人間よ、打ち出の小槌になるなかれ

加賀倉 創作【書く精】

第一話『むにょむにょハンマー』

 六歳のとおるは、リビングの床の上に寝転びながら漫画本を読んでいる。母の金恵かなえは、夫の宝助ほうすけと透を横目で見守りながら、何やらお金の計算をしているようだ。


「父さん、あの時代には珍しく国立大学を出て、金剛こんごう商事に入って三十八年勤め上げたのよね。冷静になって考えてみると、すごいわ。感心しちゃう」

 金恵は、横長の硬い冊子をパラパラとめくり、そう言った。

「いやあ、本当に。そのおかげで、お義父さんの預金口座には……」

 隣に座る宝助の口元は、やや緩んでいる。


 金恵の実父、兼元為男かねもとためお名義の預金通帳には、ひと目では桁を把握できない程の数字が、印字されている。


「本当にすごい額よね。一、十、百、千、万、十万、百万、一千万……もうすぐで、一億。でも、まだまだ増えるわ。老齢基礎年金の約六万円と、老齢厚生年金が最高額の三十万円強。合計三十六万円が毎月入ってくるんだから。ああ、数年後の相続が楽しみっ」

 金恵はウキウキしながら、指を一本ずつ折り曲げていく。

「これほどの資産と収入のある老人は、果たしてこの日本に何人いるんだろうなあ。金恵は本当に、いいお父さんを持ったもんだ」

 宝助は、通帳を覗き込んでそう言った。

 寝転んでいた透が、ムクっと立ち上がる。

「うおー! トール・ザ・ストロング、かっけー! いけ! むにょむにょハンマー!」

 透は、分厚い漫画本を武器に見立てて、虚空こくうに向かって元気よく技を繰り出す。ヒーロー漫画のキャラクターの真似事らしい。

「透ちゃん、ちょっと静かにしてちょうだい。今お父さんとお母さん、大事なお話をしてるから」 

 金恵の声には、温もりがこもっていない。

「へぇ、なんのはなし?」

 何も知らない透は、無邪気に尋ねる。

「えっと、それは……透にはまだちょーっと難しい話かもしれないわ。そうよね、あなた?」

 金恵はそれとなく誤魔化しつつ、宝助に助けを求める。

「うん、お父さんもそう思うなあ……そうだ透、父さんが巨人の悪魔になってやろう。おい、雷神トールよ! 我輩と勝負しろ!」

 宝助は立ち上がって、奇妙な動きで透に近づく。

「うーん、いまはいいかも。マンガのつづきが、きになるんだー」

 透は再び寝転んでしまい、両手で漫画本を持ち上げて、バッと広げた。

「お、おぉ、そうか」

 透かされた父親は、しょんぼりして妻の隣に蜻蛉とんぼ返りした。

「ちょっとあなた、相手にされてないんじゃないの?」

 金恵は、宝助の脇腹を肘で小突く。

「参ったなあ……ま、それよりも、計算の続きをしよう」

「そうね」


〈第二話『打ち出の小槌』に続く〉

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