2

 サービスセンターの人がやってきたのは、ちょうどお昼休みの時だった。町田さん、というとても美人のお姉さん。なぜか武の顔が真っ赤になっている。年上好きの彼の好みに刺さったらしい。


「あー、やっぱりか……やられちゃいましたね」


 さっき楓がやったのと全く同じようにして、ノートパソコンとワカの頭部をケーブルでつないだ町田さんは、画面を見るなり苦笑いして言った。


「どこからかはまだわからないんですけど、今全国的にハッキングが行われてて大変なことになってるんです。うちの会社も結構やられてしまって……でも、まさかワカまでやられちゃうとはねぇ……」


「ワカは、直るんですか?」


 楓のその言葉は、その場のみんなの気持ちを代表していた。


「ええ。ただ、荒療治が必要かもしれません」


「あらりょうじ?」みんなが首をひねる。知らない言葉だった。


「ああ、ごめんなさい。ええとね、ちょっと大変な治療、ってことよ」


 言いながら、町田さんは持ってきたカバンから、細いピンのようなものを取り出した。そして、それをワカの頭部のパネルの下に差し込む。


「あ……リセットスイッチか……」


 楓だった。彼女の家で使っているルータにも、このようなリセットスイッチが小さな穴の奥にあった。ちょっと前にルータの動作がおかしくなったとき、彼女の父親がつまようじを穴に差し込んでスイッチを押し、正しい動作に戻していた。今まで彼女は気づいていなかったが、ワカにもそういう機能があったのだ。


 やがて。


 ワカの頬に、小さくメーカーのロゴが表示された。


「やったぁ!」


 みんなが歓声を上げる。


 しかし。


「いや、まだまだよ」町田さんは顔を引きしめたままだった。「ちょっと待っててね。これからシステムをチェックした後で、メインストレージユニットを交換しないといけないから」


「メインストレージユニット?」瑛太がとなりの楓をちらりと見ると、彼女はあっさりと応える。


「電源を切ってもデータが消えない記憶装置のこと。パソコンで言えば、ハードディスクとかSSDみたいなヤツ」


「へぇ」


 そう言われても、瑛太にはイマイチよくわからなかった。


 町田さんがワカの上半身を持ち上げ、イスによりかかった形にする。続いてワカの上着を脱がして何やら操作すると、ワカの背中で10センチ四方くらいのフタがパカッと上に開いた。町田さんはそこから黒い小さな板のようなものを引っぱり出すと、持ってきたカバンの中から全く同じものを取り出し、それをフタの奥に差し込んでパチンとフタを閉める。


 その時だった。


 突然、楓が何かに気づいたようにパッと顔を上げ、町田さんを見つめる。


「町田さん」


「なにかしら?」


「メインストレージ交換、ってことは……ワカの記憶は、どうなってしまうんですか?」


「残念ながら、全部消えてしまうわね」


 あっさりと、町田さんは言ってのけた。


「ええええ!」


 クラスの全員が、悲鳴に近い叫び声をあげる。


「町田さん! 元に戻してください!」絵里香だった。「ワカの記憶がなくなる、ってことは、私たちと一緒に過ごした思い出も、全部消えてしまうんですよね? 私たちのことも、みんな忘れてしまうんですよね?……そんなの……そんなの、絶対に……いやですっ……」


 彼女の言葉の最後は、涙声だった。


「ごめんなさい」悲しげに町田さんは首を横に振ってみせる。「それはできない。いったんハッキングされてしまったら、どこに悪いソフトが仕掛けられているかわからないからね。ストレージユニットは新品に交換しないといけないの」


「う、う……うわあああん!」


 大声をあげて絵里香が泣き始めた。5年生になってからは、絵里香がみんなの前でこんな風に泣くのは初めてだった。それが伝染したかのように、教室のあちこちで泣き声や鼻をすする音が聞こえ始める。楓も瑛太もがまんしきれなかった。二人ともしゃくりあげながら、右手で涙をふいている。


 ワカはもう、みんなと過ごした時間のことを忘れてしまったんだ。武やピョン太を助けたことも、秋祭りのことも、全部。そんなんじゃ、たとえ直ってまた動き始めたとしても、ワカじゃないみたいだ。見た目はワカそのものだというのに。そんなざんこくなことが、あっていいんだろうか。楓は涙が止まらなかった。


 だけど、やがて彼女はとんでもないことに気づいてしまい、血の気が引いていくのを感じる。


 ”ワカが5Gにつないだのは、わたしがそう言ったからだ。それでワカはハッキングされてしまった。ワカがこうなったのは……わたしの……せいだ……”


「ごめん、ワカ……ごめん、絵里香ちゃん……ごめん、みんな……」泣きながら、楓がワカ、絵里香、そしてみんなに向かって順番に頭を下げる。「わたしがいけなかったの。わたしが、5Gにつないで、なんてワカに言ったから……ワカがこんなことに……」


「島崎さんのせいじゃないわ」先生だった。涙をぬぐいながら、彼女は続ける。「こんなことになるなんて、普通は予想もできないでしょ? だから、あなたのせいじゃない。あなたは何も悪くない。みんな、そう思うでしょ?」


「……」


 みんなは泣きじゃくっていたが、それでも全員がコクリとうなずく。それを見て、とうとう楓もがまんがならなくなったようだ。


「うわあああん!」


 大声で彼女も泣き出してしまう。それがまた新たな涙をさそい、気が付けば教室は泣き声の大合唱状態になっていた。


「ワカ……みんなにすごく愛されてたのね……」町田さんも鼻をすすっていた。


 しかし。


 ふと、何かを思い出したような顔になると、彼女は若村先生に向かって言う。


「先生、ワカは夜、いつもどこで待機たいきしてましたか?」


「校長室ですよ」と、先生。


「そこに案内してもらえますか?」


「え、ええ」


 キョトンとした顔の先生といっしょに、町田さんは教室を飛び出していく。


「……?」


 その場に残された子どもたちは、誰もがポカンとした顔になっていた。


 やがて。


 教室の引き戸が開き、町田さんと若村先生が帰ってくる。


「みんな! ワカさんの記憶、戻せるかもしれないよ!」


 そう言う先生は、笑顔に満ちあふれていた。


「ええええっ!」


 みんなの声がピッタリとそろう。

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