二話 禁中、参内



 二官八省(神祇官じんぎかん式部しきぶ省など)が所狭しと軒を連ねる大内裏だいだいりが、四竜皇国の政治の要所である。人により、親しみを込めて『竜宮りゅうぐう』と呼んだりする。


 大内裏の北側が竜皇の寝所『内裏』であり、別名『禁中』。通称『後宮』と呼ばれるその場所は、一殿三舎で構成され、主殿である清涼殿せいりょうでんの他『雪舎せっしゃ』『月舎げっしゃ』『花舎かしゃ』などがある。三舎は竜皇以外の竜人――三役の私室として使われていた。

  

 新年の、二日目。

 清涼殿の南側にある『空見殿そらみどの』に、要職に就く人間たちが集まっており、その内黒い束帯そくたい姿の三人が中心部で、額を突き合わせるように座していた。


ほむら様がご即位される年に、左大臣も代替わりとはなあ」

「仕方なかろう、右大臣」


 最初に発言したのは、右大臣である石上いしがみ成重なりしげ。それをたしなめたのが太政だじょう大臣、有原ありはら徳正とくまさ

 

 はるか昔、竜人を最初に人間の国へ受け入れた、豊かな財を持つ三つの家である『御三家』は、有原・石上・大江。最初の恩恵として竜人の言葉である『竜語』を与えられ、その言葉は血筋で継承されることから、代々太政大臣、左大臣、右大臣の三大臣を務めることとなった。


 三人とも黒い束帯そくたいかんむり姿であるが、柄が異なる。

 

 がっしりとした体躯たいく浮線菊ふせんぎく模様、冠から白髪混じりのもみ上げがのぞいているのが、最高位である太政大臣・有原。

 

 顔の中心にある鼻頭がぶっくりと膨らんでおり、でっぷりとした腹で亀甲唐花きっこうからばな模様が歪んで見えるのが右大臣・石上。

 

 線が細く、真新しい雲立涌くもたてわく模様に身を包む、まだ二十代ぐらいと思われる神経質そうな青年が、左大臣・大江おおえ清平きよひらだ。


「大江は、竜語が薄まりかけていると聞くが?」


 右大臣の石上は大袈裟なほど右眉を上げ、手に持ったしゃくで口元を隠すが、顔が大きすぎて覆いきれておらず、ほくそ笑んでいるのが丸わかりだ。

 位では左大臣が上だが、清平は前任である父から代替わりしたばかりの新人である。畏まって畳に両手のひらを突き、「今夜、『ことの葉の儀』を行いまする」と恭しく告げると、石上はさらにおかしそうに笑んだ。


「おお、おそろしい。ほむら様の儀など」

「口を慎め、石上の」


 さすがに太政大臣有原が苦言を吐くと、場にピリリとした緊張をはらんだ空気が流れる。

 

 こうして平然を装って集まってはいるものの、『苛烈な火ノ年』に恐れおののいているのはなにも民草だけではない。しっかりとした教育をされている分、上級貴族たちの方がと言える。


「竜皇譲位じょういの儀が滞りなく行われたのだ。大江の言の葉の儀の後、七日節会なのかせちえを行う。巫女はどうした」


 有原の質問に応えたのは、宮中を司る宮内省の大納言だ。紺色の束帯姿である。


「は。陰陽寮おんみょうりょうの占い通りにて。七日節会までに参内を命じたところにございます」 

「そうか……ゆめゆめ準備を怠るなよ」

「は!」


 左大臣は代替わりしたばかりであり、竜皇はよりにもよって最も残虐であると恐れられている焔。


「はは。『災厄の代』なあ。どうなることやら」


 どこか楽しげにのたまう太政大臣に、笑って迎合できるような胆力たんりょくのある者は、この場にはいないらしかった。


   ❖


(ここが、大内裏……)


 新年四日。よく晴れた昼のころ。

 

