第3話 『エラー人間』との旅立ち

 連休も終わり、平穏な日常が戻ってくると思っていたが、現実というのはうまくいかないものらしい。

「最終通告:エラー人間はこの世から消えろ」

 なんて黒板には堂々と書かれているし、

「あら、先生が来たわね。まぁいい、気にせずつづけるのよ」

「エラー人間など世界にいらない!」

「この世から出ていけ」

 訴田さんを囲み暴力に暴言を浴びせる児童たちに

「はぁ……」

 何も言い返せない彼女。

「おい。いじめはやめろって言わなかったか」

 俺も我慢ならなくて、声が出る。

「やめないよ、楽しいから。先生がこの前言ってくれたおかげで隠れてやる必要も無くなったんだもん。みんな、先生なんて気にしなくていいからね」

 三つ編みの子から、堂々と宣言をされる。さらに激しい暴行に俺は何も手出しができなかった。


 今日は災難な一日だった。

「せんせぇ」

 なんて訴田さんに声をかけられたと思ったら、

「どうしたの?……なんて気楽に言えないよね、ごめん」

「これみてよ」

 と全面に針で穴をあけられまくった下敷きを見せられたこともあれば、

「せんせー、訴田の給食がありませーん」

「訴田さんが来る前にお前が全部食べたの見たからな」

 なんてこともあった。

 どうしたものかと思いながら事務作業を終わらせて、定例の職員会議へと向かう。そこで、さらなる災難が待ち構えているとも知らずに。

「五年生クラスにて、いじめがあることが発覚しました。さらなるトラブル防止のため、担任の佐藤を七月をもって他校へと転勤とします」

 教頭から一言だけ、通達があった。

「なぜ俺が転勤になるのですか」

 とっさに出た反論もむなしく

「担任がいじめに加担する行為を防ぐためです、ご理解を」

 と一言で済まされてしまう。

「二学期より新しい担任を割り当てますが調整のため、明日より臨時で昨年度の担任に担当してもらいます。佐藤はクラスに近づかないように」


 マンションの一室で俺は一人泣いていた。誰にも見せられない、あの涙を。

 幼馴染の友達をなくした、あの出来事を。

 彼は中学校に入った直後、いじめられた。

「成績優秀の陰キャ、ガリ勉、ひょろがり」

 なんて言われてのだったか。俺は相談相手になってあげたのだが、返事を間違えてしまった。

「でも言われていることは事実だろ。そこは逃げずに直視しなきゃ。ちゃんと直せばみんなと仲良くなれるんじゃね」

「……そんなことできたら、苦労しないよ」

 その一言を最後に、彼とは口を聞かなくなり、最終的には他県へと引っ越してしまった。

 俺は反省した。もう二度と被害を出さないって心に誓った。いじめが発生しないように小学生の段階で教え込みたいなんて思って教員にもなった。あと少しだと思った瞬間、俺は過ちを繰り返してしまった。

 もう、あのクラスへは戻れない。当分事務作業だけで職員室を出ることも許されない。

「前の担任ははクラスの子と一緒になって訴田さんをいじめていた」

 みたいな話を初めて彼女のことを聞いたあの時、聞一先生も言っていたっけ。おそらく彼女はまた同じ担任に戻り、大人たちから隠れながら苦しい思いをし続けるのだろうか。俺はまたいじめで大切なものを失ってしまうだろうか。


 職員室から出られずひたすら事務作業を続ける日々を繰り返して数日が経った。今日も相変わらずパソコンとにらめっこし続けるだけの日々だ。

 訴田さんはどうしているだろうか。あの日から例の件が教員の間で話題に上がることはなくなったけど、俺からしたらいじめがなくなったわけではないのは明白だ。一人がいじめられていても周囲は何も気にせずに世界は回っていく、それがこの世だと思うとなんだか心が締め付けられる。

 今頃彼女はどんなひどい目にあっているのだろうか。あんなに俺を信頼してくれていたのに……そうだ、彼女は俺を信頼してくれている。それがどれだけ嬉しいことか。その期待に応えることがどれだけ重要か。こんなことではいけない。

 ふと湧いてきた決意に答えるかのように、クラスの児童たちの個人情報ファイルが目に入った。これなら訴田さんの住所がわかる、彼女に手紙を出そう。休日に喫茶店で待ち合わせをして、じっくり話し合おう。教員としてではなくあくまでも一個人として会うだけだ。これなら学校も文句は言えまい。

 ここまで決まったらできることは一つ。ただ動くだけだ。


「ごめん!訴田さんのことを守ってあげられなくて」

「いいよって言ってあげたいけど、よくないよ」

 休日の昼間、誰もいない静かなカフェに会話が響き渡る。

「あの時のようにはさせたくない。その思いだけで呼び出しちゃったりしてごめん、でも先生にできることなんか……あったり、しない?」

 いけない、自分を否定してしまったら彼女に示しがつかない。

「……せんせぇについていきたい」

「どういうこと?」

 俺は彼女のか弱い声に聞き返した。

「クラスの子たちを否定することはできないの。わたしも加害者側に回っていたかもしれないんだし。なら、わたしが過ごしやすい所へ行くだけ。せんせぇ、転校するんでしょ?」

「転勤、な」

「ならわたしもそこへ転校したい。それなら、せんせぇもいて安心でしょ?」

「なるほどね。できるかどうかはわからないけど、チャレンジしてみようか」

「ありがとう。わたしね、せんせぇに呼ばれたとき、とっても嬉しかったんだよ?希望の光みたいな感じで。結果的にわたしを助けてくれたじゃん、ありがとね」

 か弱い声はだんだんとしっかりとした声になってきて、俺に届く。そうだよな。俺ができることなら、何でもやってやろう。

「なら早速行動だ、いろいろ調べてみるからいったん解散だ。時間がかかるかもしれないけど、待っててね」

 こうして二人でカフェを出た。輝かしい日光にこれからの幸運を願いながら。


 その気になったらあっという間に月日が過ぎ、九月に入った。俺は新しい学校でうまくやっている。今年度はお手伝いさんみたいな立ち位置だけど、ある程度いろんな児童と関われている。

 良かったことといえばもう一つあった。二学期から訴田さんがこの学校に転入してきたのだ。転校直後にはこんな話もした。

「せんせぇ、聞一せんせぇに会えないのがさびしいよ」

「そうだな。でも、今は君の安全と安心が第一だよ」

「またいじめられたら、どうしよう……」

「いじめられたからってなんだ。突然車にひかれて怪我をした人に無理をさせるか?それといっしょだよ。仕方がないものさ、自分を責める必要はない。また一緒に転校すればいいだけだよ」

「自分を責めない、ね。わかったよ」


 今日も一日の授業が終わったら、

「せんせぇ、おまたせ」

 なんて小さい顔なりの笑顔を見せてくれたりする。彼女には毎日帰り際、声をかけている。

「また明日も、いっぱい話そうね」

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ヒューマンエラー 冬野 向日葵 @himawari-nozomi

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