まんがタイムきららが大好きな男の話

エクスパーサ小島

第1話

※薬物の使用は人生を壊してしまう恐れがあります。絶対に辞めましょう。






眩しい朝焼けがカーテン越しに目蓋を焼いた。


朝だ。

朝だ。

希望の朝だ。


「うぅ……まだちょっと眠いなぁ……どうして毎日朝はやってくるのだろう……」


ごろんと寝返りをうち、やわらかくてふかふかの布団に身体を沈めながら誰に向けたわけでもない文句を口にする。


昨日は興奮してしまって中々寝付けなかったからだろうか、ついつい大きな欠伸が出てしまう。

悪い癖だ、夜更かしは。


「でもなかなか辞められないんだよなぁ、これって深夜に放送してるアニメサイドにも問題があると思うんだよ」


眠いまなこを擦り、なんとか布団から這い出てゆっくりと伸びをして全身の覚醒を促し、カレンダーに視線を向ける。美少女4人組が仲睦まじくお茶会をしているイラストが載ったお気に入りのものだ。

そのカレンダーの今日の日付には、巨大な赤丸が書き込まれている。


「……もう、私も子供じゃないんだよね」



赤丸の隣には初出勤! の文字が踊っていた。



そう、私は今日からきらら女子大を卒業してゲーム制作会社MAXに入社するのだ!!!




憧れていたゲーム制作のお仕事。

不安がないと言えば嘘になる。

なるけれど……それと同じくらい、これから迎える日々に期待を膨らませてしまう。

だってほら! 憧れていたあの人と一緒に仕事が出来るんだもん!

そんなもの、楽しいに決まっている。



足取りは軽やかに。

いつも通りの朝食を摂り、シャワー浴びて支度を済ませたら時間に余裕が出来たので少し部屋を片付けてから家を出る。




春の風が柔らかな頬を撫でていく。

晴れていた。

電車の席がたまたま空いていた。

犬を連れた優しそうなおばさまに挨拶をされた。


小さな幸せが集まって、私の門出を祝っているかのようだった。




今日は何だかいい日になりそうっ!




気分が良くなり、思わずスキップをしてしまう。

だって仕方ないよね、こんなに世界は幸せに満ちているんだもん、ちょっとくらい浮かれてもーーー












その時だった。




どっ、どっ、どっ。




心臓が早鐘を打ち始めたのは。






さっきまで晴れやかだった空は急に曇天に覆われて先が見えなくなり、柔らかな春の風は冷たい冬の風となり肌を刺す、優しい近所の住人はこちらを指差しクスクスと笑っていて、電車には絶望に顔を曇らせたサラリーマンがまるで出荷される畜産物のようにひしめき合っている、私は集団ストーカーに追われていて、頭にアルミホイルでグルグル巻きにした六角iPhoneを入れることによってなんとか思考盗聴を防いでいる。



そうだ、螺旋アダムスキー送受信を探さないと。モルフォ蝶を粉々にして光らせないと。テホノコに祈らないと。マンチェルとウェミッドが怒っている、火星からおれたちを罰しようとウポニョガヌフ望遠鏡を使って、


ああ、ああ、もうだめだ、間に合わない。


見られている、見られている。


逃げなくちゃ、逃げられない。助けて、助けて、たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけててたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて




あれ?

ねぇ、君に聞きたいんだけどさ。











お前の、となりにいる目。


誰の目だ?








そこで視界と意識が暗転した。



意識を覚醒させ、なんとか重い頭を上げる。

そこは通勤途中の晴れやかな道などではなく、見慣れた自分の部屋だった。コンビニのゴミが散乱した汚い部屋だった。


何度鏡を見返しても、期待に胸を膨らませた美少女はいない。


そこにいたのは、今までいやと言うほど見てきた男。

病的なまでにやつれて目が血走った30歳過ぎの男──つまるところ、おれがいるだけだった……




「クソッ!もう切れやがったのかよ!最近どんどん効きが悪くなってやがる!」




苛立ち紛れにそう叫ぶと、手元にあったまんがタイムきららのページを数ページ破り取って、さらにそれを執拗なまでに細切れに破り続けていく。


まんがタイムきららの中で行われていた賑やかな放課後の部活動はバラバラに引き裂かれ、繋いだ手の先は相手を喪い、彼女達の秘め事はくしゃっと丸く潰された。




夢中になってまんがタイムきららを破き続けてどれぐらい時間がたったのだろう、手元にはかつて幸せな空間だったモノの残骸が積もっている。


それを必死に掻き集めて、震える手でいつものように専用の器具の中に入れ、底を火で炙る。

警察に発見されれば言い訳のしようがない器具。その中から煙と共に、罪と幸せが香ってくる。




器具の中でまんがタイムきららの紙片がゆらゆらとダンスを踊る。まるで自分とワルツを踊ってくれているようだ。

錯覚だ、そんなことは分かっていた。


すぅーっと大きく息を吸う。

煙を全身に取り込むと、身体中にまんがタイムきららが満たされていく。

先程までは醜かった自分の姿、それが徐々に変貌していく。


半年前に1000円カットで整えたボサボサの髪は艶のある黒髪になった。至る所に生えた無駄な毛は無くなり、赤子のようなツルツルの肌になる。ニキビだらけだった醜い顔は幼さと好奇心を両立させた、可愛らしいと形容すべき顔になった。狂った自意識の中で自分がいかにもまんがタイムきららに出てきそうな可愛らしい姿に変化していくのを感じ、あまりの幸福に顔が歪んでしまう。




