情報戦宣

宇多川 流

情報戦宣

 遅い昼食を終えると、博士はいつものようにブラックコーヒーを注文し、売店で購入してあった新聞を広げた。

 詰所の食堂はメニューが充実しているとは言えず、ほとんどの職員は食事を外出先の店で済ませる。三食この食堂で済ませる者は時間の方を大切にしている者か、博士のように食に大した興味を抱いていない者くらいだ。

 そのため、彼の周りのテーブルにも客の姿はなく、狭い食堂内はいつも空いている。

「ああ、やっぱりここか」

 ガラスの仕切り越しに、少佐があっさりと博士を見つけられたのも当然のことだ。

「やあ、こんにちは、少佐。なにか御用で?」

 向かいの席に座った日焼けした顔の制服姿が見えるよう、博士は新聞を半分に折る。

「こんにちは、博士。用って言うほどでもないけどね、ズーム機能を調整して欲しいというリクエストがあるんだ。まあ、五分もあれば終わるだろう」

「ズーム機能? もう少し限界値を下げろという要求でも来たのかな。前回、さすがに指揮官の下着のタグまで拡大表示したのはやり過ぎだったんじゃないか、とは思っていたんだよ」

 博士が首をすくめるが、少佐はその様子を見て豪快な笑い声をあげた。

「いやいや、逆だよ。もっと寄りの映像も欲しいというマスコミからの要望がいくつかあったんだとさ。まったく、人々はよほど暇潰しの種に飢えているらしいね」

 無骨な指が新聞のとある一面をさした。そこにはゴシップが並び、釣られて目をやった博士にも見覚えのある内容の見出しが強調されている。

「海外の人間模様なんて、そんなに興味が湧くものなのかね。いやぁ、わたしが言うのもなんだけれども」

「海外だからいいのだよ」

 少佐は給仕ロボットが運んできたナゲットをつまみながら応じる。

「これが知ってる地域、自分や友人、少しでもつながりのある可能性のある人物が標的になったらと思うと、気兼ねなく楽しめないだろうねえ」

「それはそうかもしれないが。そもそも、他人の秘密にあまり興味がなくってね」

「それでよく、このシステムに関わろうと思ったねえ!」

「わたしは、これが上手くいくかは懐疑的だったよ」

 苦笑する相手に、博士は弁解するように言う。なぜそうしなければならないのか、本人も理解できないまま。

 幸い、少佐はそれ以上、博士を追い詰めることはなかった。

「いや、もしかしたら、そういう博士だからこそこのシステムを最も的確に構成することができたのかもしれん」

「はあ……わたしはただ、言われた通りに作っただけだがね」

「しかし、もし博士が感情に左右される人物だったら手心を加えたり、逆にこの新聞の記者連中みたいに興味が向き過ぎて余分な機能がついて無駄に複雑化していた可能性もあったわけだ」

「なるほど」

 少佐は工学や情報学については門外漢ではあるものの、その言い分には筋が通っているように博士には思えた。まだここへ配属されてお互いに四ヶ月も経ってはいないくらいだが、どちらかと言えば内向的な博士にとっても大佐は理解し易い人物だった。

「それは確かに言えているだろうね。裏を返せば創意工夫がないとも言えるが」

「こういう場所では創意工夫より堅実さの方が尊ばれるんでないかい? まあ、ここはそれほどおカタイ空気でもないけれど」

「ああ、それ――」

 ナゲットの最後のひとつを食べ切った相手に同意し、博士は雑談を続けようとした。

 しかし、昼休みの緩んだ空気は詰所内の天井から響く、ピンポン、ピンポン、という、二度の呼び出し音に破られる。

 誰もが緊張感を顔に出し見上げる。

 博士もまた、静かに畳んだ新聞を置く。初めてそのチャイムを聞いたときのように心臓が痛くなりそうなほど速く脈打つようなことはないが、気を抜けない空気を感じることに変わりはない。

 呼び出し音からわずかな間を置き、オペレーターの声が続く。

『侵入者あり。侵入者あり。担当者は直ちに持ち場に着席してください。繰り返します――』

 想定した通りの内容。

「行こうか」

「ああ」

 無駄話をしている時間は消滅した。短くことばを交わして立ち上がり、二人は食堂を出る。

 見慣れた姿が五人ほど前後して、二人とほぼ同時に自動ドアをくぐる。

 オペレーション室の壁にもコンソールにもずらりと並ぶモニターにはすでに灯が入っていた。壁の巨大なメインモニターの映像には緩やかに波打つ深い紺碧の水面と、静かに揺れているような白い漁船らしきものが浮かぶ。

