エピローグ
それから、二年の月日が経過した。仕事も楽しかったし、生徒や講師とのちょっとした会話も楽しかった。しかし、それだけでは花梨の心は埋まらない。ある日、『マ・メール・ロワ』の連弾を耳にして、仕事中にもかかわらず泣いてしまった。
セシル。
「どうしたの、水落さん。何か……」
「いいえ、なんでもないんです。でも、よかったら……五曲目を弾いてください」
「……『眠れる森の美女』の『妖精の園』ね。わかったわ」
涙を拭いもせず、聴きなれた美しい旋律に想いを乗せる。
どうしたって。どうしたって、セシルに代わるような人は現れなかった。花梨にとってセシルは、ただ一人の存在だったのだから。
電車に乗り、力なく帰宅する。
「……ただいま」
そう声にするが、誰も返事をしなかった。ひんやりとしたワンルームに、花梨の靴音だけが響く。
夕食を済ませ、座って落ち着くことにした。
そこで、テーブルの上にあるオルゴールのねじを巻いていく。
二年間だ。
二年間、一日も欠かさず、花梨はオルゴールを鳴らし続けてきた。
それでも、待ち人は来ない。
セシルが戻ってくることはなかった。
(どうせ今日も駄目だろうな……)
諦めかけながら花梨はオルゴールの箱を開けた。──すると。
一人の少年が部屋に現れた。ふわりと舞う茶褐色の髪に、大きな空色の瞳。
「セシル! セシルなの!?」
「そう、僕。遅くなりました」
「もう馬鹿。本当に……本当に遅い帰宅よ」
花梨は感極まって、ぼろぼろ涙が溢れ出した。セシルの姿が霞むが、涙は止まらない。
カリフォルニアにいた少女も両親からのネグレクトに苦しんでいた。それを根気よくセシルはサポートした。この二年の間に、少女は高校に通いながらバイトをして、貯金をした。そして、卒業と同時にひどい両親からも卒業し、彼女はサンフランシスコへと旅立った。その一切の面倒をセシルが見てきたのだ。
しかし、セシルはそのことは一言も言わず、ただ花梨に尋ねた。
「その、カリン。僕を……待っていてくれたの?」
あの日綺麗だと思った花梨の顔を、恐る恐る窺う。
「うん。一日も欠かさずにね」
花梨は泣きながら頷いた。
「もしかしてさ。もしかして、僕のことを今でも好きでいてくれているの?」
「当たり前じゃないの、この家出妖精!」
花梨はようやく落ち着き、笑顔になった。飛び切りの──弾けるような笑顔。
「うん。僕もカリンが好きだよ。ありがとう」
そう言い終える前に、花梨はセシルに口づけた。
「な、なんてことをするんだよ!? カリン」
セシルはあどけない顔を驚きに染めていた。彼は花梨と別れてからも、その容貌に変化はない。妖精は外見の成長が遅いのである。それこそ、いつまでも少年のような風貌だった。
「これはお返しのキスなんだからね」
そう口にして、花梨は可愛らしく舌を出した。
それを見て、セシルは優しい眼差しを花梨に向ける。
これから二人が結ばれるかどうか、神のみぞ知るところだ。
年の差や、人と妖精という種族の違いをいうのは、この場に似つかわしくないものだろう。
海棠の眠り未だ足らず チャーコ @charko
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