四竜皇国斎王記 〜火の章〜

卯崎瑛珠@初書籍発売中

序章 火の巫女、立つ

一話 竜人が治める国


 斎王とは、竜皇の寵愛を一身に受ける者のことであり、竜人のように人を超越した存在となる。現在まで斎王になれた巫女はいない、と思われていた――


   ❖

 

 天上から地上に降りてきた四人の竜人が、人の国を治めるに至った経緯は、争いが絶えなかったからと伝わっている。

 持たない者は持つ者を殺し、奪う。やがて持つ者となったその者を、持たない者が奪いに来る。


 永遠に終わらない戦いの連鎖に終止符を打つため、神は自然に愛され人を超えた存在である、四人の竜人りゅうじんを地上へつかわした。

 

 火ノ竜ひのりゅうほむら

 土ノ竜つちのりゅうりく

 風ノ竜かぜのりゅう花嵐からん

 水ノ竜みずのりゅう慈雨じう


 四人のうちの一人が、人の世を治めるための『竜皇りゅうおう』となり、残る三人はそれを補佐する三役となる。独裁を避けるため竜皇の任期は百年と定められ、百年ごとに火ノ年、土ノ年、風ノ年、水ノ年と順番が巡る。

 

 時が経つにつれ、竜皇が退屈しないよう、側付の巫女みこがひとり選ばれるようになった。身の回りの世話や日常会話、歌や楽器、手遊びなど、竜皇をあがめ慰める巫女のうち、竜人の寵愛を受けた者はやがて斎王さいおうと呼ばれる。


 ――ここは、四竜皇国しりゅうおうこく。豊かな自然に囲まれた土地で、様々な技術や文化を発展させてきた人間たちが暮らす、竜人の治める国である。

 

   ❖

 

 百年毎に代替わりする竜皇の性格・気質は、その治世に色濃く反映されてもいた。大地の恵み、風の運ぶ新たな種、豊かな水。だが火の代だけは、『災厄の代』と呼ばれている。


 苛烈な性格の火ノ竜・ほむらが治める百年は、人々にとって非常に過酷な時代となるからである。日照りや、山火事。水不足や、食糧不足。火ノ竜に影響されてか、短気で暴力的な人間も増えるらしい。

 人々は「生まれた時代が悪かった」と諦め、ひたすら耐え、次世代へ命を繋ぐことに注力するのだ。


(災厄の年の、はじまり……)


 からし色の小袖こそでにだいだい色の裳袴もばかま姿で、長い黒髪を背後で玉結びにした女性が、屋敷の濡れ縁に座り書状を握りしめていた。

 

 勝気そうに上がった眉に、唇は紅を引いていなくても赤い。血色の良い頬で、双眸そうぼうは大きく、黒い輝きを発している――朝比奈あさひな琴乃ことのは、十七の年を数えたばかり。正・従一位から八位まである貴族の階級のうち、従七位に位置する朝比奈家の長女である。

 

 一位から三位までが公卿くぎょう、四位から五位までが上人うえひとと呼ばれる上級貴族であり、竜皇が住まう内裏だいりへの参内さんだいが許されている。六位から八位は下人しもひとという、かろうじて竜都りゅうとに住む権利がある下級貴族だ。


 朝比奈家は、竜都の南西区画にあった。北東が上流と呼ばれる方角なので、たとえ同位でも屋敷の位置で序列が明らかである。そのような家でも、内裏から号令が発せられれば、一応書状は届く。


四火しかノ一年のいちねん』の号令、すなわち火ノ竜が竜皇に就くのは四巡目であり、火ノ年一年目という意味である。四火ノ百年の翌年が四風しふうノ一年となり、つまり四竜皇国は千二百年続いてきた。新たな巡りは必ず災厄から始まるのだが、当然琴乃にとって初めての経験である。昨夜市井しせいでは、三水みすいノ百年が終わることを誰しもが嘆いていた。


(どうなっちゃうんだろう)

 

 見上げた冬空は眩しいぐらいに青く、澄んでいる。昨夜の雪の影響もあって、風には少し湿気が混ざっているが、逆に心地よい。

 目に見える分には、まだ何の変化があったわけでもないのに、不安が胸をよぎる。


「あねさま……」


 か細い声が背後から聞こえ、琴乃は精一杯口角を上げてから振り返った。胸からくる咳を繰り返し、ぜろぜろと苦しそうな男が、布団に横たわったまま顔だけをこちらに向けている。


