第12話 潮騒

 陽が昇り始めた早朝、私は目を覚ました。見慣れないこの白い天井は・・・そうだ、アメリカ海軍の艦艇に乗り合わせていたんだ。


 重い瞼を手で擦りながら、体を起こした。


「あれ、ハンナ、コハネ・・・」


 同じ部屋で眠っていたはずのハンナとコハネの姿がなかった。シーツが綺麗に整えられたベッドと呆けた顔の私だけが、そこには残されていた。


 そういえば、今日は任務の開始の日だったか。時計をちらっと見れば、針は午前の5時を指し示していた。まだ、任務開始までは時間があるのに、二人は早起きだなぁ・・・と思いつつ、私自身も身支度を整えていた。


 船内の洗濯機をお借りして、久々に水で洗った白衣は、幾分か綺麗になったように思える。ただ、アイロンは面倒だったのでかけていない。シワにまみれたそれに腕を通した。


「あの、すみません・・・私のロボと助手を見ませんでしたか?」


 部屋を出たところに、ちょうど兵士が立っていた。拙い英語で尋ねると、兵士は艦の窓の外を指さして「Deck.」と確かに言った。


 なるほど、甲板にいるのだな。海風にでも当たっているのだろうか。


「Thank you~.」


 私は、寝ぐせを手で押さえて直しながら、甲板に出る扉の方へと歩いて行った。


 船内にはパイプや機器の配線やらが混在していて、研究室を彷彿とさせる様相である。扉も鋼鉄製で白色の無機質な感じだから、私は気に入っている。



 艦の後部甲板に出ると、潮の香りが鼻腔を突いた。私は改めて、やはり海の上に居るんだと自覚するのであった。


「あ、ぐーてんもるげん、マイスター。」


 そこには、甲板の端に座るハンナの姿があった。足を海の方に脚を伸ばしていて、今にも落ちてしまうのではないかという若干の不安を煽る座り方であった。


 私は、いつもの朝の挨拶をハンナに返した。


「ぐーてんもるげん、ハンナ。随分早起きだね。」


 私は、ハンナの隣に腰を下ろした。といっても、甲板の外側に脚を伸ばすような、そんな危なっかしい座り方はしなかった。体幹が弱い私がそんなことをすれば、海に転落しかねない。硬質な鉄の甲板の上に胡坐をかいて、腰を下ろしたのだ。


 ハンナは空色の瞳をこちらに向けて微笑み、再び、地平線の向こうにまで広大に広がる大西洋の青を臨んだ。


「はい。コハネさんのフライブーツの訓練を見守っています。」


「え・・・フライブーツ・・・?」


 眼鏡が鼻元からずり落ちた私は、海上でジェット噴射を噴かすコハネの姿を見た。白衣の上にオレンジ色のライフジャケットを身につけ、腕にライフルを抱えた彼女は、見事に宙を浮遊している。


 私は、大波と艦の音に負けないように声を張り上げた。


「コハネ!何してるんだ!?」


「あ、先輩!私もハンナちゃんと戦えるように、訓練しているんです!!」


「え!?なんて!?」


 私は、我が耳を疑った。戦う・・・?つまりは、海物との戦闘をハンナと共に行おうとしているということか。


 足元のジェット噴射の嚇怒と出力の微妙な調整を見事に操ってみせたコハネが、艦の後方甲板の上空にホバリングして、私たちの近くに無事に着地した。周囲で勤務していたアメリカ海軍兵士たちも、これには拍手喝采。「ブラボ~」と叫び、彼女を陽気に迎えたのだった。


 私は、重装備のコハネに駆け寄った。その後を、ハンナが付いてきた。


「まさか、海人と戦おうとしているのか!?まあ、フライブーツの扱いは完璧に見えるけど・・・」


 私が開発したフライブーツ。それは、ハンナ専用に製造したのだが、まさか、人間で扱える人が出るとは思わなかった。それも、身近な人から。


 フライブーツの扱いには、風向と風の強さ、地面との距離という要素が複雑に絡み合い、それを加味した上で、驚異的なバランス感覚によって制御しなければならないのだが・・・


