ヒューマンエラー
冬野 向日葵
第1話 『エラー人間』との出会い
「ねぇ、先生って例のうわさ知ってる?」
初めての授業を終えた夕方、新しく担当することになったクラスの三つ編みの女子児童からいきなりこんなことを言われた。
「まさに壊れた『エラー人間』のはなし。聞いたことない?」
学校の七不思議みたいなものだろうか。たしかに高学年にもなればそういうのにも興味がわくころだろう。こういう時はちゃんと話を聞くことで子供との仲が深まる、らしい。
「先生は聞いたことないな、初めて先生になるし。せっかくだから教えてもらえるかな」
こう話しかけると予想通りその子は目を輝かせて話し始めた。
「『エラー人間』っていうのはね、すべてが狂っているの。好きな食べ物はピーマン、嫌いな食べ物は焼肉、とにかく色々とオカシイの。近づいちゃダメ。出会ったら最後、自分までエラーにされるらしいよ。先生もちゃんと逃げるんだよ?」
「わ、わかった……教えてくれてありがとう」
ずいぶんと子供っぽい怪談だな。第一狂った人間ってなんだよ、エラーにされるってどういうことだよ。でも、そういうのに惹かれる年頃なんだろうなぁ。そういえば俺が小学生の時もクラスの女子たちが盛り上がっていたような気がするな。まぁ話題のタネにはできるだろう。とりあえずメモしておくか。
今日は一時間目から児童に自由に発言させる討論の授業をする。初めてのこともあり、うまく仕切れるか不安だ。
「今日のテーマは『運動会の後に食べたいのは焼肉かお寿司か』です」
テーマを発表した後もクラスはあまり騒がず、静かに聞いている。よくできたものだ、俺が中学生の時なんか……なんて思いながら授業を進める。
「僕は焼肉のほうがいいと思います。なぜなら、疲れた時こそおいしいものを食べて元気を出したいからです」
「私はお寿司のほうがいいと思います。なぜなら、疲れている時にはあっさりしたものを食べたいからです」
児童たちがそれぞれ必死に考えた原稿を読んで、討論が始まる。結構スムーズに進んでいた。
「お寿司派に質問です。焼肉のような濃い味のほうが食べたあと元気になれると思いますが、どうでしょうか」
「まだお寿司派で発言していない人の中で、訴田さんどうぞ」
「わ、わたしは……」
この女子児童が発言するまでは。
「正直、疲れている時は肉のほうがいいと思うんだ。でも焼肉は味が濃すぎるよ。もともと脂っこい肉に醤油のよぉく効いているタレ、肉が味わえないよ。しゃぶしゃぶとかが丁度よいと思うな」
教室に春のすずしい風が吹き抜けると、クラスの空気は一変した。 訴田さんを除くクラスの児童全員が彼女をにらんだ。とりあえず、ここは空気を変えなければ。
「訴田さん、今回はあくまでも『焼肉かお寿司』だからどっちかから選ぼうね」
俺がそう言うと、教室から
「そうだよね。ちゃんと話は聞かなきゃ」
「しゃぶしゃぶなんて、変わった趣味ね」
なんて聞こえてきた。しかしそんな空気感とは対照的に
「えー、いいじゃん。わたしはしゃぶしゃぶがいいと思う。それじゃだめなの?」
なんてとぼけている。同時に俺は思った、「この子社会で嫌われるヤツだ」。ここは彼女のためにも丁寧に説明をしよう思ったのだが……
「あれ?訴田さんどこに行ったの?」
「なんかトイレに行っちゃったよ。黙って言ったのは後で僕から注意しておくから」
「わかった。とりあえず討論の続きをしようか――」
討論が終わっても、昼休みが終わっても、授業が全部終わっても、彼女が教室に戻ってくることはなかった。
その後は雑務に追われ、ようやく帰宅の時間になった。当然児童は全員帰っているし、外も真っ暗だ。夜の廊下を歩き帰路につこうとすると、まさかの人がいた。
「あ、訴田さん。どうしたの」
声をかけた瞬間素早く走り去り、暗い廊下の奥のほうへと消えていった。こんな時間まで学校にいてどうしたんだろう。ちゃんと指導しないといけないと思いながら、恐る恐る廊下を進んでいく。
廊下を進んでいくと、一つだけ照明の点いている部屋があった。ゆっくりとノックし、勇気をもってドアを開けたら、
「あら佐藤先生、お疲れ様です」
誰かいた。白衣で長髪、確かこの人は聞一先生だったはず……ということは、ここは保健室なのか!?落ち着け俺、保健室なら初めてこの学校に来た時にも来たはずだ。その時の場所は、えーと、確かにここだ。