「ごほっ、ごほっ……さむ、い」


 琴乃は急いで立ち上がり室内へ足を踏み入れると、手早く上げていた御簾みすを下ろし、一枚格子こうしをパタリと閉めた。そうすることで、庭と部屋とが遮断され、一層静かになった空間ができあがる。

 

 琴乃は床の上を静かに数歩進み、畳の上に敷かれた布団の枕もとで膝を折りながら、横になっている男の顔を覗きこむ。琴乃と良く似た面立ちの少年の、痩けた頬が青白い。


 琴乃が火の入った炭櫃すびつを少し近づけると、少年は「あり、がと」と喘ぐように告げる。


 病床にす、琴乃の七歳下である弟の身の回りの世話が、琴乃の仕事であった。

 

 朝比奈家五番目の男だから、五典いつのり。十歳の彼が一番下で、四人の兄たちはそれぞれ妻をめとり独立しており、竜都のどこかに勤めている。二十八歳の長男は兵衛府ひょうえふに在籍する武官となっていて、代替わりの際は本家に戻ってくる手はずだ。次いで二十五、二十三、十九と男が生まれ、十七の琴乃。最後に十歳の五典の六人である。男ばかり産んだ母は、親戚筋から優秀な母体であると持ち上げられていたが、子供に全ての生気を渡しきったようで、五典の産後すぐ亡くなった。


「年が、変わり、ましたか」


 目を閉じたままの五典が問うと、琴乃はこくりと頷き書状を広げて見せる。五典はそれをうっすら開けた片目でちろりと見て、また閉じてホッと表情を緩めた。


 毎年年を越えられないと言われ続けている五典は、また少し自分の命を長らえたと思えるかもしれないが、と琴乃は切なくなる。災厄の年に病弱な弟が生きられるだろうか、と不謹慎なことを考えてしまうからだ。

 

 胸の中を覆うようなざわざわとした不安が、消えない――そしてそんな琴乃の勘は、当たることになる。


   ❖

 

 朝比奈家の当主である父から呼び出され、琴乃は離れを出て母屋もやにある父の部屋へ向かった。屏風びょうぶで仕切られた中へと進むと、しとねと呼ばれる座布団の上であぐらをかいている渋面の中年男性と目が合う。色の褪せた茶色い狩衣姿の男は、正面に置いた脇息きょうそくと呼ばれる肘掛けに両肘をもたせかけていた。

 

 琴乃が座すや否や、その男――琴乃の父は、唸るように口を開いた。

 

「琴乃……禁中きんちゅう参内さんだいせよとのおぼし召しだ」

 

 父の言葉を聞いた琴乃は、座した姿勢のまま目を見開き固まる。禁中とはすなわち、竜皇の寝所である後宮のことだ。女官として採用されるような身分や素養が自分にないことを自覚しているので、心底驚いている。


「はあ。入内じゅだいではなく参内なのがまたせぬ。なぜお前なのか、何をさせるのかは知らぬ。だが不出来なお前でも、竜皇陛下のお役に立てるならば、ありがたがって行くが良い。七日の節会せちえまでに来いとのことだ。良いな」


 五典の世話は誰が、と琴乃は問いたい。だが、いくら喉へ力を入れようが、舌を動かそうが、声は出ない。

 幼少時は普通に話していた記憶がある。いつの頃からか、喋れなくなった。理由は判然としないが、琴乃はそれを受け入れていた。なぜなら、嫁ぎ先に腐心することなく、家に留まり弟の世話をすることができるからだ。

 

 なにしろ母親がいないのだ。世話をする人間がいなければ、下級役人の家で臥せる病人など、厄介払いとばかりに見捨てられてしまうに違いない。


 琴乃はたもとから、いつも持ち歩いている紙の貼られた木の板と、木炭の細い棒を取り出す。喋ることができない琴乃が、書で意思を伝えるための道具だ。


五典いつのりを、お頼み申します』


 父はその書き付けを読むや眉間に深い皺を寄せ、手の甲をパタパタと振った。


「わかっておる」


 琴乃には、それ以上できることはない。

 平身して礼を執り、再び離れへと戻った。




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 お読みいただき、ありがとうございました。


 ときめきコンテスト参加作品となります。

 平安風の、オリジナルの世界観でのファンタジーです。

 続きが気になる! と思っていだけましたら、フォローいただけると嬉しいです。

 またこちらに簡単な用語解説も載せる予定です。


 入内じゅだい……中宮または皇后となるべき人が、正式に内裏に入ること。

 

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