四話 巫女とは

「熱は引いたようだな」


 枕元の充輝がそう声を掛けるのを、琴乃は布団の中からぼうっと目だけで見上げる。

 

 巫女を休ませるためと陽炎殿は人払いがされており、日が高く出仕しゅっしの時間もとうに過ぎているというのに、静かだ。


「申し訳、ございま……」


 身を起こそうとした琴乃を手で制し、充輝は部屋の隅に控えていた女官へ、白湯さゆを持って来るよう指示をする。


「巫女殿は横になったままで良い。慣れぬ環境だ、疲れも溜まっていただろう。気になることあらば、何でも聞くが良い」

 

 部屋にふたりきりになったのは、もしかしたら遠慮なく質問できる時間を作ってくれたのかもしれない、と琴乃はその気遣いにそっと眉尻を下げる。同時に自分の不甲斐なさに情けなくもなり、もぞりと布団の端を引っ張りあげ、顔の半分を隠してから声を発した。

 

「あの……巫女になれば竜語が話せるとお聞きいたしました。高階様は、竜語がお分かりになるのですね」

「うむ」

「禁中では、皆に竜語が通じますか?」

「ああ! なるほど。その辺準備に忙しく話ができていなかったな。きちんと説明をしよう」


 充輝は、水色の狩衣の袖の中に両手を入れるようにして腕を組み、おほんとひとつ咳払いをする。


「竜語と呼んではいるが、言語ではない。要は竜人様と意思疎通ができる能力、ということだ。その力は血に宿ると言われていて、血縁で継承されていくから、最もその能力が高い御三家が重用されている」


 御三家、という概念は琴乃でも知っている。殿上人てんじょうびとである、有原・大江・石上家のことだ。

 

「……竜人様と、話せる力?」

「その通りだ。子に継承されていくが、血が薄まれば必然、竜語も失う。竜人様は、儀式によって竜語を与えることもできる。我も巫女殿も、そちらだな」

「ならばわたくしの言葉は、人間には通じないのでしょうか。女官たちは理解しているようでしたので、気になって」


 充輝は、口角を上げた。

  

「それは竜語ではない。あくまでも竜人様と話す時に使う力を、竜語と呼んでいる。巫女殿は、声を失っていた。巫女としての任のため、それを治されたのだ」

「えっ! そんなことが、可能なのですか⁉︎」


 琴乃は、がばりと衝動的に起き上がった。

 それを見た充輝はすぐに返事をせず、すくりと立ち上がって屏風の上に無造作に掛けられていたうちきを取り、琴乃の肩に掛けてやる。

 単衣ひとえのみで横になっていた琴乃は、素直にそれを受け入れ、袖をかき抱くようにした。さすがに無防備すぎたと気づいたからだ。


 充輝は再び枕元に腰を下ろすと、腕を組み直した。


「治療したのは焔様ではなく、水ノ竜・慈雨じう様である。そのように竜人様は、人智を超えた存在であらせられるのだ」

「水ノ竜・慈雨様……」

「どうした」

 

 考え込んだ様子の琴乃の顔を、充輝は覗き込む。とはいえ眼帯で視界を邪魔されよく見えなかったようで、すぐ元に直った。


「申してみよ」


 やがて琴乃は、ごくりと大きく喉を鳴らしてから口を開く。


「病床の弟がおります。慈雨様ならば、治していただけるのかと」


 絞り出すような琴乃の希望に、充輝は軽く目を閉じ、だがしっかりと言い切った。

 

「今の竜皇陛下は焔様である。他の三役が表に出てくることは、ほぼないであろう」

「そう……ですか」

「慈雨様から焔様に代替わりされ、新たな巫女として迎えたからこそ、琴乃は治されたと思う」


 充輝の言うことは押し付けがましくはなく、ただ前例のないことだと教えてくれているのは、誰にでも分かるだろう。

 それでも、目の前に希望があるのに手放さなければならない辛さが、琴乃を襲った。肩を震わせる琴乃に、充輝は眉根を寄せ、静かに語りかけた。

 

「ただ懸命に勤めよ。よき巫女として認められたならばあるいは……他の竜人様と言葉を交わすこともあろう」

「高階様……ありがたく……」


 涙の止まらなくなった琴乃を見た充輝は、女官が持ってきた半挿はんぞう(急須のようなもの)を自ら持ち、椀に白湯を入れ、琴乃の背をさすりながらゆっくりと飲ませる。

 それを見た女官が、「少将の巫女への肩入れ、あるまじきこと」と無責任に禁中で噂し――


「充輝とずいぶん仲が良いそうだな」

 

 翌日早々、琴乃は焔に呼び出されることとなった。


   ❖


 竜皇の居住区である清涼殿は、禁中の中央に位置している。

 巫女の住む陽炎殿はその北奥にあり、縦に並んだふたつの建物を取り囲むように、北に雪舎せっしゃ、東に舎、西にげっ舎の三舎が建てられている。今はそれぞれ水ノ竜・慈雨じう、風ノ竜・花嵐からん、土ノ竜・りくが住んでいるが、滅多に姿を現さない。

 

