ショートショート「龍の落とし物」

十文字ナナメ

ここは交番

 犬のおまわりさんのもとに、迷える子羊がやって来た。ただし、後者は比喩ひゆである。


「ごめんください」

 低い声がして、犬はギョッとした。だが職務上、応じるしかない。


「これはりゅうさん」

 見上げると、鋭い目に射抜かれた。


「落とし物をしたんですが、来てませんか」

「落とし物。どんなものでしょう」

うろこです。ほら」

 龍は体をねじってみせた。


「あ、本当だ。ここですね」

 確かに、鱗が一枚だけ抜け落ちていた。


「鱗の落とし物なら、確か届いていたはずです。ちょっと待ってください」

「一枚くらい、なくても構わないんですが、落ち着かなくて。今日も、満員電車でここを触られて、そわそわしましたよ」

 奥をあさりながら、犬は気になった。今日の龍は、やけに口調が丁寧だ。


「あっ、ありましたよ」

 落とし物の箱に、確かに入っていた。サイズといい色といい、龍の鱗に間違いない。ただ、さっき見た龍のほかの鱗とは、どこか違う気もする。


「本当ですか。これでラッシュも安心です」

 犬は鱗を取ろうとした。これを渡せば、一件落着だ。が、龍の言葉を聞いて、思わず手を止めた。


「何せその乗客というのが、とらだったんですからね。もうこりごりですよ」

「えっ、虎さん? まさか」

 虎といえば、龍とは不倶戴天ふぐたいてんの敵同士ではないか。その虎とみくちゃになろうものなら、まさに一触即発の事態だったはず。


「よくケンカになりませんでしたね」

 ほかの乗客は、生きた心地がしなかっただろう。


「それが、不思議と耐えられました。妙なこともあるものです」

 妙なこと? 本当に、それだけだろうか。何か重大な、からくりがないか? 龍が虎に押されても、怒らなかった理由――。


 天啓てんけい。犬は落とし物箱から手を引っ込めた。


 手ぶらで戻った犬を見て、龍は首をかしげる。


「どうしました。私の鱗は」

「それが、どうもこちらの勘違いで、届いていませんでした。大変申し訳ございません」

 深々と頭を下げる犬に、龍は困惑する。


「そうですか。うーん。仕方ありませんね。鱗の一枚くらい、諦めることにします」

 こうして、やけに優しい龍は、へと帰っていった。


         ×


 犬は冷や汗をぬぐった。まだ、心臓がバクバクいっている。


「危ないところだった。もうちょっとで、渡してしまうところだった」

 例の鱗を、改めて見つめる。


「これは職務怠慢たいまんではない。龍さんには悪いことをしたが、平和のためには、やはりこうするのがいいだろう」

 犬は箱の中の鱗――怒りの引き金となる逆鱗げきりんを、ゴミ箱に捨てた。

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ショートショート「龍の落とし物」 十文字ナナメ @jumonji_naname

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