光について

「えっ……?」


 不思議な位、渡部の顔がはっきりと見える。渡部は自分自身を落ち着かせるみたいに深呼吸すると、あたしの顔を見ながら真剣な顔でその試してみたい事を言い放った。


「昔……何かの本で、見た。変な現象に襲われたら……」

「襲われたら……?」

「頭の……頭の中でお経唱えながら走れば助かる、かもって」


 こ……こんな状況でそんなあやふやな事信じろって言うの? けど、本当にそれしかない、って感じの雰囲気で言うからあたしも……そうするしか、ない。だけど、なら。


「わかった……。けどもし……」

「試すしかない……星野さん」


 渡部はそれ以上続けないで、あたしの事を見つめる。あぁ……もう。分かった、分かったって! もうヤケで、だけどこのままだと変に心細いからつい渡部の手を握った。


「やるって、やる! だけどあたしの事しっかり引っ張ってよ! 信じてんだから!」


 あたしの言葉に渡部は深く頷いた。お経なんて例の有名なあれしか知らないから、あれを必死に、頭の中でループ再生し続ける。階段を降りて、降りて、降りて……もう、足の疲れや背中の痛みもなくなって、ただ、渡部の手の温かさだけが、感覚としてあって。けれどそれが不思議に心強かった。


「出れる……出れる出れる出れる出れる出れる!」


 気づくと大声で、渡部がそう連呼してるからあたしも。


「出せ、出せ出せ出せ出せ出せ……あたし達を……」


 「「ここから、出せえええええええ!」」


 偶然だった。あたしと、渡部の喉から振り絞る様な絶叫が重なってーーーー途端、渡部の体がよろめいて、あたしもそれに続いて派手に地面に倒れこんだ。まち! と呼ばれて震える足を無理やり立ち上げて、二人三脚ですぐにマンションから必死こいて逃げ出す。


 ……息荒げながら溜まりに戻ってきたら、あたし達を見てまっちょん共がケラケラと笑い声を出した。何があったかも知らないで。まっちょんがつかつかとニヤつきながら歩いてきて言う。


「おい、5分も経ってねえぞ。島田は連絡とれねーしてめえら何し」



 驚いた。


 渡部はあたしにここにいて、と言い残すと急に走り出してーーーー途端、腕を振りかぶるとまっちょんの顔目がけて思いっきりパンチした。全然そんな事した事ないだろうに、めっちゃ力一杯なそれはむしろ綺麗にまっちょんの顔にぶち当たった。


 まっちょんが後ろにふらふらとよろめいて、腰を抜かした。周りの連中も驚いて固まってる。えっ、えっ? と戸惑ってるまっちょんを見下ろしながら、渡部は言った。


「お前の……仲間になんか……ならない。強く……なんかならない」


 呆然としてるまっちょん。周りの連中が何だこいつ、とか怖、やば……とか言いながら帰っていく。あたしは渡部に寄り添って、もう良いよ、帰ろうと促す。まっちょんは何も言わず、ボーっと項垂れてた。



 帰り道を一緒に自転車漕ぎながら、あたしはどうしても聞きたかった事を渡部に聞く。ずっと引っかかってたから。


「……なんであんた、ああいう事出来たのにあんなイジメられてたの」


 渡部は前を向いたままあたしの質問に答える。


「ふ……不良の人に関わったら……強く、なれるかなって。俺……弱い、から」

「……選択肢ミスりすぎでしょ。……あんな事して、まっちょん怒るかもよ」

「もう、怖くない。あいつ……ほ、星野さんを危ない目に遭わしたから、許せなかった」


 あたしはつい自転車を急ブレーキしてしまった。


「……そんな事であんな怒ったの?」


 あたしの自転車のライトが渡部の顔を照らす。渡部はキョトンとした顔で言う。


「だ、だって俺のせいで、酷い事に巻き込んじゃったし……ごめん」

「巻き込むってあたしが自分から……あぁ、もういい。恥ずい」


 スピードを速めて渡部を追い越す。と、追い越してからまた自転車を止めてあたしは振り向いて言う。


「……後、あたしの事昔みたいに名前で呼んでよ。まちって」

「えっ、で、でも前ダサいから名字で呼んでって……」

「いいから。……じゃ、またね。タケル」


 あたしはそのまま、渡部……タケルの顔も見ないで、家へと自転車を走らせる。今胸の中が何とも言えない気分でいっぱいだけど、不思議と嫌な感じはしなかった。


 後日談。島田について。よく分からないけどスマホも懐中電灯も放り投げて、近くの雑木林でプルプル震えてるのを見回り中の警察官が見つけたらしい。家族の、家族の……とかよく分からない事を呟いていたそうで、今学校には来てない。まっちょんはなんか随分大人しくなったみたいで、皆その変化に首を傾げてるけど、本人は何も語らない、とは噂で聞いた。


 結局、あのマンションであたしが見そうになったあの光も、声の事も何も分からないままだけど、知らない方が良い、そんな事もあるんだろうと思い忘れる事にした。


「おーい、タケル」

「あっ、まち……さん」


 前を歩いてるタケルに、あたしは駆け寄って腰を叩く。タケルはまたボーっとしてる面持ちだけど、まぁそれもタケルらしいと言えばらしい。


「最近どうなん、空手教室の方」

「結構、骨とか痛くて……」

「そりゃ打ち合ってるから当たり前でしょ……」



 そんな、どうでもいいような会話しながら歩いてたら太陽の陽射しが伸びてきた。何となく温かくて、柔らかい光で気持ちいいなと思った。

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柔らかい光 @kajiwara

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