「あの、訴田さんはここに来ませんでしたか?」
とりあえず聞いてみると、奥のほうから物音が聞こえる。きっと保健室にいるのだろう。
「一応ここにいますけど、会わせることはできません」
「え?」
訳が分からない。あの子は確かにここにいて、でも話をすることもできない。一体どういうことなのだろうか。頭の中が混乱している俺を横目に保健室の聞一先生は続けた。
「彼女はあなたに会いたくないんです。避けているんです」
つまり指導が気に食わなくて拗ねているってところか。つくづく社会で嫌われそうなヤツだな。
「やっぱり丁寧に指導しないとな」
「おそらく想像しているのとは違います。佐藤先生、お時間よろしいですか?」
「大丈夫、ですけど」
「なら、丁寧に説明します。長話になるのであがってください」
そういって保健室の中へと促される。
保健室の中は教室よりも広いが、様々な用具や資料が置いてあり狭く感じる。その奥はカーテンレールで区切られている。
「区切りより向こうには行かないでくださいね。訴田さんがいるんで気を使ってください」
そして部屋の中にあるソファの一つに案内される。
「新任のあなたには少し荷の重い話になると思うけど、頑張って聞いてちょうだい」
俺には分からないあの子の話。一体どんな話が待っているのだろうか。
「訴田さんはね、ちょっと特殊な境遇の子でね。彼女も結構大変なのよ」
「何が、あったんですか」
「訴田さんは三か月前、ちょうど三学期に入ったころに転校してきたの。彼女の両親はもう高齢で、ずいぶんといろいろなことを教えたみたい。そしたら知識が偏っちゃって、同年代の子とは大きく違った趣味嗜好を持っているのよ。転校生ということでクラスの注目を浴びたけど、そのせいで他の子達から距離を置かれちゃってるみたいで」
「当時の担任の先生は何かされなかったのですか。ほら、最近は一学年一クラスでクラス替えもないですし」
「それがね、前の先生なんだけど、他の子と一緒になって訴田さんをからかっていたのよ。必死に抵抗する訴田さんを前に『からかわれて当然』なんて言っちゃって、それから保健室で相談に乗ってあげているの」
淡々と語られていくあの子のことに対して、頭が固まった。全然距離を置かれているようには見えなかったから。
「他の子たちとも会話しているように見えましたけど、解決したんですよね」
「さっき、距離を置かれているっていう風に言ったけど、半分嘘。本当はね――いじめられているの。今も、水面下で。親はもう年老いるから相談にも乗ってもらえず、可哀そうね」
「学校としては対処とかしないんですか?」
「本当は対処しないとなんだけど、教頭が隠しとけって。いじめがバレたら教育委員会に怒られるからってさ、仕方がなく私一人で行動しているわけ。彼女も大変よね、『エラー人間』なんて呼ばれて悪口を言われているみたいだし」
どこかで聞き覚えのある言葉にすこしヒヤっとする。
「『エラー人間』、聞いたことあります」
「佐藤先生も訴田さんのこと、少しは知っていたの?」
「いえ、怪談のような、うわさ話のようなノリでほかの児童から教えてもらいました。『近づいちゃダメ。彼女からは逃げろ』って聞きました」
「いい?あの子は大人たちの前では取り繕って元気そうに生活しているけど、私の前では苦しい姿を見せているの。新任には大きな負担かもしれないけど、訴田さんを大切にしてあげてくれない?……まぁ、別に強制はしないけどね。あくまでも一人の大人としてのお願い」
その言葉を聞いたとき、中学生の時のあの瞬間を思い出した。
「はい。嫌われそうとか思ってごめんなさい」
その一言は、自然と口に出た。
「よく言えました。そういうのが大事なのよ、教師って仕事はね」
「彼女のために、全力を尽くします」
「ありがとう。じゃあそろそろ保健室も閉じなきゃだから、帰ってくれる?」
「わかりました。こちらこそ教えてくださり、ありがとうございました」
そうやって会話は終わり、帰宅することにした。
「――がんばってね、佐藤先生」
かすかに聞こえたその声を胸に、家へと向かって歩き出す。
街灯がまぶしくて輝いて見えたのは、ここだけの話。
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