光を見るな

 メゾン・ド・つきみや。数十年前にあたしの町の近くで建てられたマンションで、当初は東京とかから引っ越してきた人が静かな自然に囲まれた生活をする為に建てられたマンション、だった。あくまで噂、なんだけど……住人が何人も飛び降りしたり、変な物音に悩まされて病んだり、挙句どっかの部屋で一家心中……みたいな事があった末に住人がいなくなり廃墟になったそうだ。


 自然に囲まれた、というだけあってつきみやは町から少し離れた山の中にある。雑木林を抜けた先にあって、周りに建物らしい建物が無いから余計に悪目立ちしてる。誰も住んでいない筈なのに何故だか部屋に光が付いていたり、人の声が聞こえてくるから何かネットとかで心霊スポットとして名前が挙がる位には無駄に知られてる。


 ……なんで、そんな所に自転車漕いで向かってんのあたし。もう夏休みに入ったのに。こんな馬鹿げた事する位なら誰か誘い……誘われないからこんな事してんのか。それにまっちょんのクソったれに啖呵切ってしまった手前、逃げたくなかった。


 つきみやに入る手前の集合場所に行くとあぁ、いた……。自転車に乗った、知らん他校のいかにも素行も性格も悪そうな男子が数人。きっとまっちょんの連れだろう。そこで偉そうにガハハ笑いしてやがるまっちょんと傍らの島田。そして、ぬぼーっと立っている渡部。お前のせいだぞ大体。と、島田が近づくあたしの顔に自転車のライトを当てて。


「おい、こいつマジで来たぞ。マジで友達いねーんだな」


 島田に合わせるような笑い声。本当に本当にむかつく。まっちょんが自転車から降りてあたしの方へと近づいてくるからあたしも渋々自転車から降りる。まっちょんはあたしを見下ろしながら小馬鹿にしたように言う。


「……普通来ねえよ。お前、女の割に度胸あるんだな」

「どうでもいい……あたしは何すればいいかだけ言って」


  あたしがそう聞くと、まっちょんは背後に見えるつきみやをチラ見して、詳しく話し出す。


「この先に破れてる金網があんだよ。それは普通に潜っていけるから、そこから変な光が見えるって言う五階の部屋を見舞われ。非常階段のドア、何か壊れて閉じてねーらしいからそこから」

「……あんたは自分でそれ、確かめたわけ?」


 あたしがそう聞くとまっちょんは無言。何だこいつ。先に確かめてきた位言えよクソデカい図体して。まっちょんは渡部を顎差しながら。


「お前とあいつが帰ってきたら俺らが次に行く。何にも異常ねーかスマホで撮ってこい。そしたら帰してやる」

「……懐中電灯とかはないの」

「島田、おめえもいけ」


 すっかりあたしと渡部の二人で行く、と思い込んでたのか仲間内と騒いでいた島田がまっちょんの一声にえぇっ!? と素っ頓狂な声を上げた。目に見えて慌てた様子で駆け寄ってきた。


「ちょ、ちょちょちょ待ってよまっちょん! 俺も!?」

「おめえがライト持ってんだから渡せよ、後こいつらだけだと入る前に逃げるかもしんねえから見張り役しろ」

「ま、まっちょ……」


 島田が何か言おうとするとまっちょんが拳を無言で振り上げる。わかりました……と深く俯いてしょんぼりと答える。こいつもこいつで気の毒かもしれない。同情なんてしないけど。


 渋々島田があたしと渡部に細い、今にも電池切れそうなライト、自分がやけにデカいライトを手に持ちあたしを先頭に(何で先頭なんだよ)つきみやへと向かう事になった。島田がぶつぶつ後ろでうるさいし、渡部はずっと無言だし何なんだと唾吐きたくなりつつ堪える。


 ……まっちょんが教えた様に、確かにつきみやを囲む大きな金網は、ライトで照らしてみると多分同じ様に肝試しに来た不良が壊したのか、プラプラと端々が切れていてあたし達はゆっくりと金網を体で押して、敷地内に入る。


「は……早く、行けよ……」


 まっちょんと絡んでる時の威勢の良さが嘘みたいなビビり声で島田が急かしてくる。それならあんたが先頭行けよと口喧嘩しても無駄だろうからあたしはもうつかつかと早足で行く。当然ながら正面は立ち入り禁止、と黄色いテープで覆われていて閉じている。から、裏側……非常階段に通じるドア、があるらしい


 ライトで周辺を照らしているけど、今の所変な様子はない。時折見上げると壁が蔦が生えまくり、ぐちゃぐちゃに絡まっていて、それがやけに気色悪いんだけど。と、例のドアだ。……あたしは足を止める。せめてさ、こんな時くらい役立ってよ。


「……渡部」


 あたしが後ろにいる渡部に顔だけ振り向くと、渡部は――――不思議に拒否ったりビビる事無くあたしを通り過ぎてドアノブを握った。あんた、こういうの怖くないんだ……。ちょっと意外だった。見守っていると、渡部はドアノブを握って、回した。


