第三話 ちょっと言ってることがわからないかもです

 リューアの体が恐ろしいほど近くに迫ってくる。

 ついに吐息がかかり、もはや俺は何もできず固まるのみ――。 

 

 と、そのとき。

 

 バァァァァアアアンッッ!!

 

 とてつもない勢いで、部屋のドアが開かれた。


「あぁっ、リューアがリスタさまを……」

「ずるい! 抜け駆け禁止! はやく離れなさいリューア!」


 ドアからずかずかと入ってきたのは、リューアよりも背の高い二人の少女だった。彼女たちも同じように、白と黒で同じ見た目のメイド服を着ている。


「えっ、なんでこんなところにルミニア姉さまとシェーラ姉さまが!? 朝のお仕事に向かわれていたはずでは……!?」


動きを止め後ろを振り返るリューアが、慌てて声を上げる。


「もう終わったわよ! いちばんちびっこのあなたにリスタ様は任せられないから、戻ってきたの!」

「そう。リューアはいつも独り占めしようとする……」

「それは姉さまたちも一緒でしょう! ……ひあっ」


 俺に迫ってきていたリューアの体は、片方の少女によって持ち上げられ離れていく。

 ジタバタと手足を動かすが、背丈があまりにも違いすぎる。


「は、な、して……!」

「駄目。リューアはこのまま私の部屋に……」

「いや待って下さいシェーラ姉さま! それだけはっ……!」

「それじゃ、行こっかリューア」

「なぁぁぁ……! リスタさま! またあとで――!」


 そう残して、シェーラという名らしい少女とリューアはドアの外へと消えていった。

 閉まったドアを呆然と見ていると、


「リスタさま、申し訳ありません。あとでリューアにはよくよく言っておきます」


 部屋に残っていたルミニアと呼ばれた少女が、厳かな口調で言った。


「え、あ、うん――」


 と、何気なく首を回して横の少女を見ると。


「あぁぁっ……!?」

「ど、どうなさいましたか、リスタ様?」

「もももしかして……朝俺の布団に潜り込んでたひと!?」

「はい、そうですが、それがなにか」


 忘れていた記憶が一瞬で蘇る。

 そういえば俺は、寝ていたところをこのひとに起こされたんだ!

 彼女の顔は、まさに今朝、俺が布団のなかで見たものだった。

 そのサファイアのような蒼碧の瞳と、凄絶なまでに美しい白髪を忘れるはずがない。


「俺の耳に息吹きかけて起こしたひと……?」

「はい」

「俺のほっぺに……キス、したひと?」

「はい、それも私です」

「俺に、その……えっと、なんていうか……」

「ふふふっ、かわいいです、リスタ様。言わなくても大丈夫ですよ、私は分かっております」

「分かってるって、何を……?」

「それはもちろん、私がリスタ様を襲っ……いえ、添い寝をしたんです」


 ……いま襲ったって言いかけなかった?


「そうは言っても、あれはリスタ様が直々におっしゃったことですよ?」

「あれ、って、一緒に寝ること?」


 途端に彼女は満面の笑みに。


「はい! 昨日リスタ様が私の部屋にお越しになって、『今日はルミニアといっしょのふとんでねたい』と! 私はまちろんと答えましたよ! あのときのリスタさまは、もじもじしていてなんとも言えないかわいさが……! 今でも脳裏に浮かんできます!」


 なにそれ俺そんなこと言った記憶ないんだけど! というかセリフまで再現するのやめて!


「ご、ごめん、俺いま記憶があやふやで……。昨日何をしていたかも分からないんだ」

「えっ」


 彼女は短く驚きの声を上げた。

 すると俺の手を取って、


「それは大変じゃないですか! やはり、私のせいで……? 申し訳ありませんっ!」

「いや、それはない……と思うから、謝らないでくれ。今はべつに気分は大丈夫だし」


 彼女はもはや泣きそうな顔をしている。


「いえ、リスタさまのご命令とはいえお体に障ってしまったのは事実です。このルミニア、どんな処分でも受け入れます!」

「ほんとに大丈夫だから」

「リスタ様、どうぞ私を断罪して下さい!」


 いやほんとに……リューアといいこのルミニアといい、うまく話が通じなくて困ったものだ。


 俺は決して、「『リスタ』としての記憶を失った」と伝えたいわけじゃない。

「『リスタ』とは別人だ」と伝えたいのだ。

 先ほどから、彼女たちは俺を『リスタ』と呼ぶが、俺はそんな人間ではない。

 同時に、ここがどこなのかも、なぜこんなところにいるのかも知らない。

 見たこともない立派な洋風の建物、リスタという名前。この二つを掛け合わせてしまえば自ずと答えは出る。


 ――これは……ラスクロの内部……?


