アクア・アルタは潮の満ち引きに従って起こるので、日に二回ピークがやって来るのだ。
「しかも明日は満月だから大潮の日だよ」
レオは気楽な調子で話していたが、私の心はざわついた。
翌朝は今にも雨が降り出しそうな曇天だった。
私は膝まである長靴を履いて家を出た。通りにはパッサレッレの台が並べられたり、服屋のマネキンが下半身を脱がされていたりして、アクア・アルタへの備えは万全だ。
だが朝十時の潮位は予報ほど高くはならず、百三十センチにも届かない程度で引いて行った。
私はレオとのリハーサルや授業をいつも通りこなしながら、幾度となく潮位予報を確認していたが、夜の満潮時の潮位に変化はなかった。
午後になると少し風が強くなってきた。生暖かい南風はヴェネツィア島の浮かぶ干潟へ海水を吹き上げるから嫌な兆候だ。
授業後、個人練習のために部屋の鍵を借りようとしたら、用務員のおばちゃんに追い返された。
「夜になるほど潮が高くなるんだから、さっさと帰りな。今日は早めに閉めるよ」
満潮時刻は夜十一時なんだからまだ時間があるじゃないかと思いつつ、私は仕方なく帰路についた。
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