4

「救命状況の発生を確認。スクランブルモード、発動します」


 そう言ったかと思うと、ワカの髪がいきなり赤く輝きだした。それまで体育座りをしていたワカは、ジャキンと一気に立ち上がると両ひざを曲げて前に倒れ込む。ワカの体が前のめりに45度くらい傾いたところで、ギュイーンという音が聞こえ始めた。いつのまにかワカの足下にローラースケートのそれのような車輪が姿を表していたのだ。さっきのは高速回転するそれが発した音だった。


 あっという間にプールサイドを駆け抜けたワカは、その勢いのままプールに足から飛び込む。そしてプールの底をローラーで走り、ワカはみるみる沈んでいる武に近づいていった。


 あおむけになった武を両腕で支え、ワカはバンザイの形で水面の上に持ち上げる。プールの水深はワカの身長より少し深い。武と彼を支えている両手だけを水面から出した状態で、ワカはそのままプールサイドに向かって進んできた。


「武を引き揚げよう!」


 瑛太が声を掛けると、光宙をはじめとして男子たちがいっせいにプールに向かう。


「せいの!」


 男子たちが力を合わせて武の体を持ち上げ、プールサイドに横たわらせる。若村先生が小走りでやってきた。


「みんな、ありがとう。あとは任せて」


 そう言って、彼女は武の右手首を取る。


「脈はある……けど、呼吸が止まってるわね」


 いきなり先生はマウストゥマウスで人工呼吸を始めた。しばらくそれを繰り返すと、


「ゲホッ! ゲホゲホッ!」


 むせかえった武が、水を吐き出す。


「ふう……」先生が大きくため息をついた。「良かった。これで安心ね」


「あれ……おれ、どうなったの?」


 目を開いた武が、起き上がるとキョトンとした顔で言った。


「あなたは飛び込んだらいきなりおぼれて沈んだのよ」絵里香だった。「ワカが飛び込んで、あなたのことを助けたんだからね」


「ええっ! ワカが!?」


 驚いた顔で、武がみんなを見渡す。全員がうなずいていた。


「マジか……」


「武、ワカに対して、言わないといけないことがあるんじゃないか?」言いながら、腕組みをした光宙が横目で武を見下ろす。


「……」


 武はバツの悪そうな顔でうつむいたままだった。


 やがて。


「ありがとう……ワカ……」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声で武がポツリと言う。だが、その顔はワカから背けたままだった。


「聞こえないぞ、武」相変わらず横目のままで、光宙。


「……ありがとう、ワカ!」


 ようやく立ち上がった武が、すでにプールサイドに上がっていたワカに向き直り、大きく声を張り上げる。そしてそのまま頭を下げた。


「ごめんな、おれ、お前のこといじってばっかだったのに、助けてくれて、本当にありがとう」


「いえ、人を助けるのが、ワタシに与えられた元々の使命ですから」ワカが笑顔でこたえる。いつの間にか髪の色が赤から黒に戻っていた。


「……」光宙も笑顔になり、ポン、と武の右肩を叩くと、武も下げていた頭を戻し、決まり悪そうな笑みを顔に浮かべた。ワカが続ける。


「それに、ワタシだけじゃありません。武さんをマウストゥマウスで人工呼吸して下さったのは、若村先生です」


「え……先生が、おれを……マウストゥマウスで……」


 火が付いたように武の顔が真っ赤になった。実は彼は若村先生の大ファンなのだ。


「やべぇ……もうおれ、死んでもいい……」


「バカなこと言わないで」若村先生がピシャリと言う。「せっかくワカさんが助けたのに、無駄になっちゃうじゃないの。死んでもいいなんて言うもんじゃないわ」


「ごめんなさい……」


 シュンとなった武が、再び頭を下げる。


「それにしても、すごかったよ、ワカ。大活躍じゃないか」光宙が今度はワカの肩を叩いた、その時。


 いきなり、ピーという警告音が鳴り始め、ガクン、とワカが膝をついた。そしてそのままゴロリとコンクリートの地面に横たわる。


「お、おい、ワカ? どうしたんだ?」


 あわてて光宙がしゃがみこむと、


「バッテリー容量低下。スリープモードに入ります」


 その声と共にワカの右のほおに緑色で「5%」という小さい文字が現れ、両眼が閉じられた。


「どうやらスクランブルモードってヤツになると、一気にバッテリーを使ってしまうみたいね」と、楓。


「そうなのか……ワカもかなり無理してがんばったんだな」


 光宙が優しくほほ笑む。それにこたえるように、瑛太も笑顔になってみんなを見わたした。


「そうだな。ワカを教室に運んで、充電してあげよう。みんな、手伝ってくれ」


 その場にいた全員が、大きくうなずいた。

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