 画面の左上隅には映し出されている場所の座標が数字で表示されていた。それによると、日本海の沖合らしい。

「領海への侵入から一七分が経過。今のところ敵対行動は見られませんが、規定の呼びかけにも応じません」

 人員がほぼ全員持ち場についたのを見計らい、本日の昼休みを担当していた若いオペレーターが言う。

「国籍も不明。なるほどねえ」

 少佐は交信記録にざっと目を通した。規定では十分の間を置いて二回呼びかけることになっているが、どちらにも応答は記録されていなかった。

「よし、ではさっさとやろう。博士、中継開始だ」

「了解」

 とうに準備はできている。博士は指示通りに入力する。

 〈放送中〉の文字がメインモニターの左上に表示された。博士の向かうコンソールのサブモニターのひとつには、閲覧者のコメント欄も表示される。『お、始まった』、『今回の侵入者はどんな人だろなあ』などと気楽な文字列が流れていくそれから、博士はすぐに目を逸らす。俗っぽさを体現しているようで、彼はあまりその映像が好きではなかった。「ではまず、船自体から丸裸にしていこうか」

 そう指示する少佐の顔はにやついている。隠された秘密への興味とそれを暴くことへの背徳的な喜び。ゴシップを流すマスコミやそれをありがたがる者の精神性とあまり変わらないのかもしれない――博士の頭に、そんな考えがよぎる。

 それをよそに、オペレーション室の中枢コンピュータに組み込まれたAIが指令に従い、瞬時に船の解析結果を出力する。

 データよると、船は漁船に擬態した最新鋭の小型戦闘艦、駆逐艦らしかった。兵器も設備も最新のものを搭載している。

「ん……? ジャミング装置も迷彩防壁も起動していないのか?」

 博士が違和感を口に出すと、同じものを確認した皆は同じ感覚を共有したように、一拍の間黙る。

 侵入船は最新の隠蔽のためのシステムもいくつも装備しているが、そのどれもが起動されていない。わざわざ丸裸のままで敵の目先に飛び込んできたようなものだ。

「なにかのデコイ……ではないんだね?」

 少佐の声にも疑念がにじむ。

「こちらが捕捉しても変化はないようだし、囮にしてはこれだけの装備はもったいない。向こうの機密がこちらに漏れる可能性が高い」

 映像は人工衛星からの拡大映像であり、相手からの反撃も届きはしない。映像が誤魔化されているとも考えられない。現在の日本の情報防衛技術は世界最高峰であり、それに、侵入船の装備を最新鋭のものとして偽装する必要性がなかった。

「一番近い巡視艇のドローン二機を派遣。とりあえず船上にカメラを移そう」

 内部を解析した結果を映すデータ表示が消え、船の甲板の様子がモニター内に広がる。

 そこにいるのは、制服姿の一組の男女。

 おそらく異国の、隣国の軍人と見えた。二人は今にもつかみ合いを始めそうな剣幕で、激しく口論している様子だ。

 二人の人相から、AIが即座にその所属と名前、階級や簡単な経歴を画面端に表示した。

「まさか、心中でもしに出てきたわけじゃないだろうな」

「さすがにそれは……」

 スタッフがささやき交わすのを聞きながら、少佐は腕を組む。

「ふむ……音声はドローンが到着するまでは届かないだろうが、何を話しているのか把握できるか?」

「音声がなくても、唇を読むことなら」

 オペレーターがAIに指示を入力する。

 すると、モニター画面の下に、黒縁で白文字のテロップが表示された。

〈やっぱりこうなると思った! あんたに上手く操縦できるわけないじゃない!〉

〈お前が「常人は経験できない特別なデートがしたい」なんて言うからだろ!〉

〈なにさ、わたしのせいだって言いたいの〉

〈常人は経験できないことなんて限られてるだろ!〉

 二人の会話から、なぜ船が領海侵入に至ったのかはあきらかだ。

 その意外さと俗っぽさから、少しの間オペレーション室に沈黙が訪れた。

 やがて博士が長い溜め息を洩らす。

「結局、我々の仕事もゴシップを流すマスコミと大差ないかもしれん」

 痴話喧嘩を前にした嘆きに、少佐は笑った。

「好奇心と人間の目で監視するというのは、昔ながらの堅実な手法でもあると思わないか」

 近海の国際情勢が悪化し、領海侵入が激増して数十年。戦力というものを簡単に振るえず、それに人手を割けないこの国は、武装した侵入者の情報を極限まで解析して世界中に向け同時生中継すると宣言し、それを防衛手段とするようになった。

 それ以後、機密も人員の個人情報も筒抜けとなることを恐れ、領空や領海への侵入は激減したのである。

「それもそうか。他人への興味、と考えると、確かに自然なことかもしれないね」

 鍵も防犯システムもない時代、あるいは現代でも人の少ない地域では、人の目こそ最大のセキュリティシステムであるはずだ。

 博士はサブモニターに目をやる。流れるコメントには下世話な妄想や取るに足らない感想も多いが、『今度も大ごとにはならなそうだ』、『死傷者が出るような事態じゃなくて良かった』と安堵の声も多い。そして下世話な妄想やゴシップも、平和な世でなければ平然と流れないものには違いなかった。




   〈了〉

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