 そう思ってしまうが、あまりにも現実味がない。

 二次元での話だ。何の根拠もなく作り上げられた幻想、妄想に過ぎないのだ。

 しかしそう否定する一方で、俺は他の原因を見つけることができない。

 いよいよ観念して、直接問うてみることにした。


「あの……謝るのはいいから、ちょっと聞きたいことが」

「リスタ様、それは命令でしょうか?」

「あー……うん、命令めいれい」


 よくわかんないけどそういうことにしておく。


「了解しました。はい、なんでしょうリスタ様!」


 彼女はその言葉とともに背筋を正す。

 目がきらきらと光っている。少し前までのしゅんとした様子は見る影もない。

 ここまで切り替えが早いとちょっと怖い。


「えぇーと、つかぬことを聞くんだけど……『日本』って国、知ってる?」


 俺がそう口にしたのはある種必然だった。

 ただでさえ意味不明な状況なんだ。とりあえずここがどの『世界』なのかを理解しなければ、何もできない。

 彼女は俺の問いに、少し考えている。


「にほん……ですか……」


 困った顔になる彼女。

 数秒ほどうんうん唸っていたが、やがて出てきたのはもう分かりきった答えだった。


「……すみません、そのような国は存じ上げません」

「そっ……か。うん……」

「お役に立てず悲しいです。その国がどうかしたのですか?」

「あ、いや、聞いてみただけだから気にしないでくれ」


 やはり――彼女は日本を知らなかった。

 見たこともない部屋に寝ていた時点で、なんとなく疑っていたのだ。もちろん理由として、メイドなんて架空の生き物だと思っていたことも、ないわけではないけど……。


「リスタ様、お顔がよろしくありませんよ。やはりまだ調子が戻っていないのでは……?」


 ルミニアが腰をかがめて俺の顔を覗き込む。その瞳は藍色を伴って見つめてくる。

 先ほどまでの明るい感じが嘘のようだ。


「そ、そうか……」


 そう言われても、自覚はない。寝起きということで多少ぼんやりとするが、だるさや痛みは微塵も感じない。

 額に手を当ててみたところで、ふと思い当たる。

 俺は今、どんな顔をしているんだ?

 リューアやルミニアたちが呼ぶ「リスタ」。自分の顔のはずなのに、俺はまだ一度も見ていない。


「あのさ、もしあったらでいいんだけど……鏡を見せてくれないか?」

「は、はいっ、分かりましたリスタ様」


 言うと、彼女は何故か俺から離れて部屋の中心、ベッドの正面に立って、何故か両手を前に――斜め下に突き出した。


「いま出しますねっ」

「え?」

「ぐむぅぅぅぅ……」


 出すって、なにを? 手から? 口から? いやもしかして……?

 俺が困惑しているのも一瞬だった。

 ルミニアの両手から緑色の光が溢れ始める。

 小さな粒の集まりで、彼女の腕に巻きついていく。


「うぬぬぅぅぅぅっ……」


 目をつぶり眉を寄せて、何やら必死に……念を込めているように見える。

 謎の行動と異様な光景に俺が呆けていると、突然彼女が、


「……ディストーション・オープンっ!」


 とよく分からない言葉を叫んだ。

 すると緑の渦はそれに反応するかのように光を放ち始めた。

 数秒すると、部屋を緑色に包んでいた。


「ちょ、ちょっとこれどう――」


 何が起きるのか心配になった俺は、思わず彼女に尋ねようとしたが。

 ドウゥゥゥゥン――。

 低く大きい音が響いて言葉を遮る。

 同時に床がまばゆく光って、一面に直線と曲線で模様が描かれていく。

 それはまるで、魔法陣のそれだった。

 最外部が結ばれたとき、幾何学模様がカッと白い光を放った。


「っ……!」


 とっさに目をつぶる。

 なんだ……なんなんだあれ!? 床が光るってどうなってるんだ……!?


