第4話 Wに歩く

 カテリーナは遺伝子学者だ。起きて、自分がコロニー内の機器に検知されないことに気がついた。医療ポッドにもコロニー内の所在表示にも。

 ……それはコロニーの不具合では?

 カテリーナは遺伝学者で技術者ではない。だがカテリーナが、いや、ユフの侵入……。頭がぐわんと鳴る。気がつけばぜぇぜぇと随分呼吸が荒い。

 少なくとも誰かが扉を10回開閉した。その時?

 外に出る理由も直接外を観測する必要もない。開閉した以上、出ていった?

 扉は四重に防護され、1つ通過する度に他の全てが一度真空になる。だから扉からユフが入り込む可能性はない。少なくとも最初に開閉された28年前までは。

『ユフの侵入は給気管からだ。ユフで硬質化した植物の根が給気口の一部を僅かに破壊した。配管技術者のオルネラ・ペッシェが確認している』


 それはおかしい。ユフは微粒子だ。わずかな隙間でも侵入を許せばコロニーは滅ぶ。私が起きていることと矛盾する。

『配管は各スリープのハッチに繋がっている。既にオルネラが開口部を塞ぎ、ハッチ内を含むユフの除去プログラムを実施した。だから現在コロニー内にユフはない』

 そこまで読み進めて急に肩の力が抜けた。一体何だっていうんだ。

 コロニー内にユフの反応はなかった。入り込んでも除去したのなら問題ない。ほっと胸を撫で下ろす。だがハッチの中に?


『ユフが侵入を始めたのは1年前だ。その毒はわずかずつ空気に混ざって循環していた。私が起きた時、管理センターで前任者が死んでいた。調査でユフの直接摂取による死と判明した。コロニー全てからユフは検出された。けれども私は生きていた。つまり、私はユフに順応したのか、最初はそう思った』

 ユフに順応? そんなことが可能なのか?

 不可能と見切りをつけたからこそコロニー計画が始動したのだ。

『だがそうではないことはすぐに知れた。ユフを除去してしばらく後、オルネラが崩壊を始めた。医療センターで原因を調べたが、その頃には恐らく既に私たちの体の中で不可逆的な遺伝子の崩壊が始まり医療ポッドで治療対象と認識されなかった』


 認識されない?

 ふたたび体の表面に汗が吹き出し始め、体全体が冷え始める。

『オルネラは植物のようになって死んだ。その体を分析した。そもそもユフとの接触は人体に汚染を招き、摂取すれば死に至る。ハッチ内のユフを除去しても我々は1年近くユフに触れ、その間肉体内の汚染が進行した。肉体はスリープ中は凍結され、解凍によって汚染の影響が顕在化する。ハッチで再び眠ることも考えたが私は既に人ではないものに変化している。スリープに戻ろうとしても、凍りつかず崩壊して死ぬだろう。変化は人によって異なるようだがこれはコロニーの住人全てに当てはまる』

 凍りつかない。変化。なんのことだ。

『だから私はオルネラの体を連れて外に出る。どうせなら外で死にたい。オルネラもそう願っていた。では』

 そこでログは終了していた。


 頭は既に混乱を極めていた。……緊急事態なら全員を起こすべきでは。異常は明らかだろう? 私では対処できない。

 そう思って思い出した。アルベルトの非解除申請。ハッチを開く前はアルベルトのバイタルは反応していた、つまり生きていた。私がハッチを開けたから……死んだ?

 アルベルトのハッチからこぼれた液体。アルベルトはコールドスリープに戻った。ひょっとしてあの液体が、あれこそがアルベルト自身とでも言うのか。思わず後ずされば、背中に触れた壁が妙にぐにゃりと感じた。

 いやまさか。起床ボタンを押そうとして思い起こす。肉体が解凍されると汚染の影響が顕在化する。つまり、崩壊が始まる。私はハッチが出て以降、異常が増大している。これがユフの汚染の結果だとすれば、つまり起こすと、ユフの効果が始まる、のか。

 起こすと、全員、死ぬ。そういうことか。


 視界が更にぐらりとゆれた。頭がうなる。これは精神や自律神経の異常では……ない?

 思わず瞼を手で抑えると、妙にどろりとした触感で思わず手を遠ざけると汗のようなものがたくさん飛び散った。汗、だよな?

 駄目だ、起こすか。いや、起こせない。起こしてどうする。体内のユフが芽吹くだけだ。遺伝学者が対処できない遺伝子変化。だがこのまま順番に起きても250年以内に全員死ぬ。いや、高齢者と子供と欠番はスキップ。コロニーが滅ぶまで150年強? この150年でユフは全く減衰していない。駄目だそれでは順番に死ぬだけだ。

 方法。強制延長のボタン。緊急事態に、起床を長期間先延ばしにして更に遠い未来に委ねる手段。だがその間、コロニーの管理ができない。その間根によってまた破損するかもしれない。

 一か八か。ただでさえ長時間スリープの危険性なんて不明だ。だがそれしかない。このままでは全員、死ぬだけだ。コロニーが生き残るためには延長しなければ。


 内蔵を絞るようにに深く息を吐く。

 破壊されたポッド。死が約束された今起きても死ぬ、あるいはポッドで再度眠るだけだ。それなら未来に賭けたほうがいい。多分、この決断をできる者は少ない。それはより不確かな生死の箱に全員を放り込むだけのことなのだ。だから27年、誰も決断できなかった。だから私がやらなければ。こんな精神状態に耐えられる人間がいるはずがない。

 震える指でボタンに指を伸ばす。

 震える。だめだ。このボタンは全員を殺す。

 けれどもこのままでもきっと、全員が死ぬ。

 気がつけば指はボタンに触れていた。なんの感触もなかったのは、きっと指が溶けているからだろう。私ももうすぐ、死ぬ。

 起床時間を500年遅らせた。

 遠い未来にユフ毒の毒性が薄まっていることを、そしてこの国以外の誰かがユフ毒の解毒方法を解明しているのを期待して。起きた時、不調があれば再度500年伸ばすよう『指示』を付けて。こうすれば、次に死ぬものの罪悪感が少し薄れる。


 ふう、と息を吐く。外の明るい光は変わらず真っ暗なセンターに降り注いでいる。それがモニター越しに見えた。急に、ホッとした。やるべきことは全て終わったからだ。きっと。

 体は思い。もう眠りたい。けれどもどうせ眠るなら、私もこの冷たく暗い牢獄より狂って騒がしく明るい外がいい。

 そうして私は外につながるボタンをあけた。まるでそこはジャングルだ。

 振り返る。11人目、か。死んだように静まり返る灰色の円形のドーム。遠い先で目が覚めた時、残された者が未来を紡いでいけるように。思わず漏れた呟き。

「それまで、おやすみ」


Fin

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おはよう、おやすみ 〜ユフの方舟 Tempp @ぷかぷか @Tempp

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