「……開いた」


 ……本当に開いた。こういうの知らんけど管理会社がしっかり施錠してるもんじゃないのか。島田が何で開くんだよ……とこの世の絶望みたいな声を出した。施錠し忘れてるのか、また金網みたいにどっかの悪い奴の仕業なのかは知らない、し興味ない。


「行こう」


 あたしが何か言うよりも渡部がそう小さく呟いて、率先してマンションに入っていく。って、ちょっと待ってって。なんで急にやる気みたいになってんのよあんた。小さい引っ掛かりがありながら、でもさっさとこんな馬鹿げた事終わらせたいのであたしは渡部の背中についていく。島田は付いてきてるか来てないかは知らない、足音だけは聞こえる。


 渡部……ちょっと早いって……。ライトでどうにかその背中を照らして追いかける。カン、カンと非常階段の鉄筋を踏む音だけが辺りに響いていて、正直大して怖い物なんてないと思ってたけど、流石にあんまり気分が良くない。


 どれくらい……多分、五階だ。目の前に外廊下が見えた。当たり前だけど、どの部屋も明かりなんて付いてない。ただじっとりとした嫌な暗さが漂ってる。あたしはもうその場にいるのも嫌なんだけど、渡部は臆せずつかつかと前を歩いていく。


「ちょ、ちょっと……」


 もしかして、本当にこの肝試し終わったらあいつらの仲間にしてもらえるとか思ってんのかな、馬鹿正直すぎる、っていうか馬……と頭で毒づいた時だった。


 ……え? ふと耳に何かが聞こえてきたのを感じた。島田、と思ったけど、後ろを振り向いても誰もいない。前を見ても渡部しかいない。だけど確かに……誰かの……鼻歌が、聞こえてきた。


 女の人の声。


 どこか嬉しそうで、気分の良さそうな鼻歌。それが私の耳をなぞった。気のせいだと思った。思いたかったけど、それは段々と近づいてくる。わ……渡部……と縋ろうとするんだけど、はっきりと鼻歌のメロディーが認識出来てしまった。


 顔、上げられない。だって、私の前に、誰かが立ってる。


 歩けない。心臓の音がやけにクリアに聞こえてくる。あっ、やばい。怖い。訳わかんない。気づいたら鼻歌は止まっていて、だけど、誰かが私を見下ろしているのははっきりと分かる。見てる。あたしは耐え切れず、その場にしゃがんだ。


 しゃがんでいて地面しか見えてないけど、パッ、パッ、って上で明かりが付いてる。誰か住んでる……? 気づけば私の耳に誰かの話してる声が聞こえてくる。楽しそうに話してる。男の人の……声? はしゃいでる子供の声。


 あたしはその会話がどこか懐かしい感じがして、つい顔を上げてしまう。なんか……まだ、パパが家にいた時みたいで。どんな人達が住んでるんだろう。あたしは立ち上がって、その部屋の窓を覗――――。



「ほ――――星野さんっ! やめろー!」


 途端、あたしの体が冷たい床に押し付けられて、次に……痛み。背中、いっ……たい。何なの……? と思ってたら渡辺が息を上げながらあたしを見てる。状況が呑み込めないでいると、渡部は息をぜえぜえさせながら言う。


「今……飛び降りそうに……なってたから……ごめん」

  

 えっ……? あたしが飛び降りるって、ここから? 今さっきあたし、どこかの部屋の前でしゃがんでて、それでどんな人がいるか覗こうとしてた……筈だけど、起き上がると真っ暗だった。目が暗闇になれたからかぼんやりと渡部の事は見えるけど……あたし、今、何を見てたの?


 ずっと頭の中がモヤモヤしてたら、渡部が小さくない、きちんと聞こえる声であたしに言う。


「……帰ろう。巻き込んで……ごめん」


 あたしは大きく頷いて。急いで立ち上がる。ライト……いや、もうそんな事言ってる場合じゃない気がする。早く、早くここから逃げなきゃ。


「逃げよ……逃げよう!」


 あたしがそう言うと、多分渡部も頷いて無我夢中で来た道、というか来た階段を戻って急いで駆け降りる。早く、早くってずっと降りてる筈、何だけど終わらない。おかしい。五階からとっくに降りきって地上に着いてなきゃおかしいのに全く一階にたどり着けない。


「どうなってんの……」


 もう無限に同じ事、繰り返してる気がする。あたしは疲れと混乱がどうしようもなくって、足を止めてしまった。振り返ると、あの外廊下が目の前にあった。さっきよりもずっと暗闇が深く感じて、腰が抜けそうになった、のを渡部が支えてくれた。


「あっ……」


 ……なんで。あたし、ずっとあんたの事……情けないとか、ダメな奴だって思ってたのに、なんで。


「星野さん、大丈夫……」


 何でそんなに、あたしを気遣うの。あたしなんてほっといて、自分だけでも逃げればいいのに。まっちょんに勝手に腹立って、勝手に肝試しに乗り込んでたのはあたしなのに、どうしてあんたは。


「……無理、かも。……タケル」


「タケルだけ逃げて。あたし、もう」

「……試したい、事がある」


 


 

 

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