掴めない二人

玄瀬れい

掴めない二人

 ん、なんだっけ……。あっと、えっと、んー、あ! 修学旅行のときだ。僕が彼に惚れたのは。


 どんな顔して会えば良いだろう。不思議だ。あれだけ勉強が大嫌いだった僕が彼に会いたいと思うだけでこの大舞台でさえ掴めるというのは。だからこそ、怖いんだ。それを為せたのは自分の狂気あってこそ。


 もしこのままそこへ着いたのなら、彼を前にその狂気が暴れ狂い、彼を傷つけてしまうかもしれない。いや、まずそれ以前に彼から僕と会うことを拒絶されてしまうかもしれない。


 彼が大阪に発ってから幾度も送った手紙は昨年の夏、ついに届かなくなった。自分でも分かってる。ほとんど恋を謳っているだけの手紙を半年に一片だなんて怪文書の部類だ。


 分かってる。分かっているんだけど……やめられなかった。だから、拒絶されても当然だと思う。それなのに、僕は拒絶されることを、受け入れる覚悟も出来ないほどに、弱虫で気が小さい。僕の中に住む計り知れない狂気が僕を出口のない矛盾の世界に追い込む。会いたくない。これは本心であり、虚勢でもあるはずだ。


 無意味に思案を巡らしている自分に気づき、バックの中のブレスレットを探すため、下に目線を向けた。大きな音がして、ゆっくりと顔を上げると、すらっとした女性が少しよろけながらこちらに歩み寄ってきていた。


 あれ、さっきまでいなかったのに。停車したときに乗り込んできたのだろうか。いや、そんな気配はまったくなかった。気が抜けていたと言えばそれまでではあるが。左右に勢いよく首を振ってみたものの、どうもここの席らしい。隣の席以外、みんな人が座っているのだから。


 「何、堅い顔してんのー、あんちゃん?」

 見るからに酔っ払い。右手に持っているチューハイ以外、荷物は見当たらない。

 「隣座るよん。何飲む~?」

 後ろからやってきた乗組員らしき人が大きなバックを女性に渡した。僕が乗ってきたときにはそんな人はいなかった。


 「じゃあ、何かジュースをいただけますか?」

 「あれー? 未成年? かわいいじゃん」

 ふーーっ。気持ちを落ち着かせようと長く息を吐き、気づけば手に取ったブレスレットを両手で縋るように握っていた。再び大きく息を吸い、込めていた力を抜く。


 皮肉なことだろう。これがなければ僕は旅が出来ない。彼がこちらを出る直前に渡したプレゼントがこうして今日も心のよりどころになっている。

 御守りとして以上に僕を不安の底から引っ張りあげてくれる大切な形見。


 女性はなにやら厳ついコップを取りだし、りんごジュース、いやアップルジュースを乗組員に注がせた。


 「君、名前はなんていうの?」

 「……想、一ノ瀬想です」

 少し迷ったがそんな脳に相反して、口はすらっとフルネームを吐いた。

 「想、いい名だね」


 海賊をモチーフにしているのであろうコップのいかり型の取っ手を受け取ると、女性はこちらに微笑みかけた。

 よく見ると顔が整っていて美しい女性だ。凜々しい。ああそうか、やっぱり違う。もっと、もっと前からとっくに、彼のことが好きだった。


 「不思議だよ。この夜行バスで学生の人と乗り合わせるのは二回目だけど、前の子も張り詰めたような顔をしていた。でも君は前の子と違って、その顔には一縷の望みを持っている。まだもしかしたらと思っている。何があったのかはわからないけど、そのチャンスは大事にしなきゃいけないよ。わたしが言うまでもないだろうけど」


 何を言っているんだろう。僕の何が見えているんだろう。その人も僕と似たような境遇だったのだろうか?

 色々と気になったが、切り替えて勉強をすることにした。


 彼に会うための旅とはいえど、あくまで建前がある。それがなければ高校生になったとはいえ、関西までひとり旅を許される年齢じゃない。また足下のバックに手をかけ今度は本を取り出した。