『禁中へ参内せよ』との書状を握りしめた朝比奈琴乃あさひなことのを乗せた牛車ぎっしゃが、朱雀すざく門前で止まっていた。家財道具というには心許こころもとない荷物と共に、病床の弟という未練を持ったままやってきた琴乃の心中は、穏やかではない。

 おまけに、従七位という下級貴族である琴乃は、当然大内裏の中に入ったことすらなかった。

 

 門番に書状を差し出す従者の仕草を、琴乃はじっとすだれ越しに眺めている。


 やがて木の門が大きく開かれ、牛飼童うしかいのわらわが牛に鞭を振るうと――ギギギと車輪が音を立てた。


(ああ、入ってしまったらもう、戻れない)


 門番が断ってくれたら、という琴乃の淡い期待は、あっという間に霧散した。


 大内裏に入っていくらも経たず再び牛車の車輪が止まると、外から「降りるがよい、朝比奈の」という凛とした声がする。

 そっとすだれをめくってみれば、水色の狩衣に身を包む武人が視界に入った。


(誰かしら……刀を差しているし……あの、目は)


 ぴんと伸びた背筋で背後にふたりの部下を従えるその武人は、左目に黒い眼帯を着けていた。色素の薄い茶色の髪はまとめて烏帽子の中へ入れられ、武人であるのに関わらず肌は白く、肩の線も細く見える。左手を刀の柄頭に置くようにしているその腕には、大きな布を掛けていた。


「朝比奈の。恐るることはない。さあさ、降りられよ」


 二度声を掛けられたなら、もう覚悟を決めるしかない。

 琴乃は意を決して簾をたくし上げ、足を外へ出せば牛飼童がくつを差し出した。

 

 自分が持っている着物のうち、最も上等な浅葱のうちきを身に着けた琴乃が表に降りると、眼帯の武人が手早く持っていた布で、琴乃の頭から覆うように包んだ。

 

(な、なにを!)


 たちまち身を硬直させた琴乃へ、武人は淡々と告げる。

 

女人にょにんは、ここでみだりにおもてを晒してはならぬ決まりであるのだよ……案内するゆえ、招きの通りに歩いてくれるか」


(部下を従えるような人に、いなと言えるわけがない)

 

 琴乃は下唇をキュッと噛み締め、黙って頷く。

 布の隙間から見える沓の足先を眺め、軽い足取りの武人の歩に合わせて進む。名前を聞きたいと思ったが、聞いて良いのかすら分からず、ただひたすらに地面だけを見つめていた。


 琴乃の心中を察したのか、武人がゆっくりと歩きながら

「我は、高階たかしな充輝みつきという。少将しょうしょうである」

 と名乗る。


(少将!)


 布を被せられていて良かった、と琴乃は驚きを必死で飲み込む。一番上の兄が兵衛府ひょうえふに在籍する武官であるから、その位の高さはよく分かっていた。

 兄ですら会うことを許されるか分からないほど、高い身分である。しかも――

「今この時より、そなたの護衛の任に就く。困ったことがあれば、気軽に呼ぶが良い」

 と言われてしまっては、訳が分からない。

 

 はくはくと動かしても全く音の出ない唇を、今ほど憎らしく思ったことはない。琴乃は一人、驚きと葛藤を消化することに必死になっていた。


「さあさ、着いたぞ。ここがこれからそなたのおわす『陽炎かげろう殿でん』である――火の巫女殿」


(火の巫女⁉︎ なにそれ⁉︎ 誰のこと⁇)


 ばさりと布を取られた琴乃の目があんまりにもまん丸だったので、充輝は後で何度も「黒いまりがふたつあるかと思った」とからかった。



 -----------------------------


 お読みいただき、ありがとうございます。


 牛飼童うしかいのわらわ……童とありますが子供ではなく、牛の世話をする従者です。

 くつ……靴は革で作られた洋風のものの意味があることから、このお話では沓にしております。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る