第2話 『エラー人間』との対話

 翌日の早朝。少し早めに出勤すると、空き教室のほうから声が聞こえてきた。

「あの、エラーの何がいけないの?」

「エラーって意味、本当に知ってる?失敗、正しくない、欠陥品。そっか、知らなくて当然だったね。あんたは『エラー人間』なんだから」

 この前聞いた『エラー人間』の言葉が引っかかる。まさか怪談ではなくいじめの話だったとは。

「そ、それは知っているんだけど、そんなに悪いことなのかなぁ?」

「悪いに決まってるでしょ。それすらも分からないのね」

 どんどん追い詰められていく『エラー人間』こと訴田さん。俺は自然と空き教室のほうへと向かっていた。

「うぅ……」

 授業中の堂々とした様子からは想像のつかない彼女のか弱い声が聞こえる。駆け足になっていた俺は、声の聞こえる教室の扉をぴしゃりと開ける。

「訴田さん、来たよ」

「せんせぇ……」

 その瞬間彼女は猛ダッシュで廊下へと逃げ出していった。今ここにいるのは二人だけだ。

「先生、どうしたんですか?私は『エラー人間』を正そうとしていただけなんですが」

「訴田さんが苦しそうに見えたんだけど?」

「訴田?あー、あの人のことね。『エラー人間』は出来損ないなんだから、私たち常識人が何をしても許されるんですよ。悪いのはあっちなので」

 そうか、そうなのか。こいつには手加減しなくていいな。俺は喉を震わせて叫んだ。

「悪いのはお前だ。よく聞け。誰が相手でも人を傷つけることは許されないんだ」

 俺の全力の大声が教室中に響き渡るが、一番その声を届けたかった相手は動じず、

「それって大人の建前よね。あまり小学生を舐めないほうがいいわよ」

 ただ一言を残して教室から去っていった。


「――ということがありました」

「お疲れ様です。佐藤先生」

 とりあえず保健室の聞一先生に報告をしておこうと思ったが、結局放課後になってしまった。

「それで訴田さんと話がしたいんですけど」

 彼女が心配だ。その一心で聞いてみたのだが、帰ってきた返事はかき氷以上にあっさりだった。

「それはまだできないわ」

「え、なぜですか?今日もここにいるんでしょう?」

 カーテンレールは締まっている。彼女がここにいるとみて間違いはないはずなのに。

「まだあの子は佐藤先生のことを、怖がっているの。さっきの話を聞いた感じ、あなたに反応して逃げ出したのだと思うわ」

 結局まだ信頼はされていないってところか。ならここに用はない。

「俺もまだまだですね」

 そう言ってそそくさと保健室を去ろうとすると、聞一先生に呼び止められた。

「訴田さんと話したい?」

「それは……正直、とてもしたいです」

「ならその思いを買って特別にいいわよ。ただし、私の立ち合い付きでね。あの子には信頼できる大人が必要なの」


「つらい、怖い、今すぐ逃げだしたいよ」

「私もついているから、安心して。何かあったら守ってあげるからね」

 こうしてカーテンレールの向こう、夕日が入る二台のベッドに腰かけて向かい合う形で、俺と聞一先生、訴田さんの三者面談が始まった。それにしても、俺って本当に信頼されていないんだな。

「突然で悪いんだけど、先生は訴田さんのことを守りたいと思っているんだ」

 相手の信頼を得るには自分から話しかけること。子供相手の対応で学んだことの一つだ。

 すると彼女は間を置かずに返した。

「本当に?わたしなんか守ってもせんせぇにいいことないよ?おかしいところいっぱいだよ?」

 俺も間を置かずに返す。

「変なところがあるからってなんだ。誰だって守られる権利はあるんだよ」

「わたしのこと『エラー人間』だって思わない?」

「思わないよ」

 すると彼女はちょっとうつむいてしまった。しばらくの無言が続く中、俺の返事の仕方が悪かったのか不安になってしまう。

「大丈夫だよ、訴田さん。佐藤先生は、ちゃんと反省してくれているから」

 声を出したのは聞一先生だった。それに応えるように訴田さんもわずかながら笑顔を見せている。しかし反省?いったい何の話だろうか。

「わたしのこと『エラー人間』だって思わない?」

 訴田さんからもう一度同じ質問が。先ほどとは違う返事のほうがいいのだろうか。

「しゃぶしゃぶが好きなの、変だと思わない?」

 さらにもう一言。しゃぶしゃぶ?……そうか。昨日の討論のことか。

「それはね、ごめん、変だと思う。普通は焼肉かお寿司を選ぶからね。だけど訴田さんのことを守るのと何の関係がある?訴田さんがどれだけ変わった子でも、先生は君を守るだけだから」

 あの時のことを思い出しながら思ったことを素直に並べてみた。

「……続けて」

 彼女はちらちらとこちらを向きながら促してくる。これ以上一体何を言えばいいのか?

「これは先生が勝手に思っているだけなんだけどね。どれだけ変わっていても、どれだけいじめられている子でも、周囲がいじめることがその子にとって一番悪いから。それでおかしくなるのは別に仕方がない、そう思うかな」

 あの時のことを思い出しながら言葉をひとつづつ紡ぎだしていく。

「こんなもんでどうかな?」

「いいよ。よろしくね、佐藤せんせぇ」

 彼女は少しだけ明るくなった声で、そう告げた。

「訴田さん、ちょっと人間不信みたいなところあるからね。よかったわね、二人とも。佐藤先生、こういう時はちゃんと本音を伝えなきゃだめよ。建前だと思われるからね」

 聞一先生が続ける。そして、訴田さんから声を掛けられる。

「せんせぇ、一言いい?」

「どうしたの?」

「わたしね、すごく怖かったの。せんせぇも、他の子たちも。父さんや母さんも話に乗ってくれないし、聞一せんせぇだけが頼りだったの。さっきの話も、せんせぇを信じてもよさそうか試してみただけだよ、ごめんね。そしてありがとう、せんせぇ」

「こちらこそ心を開いてくれて、ありがとう」

 俺はそれしか言えなかった。


 それから二週間ほど過ぎた。訴田さんとの信頼関係の構築は好調に進んでいる。

 さて、今日は大仕事だ。

「今日はクラス全員に対して話があります」

 クラス全員がいる終わりの会の時間で、彼女に対するいじめのことをはっきりと注意するのだ。

「訴田さんのことなんですが」

 この一言で教室全体がざわつき始める。

「……皆さんのやっていることは、いじめと呼ばれるものになります」

 さらにざわめきが大きくなるが、俺はなるべく淡々を意識して続ける。

「いいですか。いじめは、いじめたほうが百パーセント悪いんです。誰もがいじめられない権利を持っているんです。いじめられて当然の人なんていません」

 ガヤがどんどん大きくなっていく。このままでは俺の声がもみ消されてしまう。

「いじめは、やめましょう」

 たった一言、大きな声で訴えた。

 その瞬間を境に俺も含めた全員が静まり返る。最後に一言、付け加える。

「明日から連休です。みなさん笑顔で来てくださいね、それではさようなら」

 みなさん、当然訴田さんもだ。クラスの児童たちも真面目に聞いていたみたいだし、連休明けには解決しているといいな。

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