身体を全能感が支配していく、なんだか無性に幸せだという気持ちが溢れ出す、よくよく見たらここは自宅ではなく、今日から入社する職場ではないか、私はそこで出会った可愛らしい同期と他愛のない雑談を





トゥルルル トゥルルル トゥルルル




職場の電話が鳴る、違う、ここは自分の部屋で、そもそも鳴っていたのは自分の携帯電話だ、着信画面は派遣のアルバイト先の会社名が映し出されている。

よくよく見ると凄まじい回数の不在着信があるが、知るか、と呟いて壁に思い切り叩きつけた。

数年前に買った携帯電話はガシャン!と派手な破壊音を鳴らした後、一切の音を立てなくなった。




まんがタイムきららを吸引し始めたのはいつからだったか、どんどん効きが悪くなっているような気がする。


回数が増えると共に、どんどん消費するまんがタイムきららの量も増えていった。


今では給与のほとんどをまんがタイムきらら購入資金に充てており、それ以外の出費……例えば食事なんかには最早嫌悪感しか覚えておらず、最後に食事をしたのがいつだったかすらいまいち覚えていない。




そうだ、今日はアレを使おう。




そう思って襖の奥から色紙を取り出す、何重にも包装され、日焼けの一つもないそれは、NEW GAME!のひふみ先輩が描かれたサイン入り色紙だ。


毎月大量のまんがタイムきららを購入してキチンと毎号全て懸賞は送ってはいるが、おれはこの色紙1枚しか当たったことがなかった。


派遣バイトの三十代だからってバカにされているのだろう。許せない、何もかもが。



しかし、改めて見るとひふみ先輩はかわいい、ふわふわとした髪、愛らしい仕草や優しいところ、そのくせ人一倍努力家なところを想うと愛しいという気持ちが溢れ出してくる。




だから、これからする行為に罪悪感がないと言えば嘘になる。




先程から火のついた100円ライターを色紙に近付けては慌てて離し、また近付けては離すという行為を繰り返している、親指は既に火傷を起こしているはずだが痛みの感覚はない、ひふみ先輩を喪ってしまう躊躇いの気持ちの方がずっと強い。




何度目だろうか、またしても色紙に火を近付けて、慌てて離してを繰り返していると、色紙のひふみ先輩がだんだんこちらを見つめていることに気付く。

こんな情けない自分を見ても、彼女は変わらず優しく微笑みかけてくれるのだ、頬をそっと涙が伝わっていく。

しかもひふみ先輩は手招きをして、こちらに来て、と上目遣いをしているのだ。




行かねば、と強く思う。こんな健気なひふみ先輩に招かれて断るという選択肢は自分にはなかった、そしてなにより彼女の信頼を裏切りたくなかった。




決して目を逸らさないようにしながら色紙に火を移すと、燃えている箇所からむせ返るような甘い匂いと、嗅ぎ慣れたいつもの邪悪な香りが漂ってくる。

ついでにひふみ先輩への手向けとして手当たり次第まんがタイムきららにも火を付けた。


嘘だ、俺が気持ち良くなりたかっただけだ。


目眩がする程のオーバードーズに吐き気を催すかとも思ったし、実際覚悟もしていたのだが、多幸感ばかりが身体を包む、やはりまんがタイムきららは凄い。




火が炎になり、ひふみ先輩に辿り着く。彼女の愛らしい顔を、熱力学第二法則が平然と蹂躙していく。

そんな状況でも彼女は笑みを絶やさず、手招きを続けていた。




気がつくと既に俺はまんがタイムきららの住人になっていた。

新しい生を得て、全身が歓喜に震え、熱を持っている。

辺り一面に広がった、さっきまでまんがタイムきららだったものを掻き集めて抱きしめると身体だけでなく心までぽかぽかと暖かくなっていく。


そうだ、そうだったんだ。

今までの人生が全部嘘で、俺は、わたしで、ほんとうがあそこにあって、せかいは幸せに満ちていて、あのひとに会わなきゃ、


ひふみ先輩、今、そちらに向かいますーーー
















昨夜未明、足立区のアパートで火災が発生し、火元と見られる一室から男性(32歳・フリーター)の遺体が発見された。


同署によると、男の遺体の側には薬物吸引具の様なものがあり、男が何らかの危険薬物を摂取していた可能性を含めて捜査を行うとのこと。

薬物の使用は人生を壊してしまう恐れがあります。絶対に辞めましょう。

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