3
新学期が始まって一週間。ワカはいつもクラスのみんなと同じように授業を受けていた。
どの科目も、ワカは知識についてはほとんど完ぺきだった。先生に質問されても常に正解を答えていた。しかし……
苦手なのが、体を動かす作業だった。例えば、漢字の書き取り。ワカにも人間の手と同じ形のロボットアームがあるので、鉛筆を握って漢字を書いていくのだが……その文字は、お世辞にも上手とは言えなかった。
「うわあ、ワカ、お前、めっちゃ字下手なのな」
ワカの書き取りをのぞき込んだ武が、大声を上げてはやし立てる。
「こら、今田さん。そんなこと言っちゃダメよ」
若村先生が武をにらみ付けると、彼は肩をすくめた。
「てへ。怒られちゃった」
「今田さんの言うとおりです」言いながら、ワカが笑顔になる。「ワタシ、まだ頑張らないといけませんね」
そんなワカとは正反対に、楓の顔にはけわしい表情が浮かんでいた。
「……ワカ、学校の
そう言って、彼女は教卓の横にあるプリンターに向かってあごをしゃくってみせる。
「ええ。でも、それは……」
少し困ったような顔で、ワカは口ごもった。かなり人間らしい反応だ、と内心驚きながらも、楓はさらに続ける。
「見せてやったら? ワカのほんとの力を、さ」
「わかりました」
ワカが応えると同時に、プリンターが音を立てて動き始め、一枚の紙をはき出す。プリンターの前まで歩いた楓がそれを取って、みんなと先生に向かって広げた。
そこには、教科書体の漢字でマスが全て埋められた書き取り用紙が印刷されていた。
「先生、わたしらは練習しないと漢字が書けないから、書き取りして練習するのは当然です。だけど、ワカはこんな風に漢字を最初から分かっているんです。それなのにわざわざ書き取りをさせる必要、あるんですか?」
けわしい顔で楓が言うが、若村先生は穏やかな笑顔のままだった。
「それじゃワカさんに聞いてみましょうか。ワカさん、書き取りはしたくない?」
ワカは笑顔に戻っていた。
「ワタシは書き取りの練習をもっとしたいです。確かに、ワタシはいつでも正しい漢字を、しかもいろんな書体で表示したり印刷したり出来ます。ですが、ワタシは人間がどんな風に漢字を手で書いているのかを学びたいんです。人間について学ぶことが、ワタシの使命ですから」
「どうかしら、島崎さん?」首をかしげながら、若村先生が言う。「ワカさんはこう言ってるけど」
「……」まだ少し楓は不満そうだったが、それでもうなずいてみせる。「そういうことなら……別にいいと思います」
そう言って、楓はいそいそと自分の席に戻った。
「島崎さん、ワタシのためにありがとうございます」
ワカにそう言われた瞬間、楓がポカンとした顔になる。が、すぐに彼女は顔を赤らめ、プイ、とそっぽを向いて言った。
「べ、別にあんたのために言った、ってわけじゃないんだから」
その時、瑛太が身を乗り出して、何やらワカに耳打ちする。
「……なるほど。こういう反応のことを、ツンデレって言うんですね」と、ワカ。
「はぁぁっ!?」真ん丸になった楓の両眼が、再びワカに向いた。
「時国さんが、そう教えてくれました」
「えっ」それまでニヤニヤしながらワカと楓の様子を見ていた瑛太は、あわてて視線をそらす。心の中で彼はぼやいた。まったくもう、そこまでバラさなくてもいいじゃないか、ワカ。
「瑛太のしわざ、ね……」
目をそらしているので見えないが、楓が鬼のような表情になっているのは声だけで十分に分かった。それでも瑛太はとぼけてみせる。
「な、なんのことかな」
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ワカの最大の苦手科目が、体育だった。何をやっても動作がぎこちなくなってしまうのだ。短距離走も長距離走も、いつもビリだった武よりもずっと遅い。野球やサッカー、バスケと言った球技も全然ダメだった。もちろんどの競技もルールは分かっている。だけど、バッターボックスに立てばどんな球でも空振りしかしないし、そもそもキャッチボールが出来ないので、守備についても何の役にも立たない。サッカーボールも満足に蹴れないし、バスケはドリブルもシュートもパスもできない。
今日はプール授業で水泳なのだが、ワカは最初から見学組に入っていた。ワカは泳いだ経験がなく、まずは人間の泳ぎ方を見て学びたい、とのことだった。
「ったく、ダメなヤツだなあ、ワカは」
武がニコニコしながら言う。それまではクラスで一番体育が出来なかったのが武だったのだ。その彼よりも体育が出来ないワカがやってきたのが、彼にとってはうれしいらしい。だが、そんなふうにいじられても、ワカはいつも笑顔だった。
「あんまりワカをいじってばっかいるんじゃねえよ、武。ほら、お前の番だ」光宙が、ポン、と武の肩を叩く。
「お、おう」
あわてて武がプールのスタート台に立つ。今日はクロール25メートルのテストなのだ。泳げない子は泳げるようになる、というのが夏休みの宿題の一つだった。
「今田さん、準備はいい?」25メートル向こうで、若村先生が言った。
「いいでーす」
そう応えたものの、武の顔はひきつっていた。彼は水泳が大の苦手なのだ。それでもこの夏休み、やっと息継ぎをマスターして25メートル泳げるようになっていた……はずだった。
ピー、と若村先生がホイッスルを鳴らす。武はスタート台を蹴った。
バチャーン、と大きな水音。
「あちゃー……あれは思いっきり腹を打ったな」瑛太は苦笑いする。
ところが。
いつになっても武が水面に浮かんでこない。
「……!」
若村先生が水着の上に着ていたパーカーを脱いだ、その時だった。
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