第二話『打ち出の小槌』
「やっぱりこの、特別養護老人ホーム『わくわく健やか』がいいんんじゃないかしら?」
金恵が、冊子の一冊を指差す。
「うーん、でもこっちの介護付き有料老人ホームも余裕でいけそうだけどな」
と、宝助。
「何言ってるのよ。見積書のここ、よく見て? 入居一時金、五百六十四万円よ? 月額利用料の安さに騙されちゃいけないわ」
「ああ、本当だな。こりゃダメだ。そっちのは、そんなに安いのか?」
「ええ、そうよ。ほらこれ。平均月額利用料が二万五千円で、介護サービス自己負担額は二万七千円。それに食費と医療費、理美容費なんかを足してもせいぜい……十万円弱よ。まぁまぁ狭めの従来型
「へぇ、破格じゃないか。やっぱり特別養護老人ホームは安いんだな」
「だって、公営だもの」
「そうか。というか、医療費は薬とかあるだろうしわかるとして、食費って、そんなにかかるのか? 寝たきりだぞ?」
「あなた知らないの? 胃に管を通して特殊な液体の食事を入れなきゃならないのよ」
「なるほど、それは金がかかりそうだな」
「まぁ、そこは仕方ないわ。どこへ行っても同じだもの。これでも費用は抑えられている方。で、ここに決めていいわよね?」
「うーん、でもねぇ……」
「何よ、そんなに……建物の古さが気になる?」
「そう、そこなんだ。ちょっとあそこ、不気味な雰囲気があるというか……」
「ほとんどベッドの上で過ごすんだから、建物がどうだろうと関係ないわよ。それに、特例で優先的に入れさせてもらえるのよ? 入所判定会議の決定権を持ってる理事長さんとのせっかくのコネを無駄にするわけ?」
「うん……それもそうだな。あと、気になってたんだが、お義父さんが『要介護5』認定された途端に、こうもタイミングよく施設に空きができたのは、どうしてなんだ?」
「やあね、あなた。逆よ」
「逆?」
「施設が空くタイミングに、お父さんが『要介護5』認定されるように、調整したのよ」
金恵が、ニヤリと笑う。
「調整? そんなことできるのか? それもあれか、理事長さんとのコネで?」
「というよりも……そこはお医者様との協力ね」
「はぁ、よくわからないなぁ」
「降圧剤と、抗うつ剤を増やしてもらったの」
「増やした? 減らした、の間違いじゃなくて?」
「もちろん」
「えーっと……それだとむしろ、体も心も良くなりそうな感じがするけど」
「あなた、まだまだね」
「と言うと?」
「降圧剤で血圧を下げると、脳に血が巡りにくくなるでしょう? すると栄養や酸素も行き渡らないわけだから、ボケが早くなるのよ。抗うつ剤も、副作用で強い眠気を伴うものにしてもらったから……」
金恵は、邪悪な顔をしている。
「おい! 金恵お前!」
宝助が、声をやや荒げる。
「な、何よ。そんなに大声出すと透に聞こえちゃうじゃない」
金恵は、透の方をチラッと確認する。
すると宝助は、腕を金恵の肩へ回し……
「ははは、金恵お前……最高じゃないか!!」
そう言って、ポンと、強めに叩いた。
「そ、そうでしょーう? 三十六万円から十万円差し引いても、月々の収支は約二十六万円! もっと褒めてくれたって、いいのよ?」
得意げな金恵の顔を、透が見ていた。
「おかあさんとおとうさん、うれしそうだけど、なんのおはなししてるの?」
透が尋ねる。
「えっと……あれよ、おじいちゃんすごいね、って話してただけよ。ちなみに透ちゃんは、それ、何読んでるの?」
「これ、
透は古めかしい本を持ったまま起き上がって、テーブルまでスタスタと歩いていく。そして、本をバッと開いて、見せつけた。
「とっても古い本みたいだけど、何かしら?」
金恵が、目を細めて、色んな角度から本を観察する。
「『おとぎぞうし』だよ。いま、よんでるのは、いっすんぼうし! いっすんぼうしが、おにをたいじしたら、おにが
「でも透、こんなに古い本なんか持ってても……昔の言葉は読めないでしょう?」
苦笑いの金恵。
「ううん、よめるよ? ためおおじいちゃんが、ぼくにもよめることばで、かきたしてくれたんだよ」
本の見開きには、小槌を振るお姫様の姿、そして小さな一寸法師が、ぐんぐんと大きくなる場面が、描かれていた。
〈第三話『仮初めの慰労』に続く〉
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