お札の怪

淵海 つき

お札の怪


かれこれ20年くらい前になる。


母方のじいさんが亡くなった。


ばあさんの方はすでに他界している。ばあさんが亡くなってから数年間、じいさんは一人で切り盛りしていた。

だがある日、じいさんは肺炎でぽっくり逝ってしまった。


じいさんは若い頃、自動車工場で働いていた。バブル経済真っ盛りで相当稼いだらしい。それでじいさんはいつも豪遊していた記憶がある。よって遺産金はほぼゼロ。

じいさんが住んでいた田舎の土地は売却することになった。


家の解体中に天井裏からブリキ缶が見つかった。

ブリキ缶の中には当時の一万円札、聖徳太子の肖像画の一万円札が100枚入っていた。これには親戚一同おどろいた。


母がいろいろ調べてみると、現代の紙幣に変換して使えることがわかった。

現代と言っても当時の一万円札だ。福沢諭吉の肖像画の一万円札である。


それでさっそく父親が銀行に行った。刷りたての新札100枚と交換してもらった。


そのとき10代だった私は、一万円札100枚の束に腰を抜かしたものだ。

父親にせがんで札束を実際に触らせてもらった。


実際に持つと札束は重かった。

それで何を思ったか、私は札束をつかみ、パラパラ漫画のようにめくった。

新札の良い匂いがした。手触りも良かった。

それが病みつきになり、私はもういちど札束をパラパラ漫画のようにめくった。


福沢諭吉のしかめっ面が現れては消えていく。



その中の一枚だけ。



ニイッと笑っているお札があった。



めくっているから一瞬の出来事であった。



「あれ?」


気のせいかな?


私は不審に思い、札束を一枚ずつ注意深く確認する。


しかし笑っているお札は無かった。すべて福沢諭吉のしかめっ面だ。





「気のせいか」


そう思った私は、何の気なしにもういちど札束をパラパラ漫画のようにめくった。





すると一枚だけ。


福沢諭吉がニヤアッと笑っているものがあった。




一瞬の出来事だったが、あれは見間違いじゃない。




それで私は一枚一枚を地面に並べて注意深く見渡した。


しかし笑っているお札は一枚もなかった。




奇妙なことだが、パラパラ漫画のように素早くめくっている時だけ、笑っているお札が現れる。

でもゆっくり注意深く見ると全て同じ顔だ。


私はおどろいて今見たことを父親に話した。


「目の錯覚だろう」


と父親は答えた。

それでも食い下がると父親は。


「ほら。お前もよくやっただろう。目の部分を山折りにして口の部分を谷折りにする。そしてお札の角度を変えると泣いたり笑ったりして見えるやつ」


それを聞いて私は。


「ああ、なるほど。そうか」


と納得した。



お釣りでもらった千円札とか、たまに山折り谷折りにしてある物がある。

それを見た時、私は「前の持ち主が遊んだな」と笑ったもんだ。



一瞬だけ笑ってるやつが見えた現象。それもこれが原因だろう。きっと誰かの使い古しのお札が混じっていたのだ。


私は安堵して刷りたての新札の束を父親に返した。


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お札の怪 淵海 つき @Sinkainolemon

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