「リスタ様? もう大丈夫ですよ、目を開いて下さい」


 ぎゅっと目を閉じていたら彼女がそう言ったので、おそるおそる開く。

 いつの間にか、先ほどの模様と光はなくなり、元の状態に戻って――


「すみません、私の召喚術はいつも派手になってしまうんです」


 ――いなかった。


 手を突き出したままのルミニアの前に、ぽっかりと穴が空いている。

 空中に、穴が空いている。


 え……え?


 あんぐり口を開く俺を気にした様子もなく、彼女はその穴に手を突っ込んだ。

 俺からだと彼女の手が半分消えたように見える。


「うわっ、それ大丈夫なのか……?」

「はい? 大丈夫ですが……。も、もしかしてリスタ様、私のことを心配なさっているのですか? それには及びません、私はリスタ様の手足ですから!」


 何かを漁るようにごそごそと手を動かしながら、嬉々とした表情に変わるルミニア。


「て、てあし?」

「はいっ! どんなこともやって差し上げる手足……そして常に苦楽をともにする一生涯のパートナーです!」


 いやそういうことを聞きたいんじゃなくて! 単にそんなものに手を入れて怪我しないの心配になっただけなのに。

 というか……一生涯のパートナーって、自分の意思で決められるものだっけ?


「リスタ様のためならば、このルミニア、裸になってでも受け入れます! いえ、犬になってでも従いますっ!」


 その目は爛々と輝いている。ここまで言われる理由がまったく分からない。


「あっ、ありましたよ、鏡」


 そう言うと、彼女の手が穴から出てきた。

 そこには言葉通り、鏡――ただし額縁サイズ――が掴まれていた。


「……なんでそんな大きいのを……?」

「そうですか? 水晶鏡のなかでは一番小さいのですが……はいどうぞ、リスタ様」


 ルミニアがベッドの横に戻ってきて、「水晶鏡」なるものを手で渡す。

 四角いそれを両手で受け取ると、


「ありがとう……ってうわわっ」


 ありえないくらいの重さだった。持つことはできず一瞬で取り落とす。

 この人、こんな重いやつを片手で持ってなかったか……? 胸にだけるほどのサイズだが軽く十キロはあるだろう、みかん箱のように重い。

 ベッドに沈んだそれは、縁に月桂樹のようなツタの装飾が施されていた。

 ひっくり返してみると裏面も同様だったが、そこで俺は思う。

 水晶のくせに黒いんだけど……鏡じゃなくない?

 縁取られた部分は表も裏も真っ黒だった。これでどうやって映すというのだろうか?

 何もできず困った顔でルミニアを見ると、


「し、仕方ないですね……もうっ、リスタ様は魔道具が苦手なんですから……」


 と、眉を寄せながらも口元を緩めてもにょもにょ漏らした。

 ルミニアの手が伸びて、黒い四角の上に載せられる。

 途端、青い光がパァァと放たれる。


「はい、できましたよ」


 手がどかされると、黒かったはずの四角は今や色を失い、その中に天井を映している。

 俺はごくりと唾を飲んで、鏡を覗き込んだ。

 俺はそこに、自分を見つけることができなかった。

 映っていたのは、見覚えのある少年の顔。

 このときになってようやく、確証を得られた。

 俺は異世界にいるんだと。

 この少年に、転生したんだと。

 鏡の中に映るのは。

 夜空のように深い紺色の髪。前髪で少し隠れた、空色の瞳。白く瑞々しい肌。子犬のような表情。


 プレイ中に何度も見た。

 

 まだ幼い顔立ちの少年。


 あぁ、こいつが――『リスタ』だ。

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大貴族の息子に転生した俺は、七人のメイドに甘やかされて無自覚最強 〜この異世界に【革命】を〜 夕白颯汰 @KutsuzawaSota

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