 清涼殿の昼御座ひのおましに呼び出された琴乃は、南廂みなみひさしにある殿上間てんじょうのまに巫女姿でかしこまって座していた。背後には、充輝ただひとりを従えている。

 他の女官たちは焔を恐れるがあまり、琴乃に付き添うどころか簀子縁すのこえんを歩くことすらままならず、琴乃が戻るよう指示をした。


 竜皇である焔が座す二畳の畳には懸盤かけばんが置いてあり、上に提子ひさげ(持ち手の付いた大きな急須のようなもの)が乗っている。盃があることから、酒が入っているのだろうと琴乃は見て取った。

 脇息きょうそくに体ごと持たせかけるぞんざいな態度をしながら、焔は口を開いた。


「充輝とずいぶん仲が良いそうだな」


 琴乃は質問の意図が分からず、すぐに返事をすることができない。床に手を突く平身の姿勢から起き上がることすらできないでいる。


「巫女殿、おもてを上げて。焔様、お陰様で仲良くさせていただいておりますよ」


 琴乃の背後からしれっと答える充輝の台詞を受けて、琴乃は無意識に右手で腹の辺りを押さえた。

 

(これが、竜語……なんと恐ろしい……)


 初めてまともに聞いた焔の声音は非常に強く、脳内に直接届くような圧迫感がある。

 

 琴乃は上体を起こそうとするものの、恐怖で起き上がれない。その様子を冷めた目で見る焔が、憎々しげに言い放つ。


「充輝には聞いてない」

「そうですか。なら、わざわざ巫女殿を怖がらせるようなことを言う意図が分かりませんね」

「……いつから、世話をするんだ」


 ようやく合点がいったとばかりに、充輝が自身の膝を軽くぽんと叩く。

 

「はあ。なるほど。巫女殿」

「は、はい」

「もし体調が大丈夫なら、今から焔様の身の回りのお世話をして欲しいが。まだ無理ならば」

「っ、いえ! お世話をさせていただきます」


 おずおずと顔を上げる琴乃の目と、焔の目が合う。改めて日の光の中で見る焔の目に、琴乃の身がすくむ。焔は当然、琴乃の心情など意に介さない様子で、乱暴に言葉を放る。


「酌をせよ」

「はい」


 素直に返事をし、一度礼をしてから立ち上がろうとする琴乃を、充輝が背後から止めた。


「駄目です」

「え」

「おい」

「陛下。初めてのお勤めをなんだとお思いですか。まずはお茶を淹れます」

「小うるさいぞ」

「おや。三百年も経てば行儀作法もお忘れですか」

「……ちっ」


 その間、琴乃は圧倒されていた。


(竜皇陛下と対等にお話をなさるだなんて。高階たかしな様はいったい……)


「そう構えずに、巫女殿。我は陛下の弱みを握っておりまして」


 いたずらっぽく言いながら充輝は、立ち上がって茶道具の置いてある厨子ずし棚を指差す。

 

「こちらに道具がある。焔様は怖い顔をしていますが、中身はただの幼い駄々っ子。悪口を言われてもこうして軽くいなせばよい。意地悪されたら、すぐに我に告げ口を。後で叱っておく」

「おい」

威厳いげん威嚇いかくは違いますよ、陛下」

「てめぇ」

「おお、嘆かわしい。仮にも竜皇ともあろうお方がそのような言葉遣いなど」

「鬱陶しいぞ充輝」

「まともに言い返してごらんなさい」


 そこまでのやり取りを聞いて、琴乃はもう我慢ができず

「うふふ、あはは」

 と先ほどまでの恐怖も忘れて、大きな口を開けて笑ってしまった。大変無礼な振る舞いだが、巫女の面布めんぷで口元が見えないのは幸いだった。


「あっ、失礼をいたしました」


 慌てて頭を下げる琴乃を、焔が目を見開き、口も開いて見ている。


「おまえ、今、笑ったのか」

「えっ、はい、申し訳ございま」

「……ふん。さっさと茶を淹れろ」


 その振る舞いに、琴乃の眉尻が自然と下がる。


「今度はなにを笑っているんだ」

ねた時の五典いつのりと似ていらっしゃって……あ、弟のことです」


 充輝に背を押され、琴乃は焔と素直に話すことができた。

 

「病気のか」

「はい」

「いくつだ」

とおです」


 たちまち充輝が、ブッと吹き出した。


「十歳と似ている……ふ。ふふふふ」


 袖でかろうじて顔を隠したものの、充輝は盛大に肩を揺らして笑っている。焔は心底嫌そうな顔をしてから、無言でその場にごろりと寝転がった。

 ひとしきり笑った充輝がそれを呆れた目で眺めながら、琴乃へ言う。


「巫女といっても大層なことはないが、の世話をしなければならぬ。まあ、弟と思えば、さほど難しくはないだろう?」

「はい!」


 少将であるのに、巫女の仕事のことを熟知しているのだな、と琴乃は不思議に思ったが――


「早くしろ。茶菓子も付けろよ」


 焔の我儘わがままに対応しているうち、その違和感を忘れてしまった。



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 お読みいただき、ありがとうございます。

 

 護衛とはいえ、女性の部屋に少将が入り、几帳きちょう越しでもなく直接寝台に……というのは普通ならありえません。充輝がなぜそれを許されているのかは、後ほど語られます。

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