 少し車体が揺れて、女性の足に触れたが謝る言葉がすんなり出ず、互いに不自然な会釈をして体をあげた。しかし、まだ女性の視線はこちらにあって少し息苦しさがある。


 そういえば、この人さっきまでパソコンを開いてなにやら見ていたけど、酔った状態で仕事でもないだろうし……。


 そんなことはいいや。この人の視線は気にしないふりをして、自分のことをしよう。本の最初のページをめくり、一つのメモを引き抜く。


 『……世界で最初の国旗デンマーク、人体で最も長い骨大腿骨、銀河系の中心のブラックホールサジタリウスA』

 うぐぅ。懐かしい。やっぱりこの辺の本は彼を思い出してしまって集中できない。


 「その本、流行ってるの?」


 急に声をかけられビクッとしてしまった。そう言えば見られていた。この本は、彼とクイズをやってたときのものだ。流行っているとは考えがたい。


 「前に乗り合わせた子もそれを見てたのよ」


 なるほど。そういうことか。結局のところ同じ境遇だったのかもしれない。大会への遠征のために学生がひとりで。ただ、それなら流行っているという解釈はこの人の間違いだ。


 「僕はこの後クイズの大会があるので、読んでいるんです」

 へー、と首を大きく上下に振って、物珍しそうにこちらを見ていた。


 ◆


 「大丈夫」


 クイズ本を読み進めていたら、不意に水と温もりの感覚がそんな言葉と同時に届いた。


 右手を握られている。その周りを見るとひどく水で濡れている。それが自分の涙だと気づくには数秒を要した。


 やっぱりこの本を読んでいると2人のときを思い出して、どうしてもしんみりとしたセンチな気分になってしまうようだ。

 どうして僕は気持ちを伝えなかったんだろう。僕は中学校とは言わず小学校の頃にはとっくに彼のことが好きだったのに。


 「伝えられてたらこんなに苦しまなかったのに」


 僕は女性の手に覆われた自分の手を見ながら鮮明に涙を流した。女性は静かにコップにりんごジュースを注いでくれた。


 「私ね……」


 そう女性はおもむろにパソコンをこちらに向けて話し始めた。


 「この子が大好きだったの」


 パソコンに写るのは一人の女性の写真。去年のクイズ大会でも問われた化けの魔女組と呼ばれる名女優のうちの一人だ。


 「純粋に恋として好きだった。幼馴染みとして幼少時代はほとんど2人で過ごした」


 名女優の幼馴染み!? それがどうしたらこの呑んだくれになったのだろうと思ったが、この話の着地に集中する。


 「私彼女が街を出て国を出て。その度、見送りに出来るだけ近くまで行った」


 そういえば、ちょうど今日がパリに発つ日だったような。そうか。


 「でもね、もうあれだけの大きな羽を手に入れた彼女はもう地面に足をつけないの。木の枝にふわりと留まるだけ。彼女に伝えることはもう伝えることじゃなくなった。今は彼女の笑顔を画面越しにでも見れたら十分なのよ」


 笑顔を見れたら十分か……。彼の笑顔。もう長いこと見てない。手紙のやりとりが途絶えてからは記憶の中の彼も笑っているところを見せなくなった。そうか、笑わないなら笑わせたらいいのか。へへっ、秀吉みたいな考えだな。


 なあ、笑ってくれよ光希みつき


 心の中の彼を見つめ強くそうお願いしたとき。


 プチッ。ジャラジャラジャラ……。

 あっ、ブレスレットが……。また。彼がくれた、大事な……。

 隣にいた女性はパッと僕の右手から手を離し席の端に手を置いた。おかげですべて拾うことができた。彼女はとりあえずと、また別の不思議なコップを取り出しそこに玉を入れた。


 厳つい海賊のコップに打って変わってお花のコップ。植物は苦手分野なんだけど、これは多分……。


 「……桔梗ききょうですか?」

 「よくわかったね。花言葉は永遠の愛なんだって。彼女がくれたの……」


 女性の目線がパソコンに戻った。いや、でも桔梗をプレゼントされるのなら、もしかしたら……。


 「そういえばこのブレスレット、前に乗り合わせた学生さんも着けてたよ。確かその子は指環も着けてたけど」


 ああ、例の同じ境遇の人。そうか。もしかしたら光希も持っていたのかな。それで僕に。


 でも、彼に手紙が届かなくて、僕のもとに戻ってきたときも、今も、僕が彼を見つめると切れるんだ。前切れたときに結ったのが弱かったのもあるだろうけど、もう僕らの永遠が破綻してると知らせるように。


 「これ、貰い物? 良い子だね。それをくれたのが、さっき言ってた想いを伝えそびれちゃった相手なら、きっと伝わってるよ」


 聞かれてたんだな、やっぱり。でもなんでそう思うんだろう。


 「だってブレスレットには『永遠』って意味があるんだから」


 永遠……。そっか、そうだった。彼と宝石の本を読んでいたときに永遠と束縛の意味があるって。


 それなのに永遠を願っていた彼に対して僕は恋文を送りつけて束縛をしていたんだ。おまけに永遠の環を今壊してしまった。

 後悔後を絶たず。だけど、だけど……。じわっと熱くなった瞼は堪えきれず涙を溢した。


 「泣かないでよ、想くん。ほら」


 いつの間にやったのか、桔梗のコップに入っていた玉は元より少し細い糸を通して結ばれていた。


 「これ、私のネックレスで作ったんだけどどう? この後大会なんでしょ? 最後まで見せてあげなよ。折角護ってくれたんだから」


 女性は僕の首に手をやり、それをかけてくれた。見守ってくれてたのか、ずっと。


 ありがとう、光希。


「ありがとう」


 僕はそう言いながら星たちさえも見えない曇天の夜空を眺めた。彼がいつしか着せた王子様姿で白馬に乗り、バスの外から手を振っていた。


 果たしてお前、とっくに……。

 何があったかは知らないけど、連絡の取れなくなったときには既に。受取拒否じゃなくて宛処不明だったのに僕が僕を信用してなかった。


 そうして、僕をずっと見守っててくれた。今こうして笑ったお前を見れて嬉しいよ。


 振り続ける彼の手に嵌められた指環を見て思い出した。ブレスレットを貰ったとき、僕は僕で指環をあげたんだね。


 なんで忘れてたのかな。


 心の中の彼をもう一度見つめる。笑うなよ。忘れてたのは僕が悪いけどさ。


 光希、僕がこの大舞台を掴めたのは僕一人じゃなくて、お前がいたからだよ。まったく。

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掴めない二人 玄瀬れい @kaerunouta0312

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