三章 非現実的な事象を現実で成立させるという事について

1 落ち着いた日常

 始業式から二週間。

 即ち渚が衝撃的なカミングアウトをしたあの日から、はや二週間が経過した。


 あの日から俺と渚の関係が大きく変化したかと言われれば、現状維持と言えると思う。

 実る事無く、壊れる事も無く。

 良くも悪くも何も変わっていない。


「お前さぁ、そんな不機嫌になるならさっさと関係進めちまえよ」


 男女別の体育の授業を受ける為に更衣室へ移動している途中、マコっちゃんがそれこそ不機嫌そうに、面倒臭そうにそんな事を言う。


「不機嫌なんかじゃねえよ。いつも通り平常心だ」


「いつも通り、平常通り不機嫌だって言ってんだ。ここ最近秋瀬が男子と仲良く話してるだけで露骨に不機嫌そうじゃねえかよ」


「だから不機嫌なんかじゃねえって。渚が男子と仲良く話してるなんて今まで通り、いつも通りの事だろ」


「そのいつも通りの事を、いつも通り流せてねえ奴が何言ってんだか……まあ良いけどよ」


 マコっちゃんは呆れたように溜息を吐いてから言う。


「俺は言い方悪いがお前が秋瀬をキープみたいな感じにしてる理由は知ってる。知ってるからこそもう一度言うけどな、さっさと関係進めちまえ」


「……」


「端から観りゃそういう風に大事に思える時点で、そこらの適当にくっついたり離れたりするカップルよりよっぽど真っ当だっての。それにお前ン中の気持ちだって、嫉妬感マシマシな日々日頃の様子で明らかだろ」


「明らかですかね?」


「明らかです」


 そう言ってマコっちゃんは軽く咳払いをしてから言う。


「第一、そんな曖昧な関係が納得のいくその時まで続くかどうかなんて分からねえだろ」


「……分かってるよ」


「本当に分かってるか? ……アイツは良くも悪くも注目の的だ。実は女でしたみたいな強烈なイベントのお陰で上級生含めて認知度が高い上に色々とレベルが高い。狙ってる奴も相当いるって話だ」


「…………」


 相当……相当かぁ。


「そんな深刻な表情するくらいなら、ほんとさっさと進めろよ関係性。紆余曲折有って取られました、なんて事も無くはないぞ」


「ね、寝取られだ……」


「寝てから言えよそれは……」


 再び呆れたようにそう言うマコっちゃんに、ふと気付いたことがあって問いかける。


「そういやさっきレベル高いとか言ってたけど、マコっちゃんから渚の容姿について言及有ったの何気に初だな…………まさかお前も敵の一人か?」


「馬鹿野郎、彼女持ちだぞこっちは。他の女の容姿褒めただけでも大変な事になるのに、んな事しねえよ。大変な事にならなくてもしねえけどよ。すると思うか? 俺が」


「いや、悪い。流石に冗談だって……ちなみに褒めただけでも大変って、仮に悪鬼の発言が橋本の耳にでも入ったらお前どうなるわけ?」


「アイアンクローが放たれるな」


「……お前らのノロケを聞くたびに、橋本がとんでもないバイオレンスキャラになってくんだけども……いやしかし、アイアンクローね」


「そこ引っ掛かるところか?」


「いや、マコっちゃん身長高いじゃん。今いくつだっけ?」


「179」


「でけぇ……で、橋本は小さいだろ」


「147,6だな」


「小数点込みで記憶してるのなんかこう、すげえよ……」


 良くも悪くも。


「で、それがどうしたよ」


「いや、なんか橋本がお前にアイアンクローしてるビジョンがイマイチ浮かばねえなって」


「そりゃお前アレだ。俺がやりやすいように前屈みになんだよ」


「…………そういうプレイか?」


「なんでそうなる」


 そうにしかならないと思うけど。


「……まあかなり脱線し始めたから話戻すけどよ」


 マコっちゃんは少し真剣な表情で言う。


「冗談でも秋瀬の容姿を褒めた俺を敵だって言える感覚でいるんならな、やっぱお前はさっさと進むべきなんだよ。変な後悔する羽目になる前にな」


「……後悔、ね」


 実際、冷静に考えなくても渚が男子からモテない筈が無くて、俺は結果的にキープみたいな事をしているよく考えなくても良くない事をしている男な訳で。

 あまり悠長な事はしていられないのかもしれない。


 人間関係なんて、どんな形で変わってしまうか分からないのだから。


「まあ確かにマコっちゃんの言う通りかもな。このままじゃ良くないかもしれない」


「お、その気になり出したか?」


「あれから二週間、俺なりに考えて……考えても現状維持でって感じなんだけど。端から見て俺の気持ちが分かりやすく伝わってるなら……まあそういう事なんだろうな」


「自分の事は案外自分が一番分からないって奴だな。でも別にお前が鈍感だとは思わねえよ。そんなエキセントリックな状況で簡単に切り替えができる訳がねえ。出来てる連中はそれだけ関係性が薄かったって事だ」


「フォローどうも」


「で、どうするんだ」


「どうするんだって………」


 確かにこのままでは良くないとは思う。

 色々な意味で良くないとは思う。

 思うけれども。


「急に言われても……なぁ」


「全然急ではないだろ……此処までの話消し飛んだか?」


 そして何度目か分からない溜息を吐いた後、マコっちゃんは言う。


「とりあえず今度の日曜にでも、秋瀬とどっか行って来いよ。少なくともお前はこのままじゃ良くないとは考えてるんだ。どんな形であれ、お前なりの答え出すきっかけにはなるだろ」


「いや、今週の日曜は駄目だな」


 そこは冷静になって答える。


「ん? なんか予定入ってたか?」


「マコっちゃんに言われなくても普通に渚とどっか行こうと思って誘おうとしたんだけどよ、先約があった。クラスの女子何人かと出掛けるらしい」


 思うようにはいかなかったが、とても良い事だと思う。

 今まで男子として振る舞ってきた渚は、女子としての日常を全く謳歌できていない。

 だから……渚にとっては一つ一つの当たり前が新しい事の筈で、それを当たり前のように享受できるという事は、比較的近くにいる者としてとても喜ばしい事ではあるんだ。

 そしてそんな喜ばしい事に対してマコっちゃんは言う。


「あーそういや美紀が言ってたな。秋瀬含めて遊びに行くんだとか」


「聞いてたのに提案したのかよ」


「そういやって言ったろ。忘れてたんだ」


 そして仕切り直すようにマコっちゃんは言う。


「じゃあさ、また話逸れるけどお前暇ならゲームでもやろうぜ。俺も暇だ」


「あー悪い。予定は有るんだわ」


 渚がいない。

 だとすればそこに一つ入れたい予定が有って、既に埋まった。


「楓に……ああ、渚の弟に勉強教える事になってんだ」


 その日はそういう訳で、予定が埋まっているんだ。


「秋瀬弟に勉強か。そういや秋瀬にも教えてたなお前」


「その実績を見込まれた訳だ」


「確かに成績ちゃんと上がってた辺り実績は充分……いや、秋瀬特効だったパターンかもしれねえが」


「言いたい事は分かるから全然見当違いなんだけど、楓も秋瀬なんでうまくいくといいな」


「秋瀬弟も秋瀬……まあその通りなんだよな」


 マコっちゃんはふと考えるように口元に手を添えてから、一拍空けて言う。


「果たして秋瀬弟は本当に秋瀬弟なんだろうか」

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仲の良い幼馴染の兄弟が姉妹だった話 山外大河 @yamasototaiga

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