「へへ・・・はい。ハンナちゃんと、戦友なんて、私が夢に見ていたことです・・・」


 某スライムの口の形でニヤッと笑うコハネ。腕に抱えていたライフルを降ろし、次いでライフジャケットを脱いだ。


「マイスター、コハネさんは昔、体操を習っていらっしゃったようで、バランス感覚は完璧でした。」


 ハンナは、私の背後からコハネの操縦を絶賛した。すると、コハネは顔を極度に紅潮させて、手のひらで顔を覆った。


「はぁ・・・ハンナちゃんに褒めてもらえた・・・ふふ・・・」


「でも・・・海物と戦うには、銃の扱いも習得しないといけないだろ?日本人であるコハネは、銃なんて撃ったことないだろ?」


 ジャパンでは、銃の射撃どころか所持も禁止されていると聞いた。ドイツにおいても、銃の所持には許可が必要。シーラインは政府から許可を得ているが、コハネが銃を持っている姿というのは、見たことがなかった。


 コハネは、私の話なんか上の空で、ひたすらハンナからの言葉を反芻して味わっているようだった。すると、この前、任務の説明をしてくれた兵士が私に向かって親指を立てた。


 これは、銃の扱いもバッチリということなのか?そう受け取っていいのか?


「・・・どうしても、ハンナと戦いたいのか・・・?」


「もちろんです、先輩!!私は、ハンナさんと共に在れるのであれば、死をも受け入れる準備があります!!」


「おお・・・そうか。」


 私の鼻元にまで顔を寄せたコハネ。その桃色が混じった黒瞳は、熱に燃えていた。


 私は背中の方に後退する。コハネは尚も迫る。そして、私は甲板から足を踏み外した。


「あっ・・・」


 脳と内臓が体からずれる奇妙な浮遊感に襲われた。私は、このまま大西洋の深い海に沈みゆくのか・・・しかし、それは「彼女」が許さないことを思い出した。


「大丈夫ですか、マイスター?」


「ああ・・・もう少し痩せておけば良かった・・・」


 私の腕を掴んだのは、ハンナであった。甲板の溝に足を引っかけて、小太りな私を見事に支えてくれている。しかし、私は自重に苦しんだ。腕の骨が外れそうになって、激痛に小さく呻いた。


「Oh my...」


 海兵たちの声が聞こえてきた。すると、その声と同時にハンナは私を思い切り振り上げた。


「ふん。」


「うわああああ!!」


 なんという腕力か。我ながら、娘の怪力には驚かされる。ハンナは、小さい掛け声一つで、私を落水の運命から救ったのだ。


 私の体は宙を舞って、甲板に背中から叩きつけられた。


「うっぐ・・・」


 荒っぽい救出の仕方。しかし、これはハンナなりの思いやりの結果であった。おかげで、私の眼鏡が粉砕されることは避けられたのだから。


 私はふらふらと立ち上がった。頭を打つことはなかったが、背骨の辺りが全てジンジンと痛んだ。腰をさすりながら、私は両の脚で立っている。


「だ、大丈夫ですか?先輩・・・海に落ちなくて良かったです・・・」


「ああ・・・そうだな。ありがとう、ハンナ。」


 私が苦々しく笑うと、何も理解していないようなハンナは、空色の瞳を閉ざして微笑んだ。____人間は、君みたいに強くはないんだ!めっちゃ痛かった!!


「Need help?」


「Please...」


 私に心配そうに寄った海兵に、助けを求めた。そうして、私は医務室に運ばれた。ようやく、ハンナも事の重大さを認識したようで、涙目になりながら、海兵の腕を借りて歩く私の後を追いかけてきた。


「も、申し訳ございません、マイスター!!うぅ・・・ごめんなさい・・・」



 幸い、骨折はなかった。痛みは、医務室のベッドでしばらく寝ていたら改善した。




 ____はぁ。アメリカにまで来て、腰を痛めるとは思わなかった。

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暗号名ポセイドン 猫舌サツキ @NekoZita08182

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