第13話


 僕は珈琲店まよいぼしのカウンター席に座っていた。衣装が変わっているのは、雨で濡れてしまった制服を乾燥機で乾かしているからだ。目の前では、暁霞あかつかさんが珈琲を淹れている。自己紹介で得られた情報は名前だけであったので、この店のオーナーなのか、店長なのかも不明。少なくとも珈琲を淹れる手際をみる限り、普段からキッチンに立っていることは分かる。


「珈琲をどうぞ」

「ありがとうございます」


 美空みそらさんに連れ込まれた場所は、まよいぼしの事務所だったらしく、裏口を抜けると、バックヤードに繋がっていた。お店の方が美味しい珈琲を淹れることができるから、という理由で移動して来たのだが、その甲斐あって、自分が危うい状況にあることを忘れさせるほどに、美味しい珈琲である。


「美味しいです」

「良かった。先日は僕が不在で申し訳なかった」


 藤崎ふじさきと訪れた時の話か。路地裏での出来事を含めると、二度も訪れたことのある場所なのだが、夜の暗さ故か、それとも道順の問題か、通って来た道に見覚えはなかった。


「いえ。素敵なお店ですね」

「ありがとう」

「あの、美空さんは」

「もう家に帰ったよ」

「そうですか」


 更衣室を出た後から姿を見ていなかった。てっきり彼女も着替えているのだと思っていたが、帰ってしまったのか。彼女にも聞きたいことが山ほどある。しかし、今は暁霞さんとの会話を優先するべきだ。美空さんとは、学校で会うこともできる。この先も学校に通うことが出来たらの話だが。


「あまり遅くなってもいけない。早速本題に入ろうか」

「そうですね」


 歩いて帰れない距離ではないが、最終電車には乗りたいところだ。


「君、ここで働く気はないかい?」

「……それは命令ですか?」


 想定していた内容と若干のずれはあったが、意図は理解できる。簡単に言えば、犯した罪については黙っといてやるから働けと言うことか。


「いいや、提案だ。決定権は君にある。かなうは君のことを随分と脅していたみたいだけど、この写真は、君と本音で会話するための材料に過ぎない。僕はこれを使って君をどうこうするつもりはない」


 暁霞さんは証拠となる三枚の写真をカウンターへ放り出す。大小二つの指紋がついているため、先ほど美空さんが持っていた写真だと思われる。発言の内容には懐疑的な印象を抱かざるを得ないが、どうしたものか、嘘はないのだ。


「ならば、僕は働く気はないと答えます」

「はは、素直で結構。けれど、話くらいは聞いてもらいたいね」

「話を聞くくらいならば」


 こちらが不利な状況下ではあるが、僕は敢えて、対等のように振る舞った。


「このお店には、僕の気に入った人間しかいない。みんな魅力あるだ。そして君もだよ、立花たちばなほまれくん。ゲームを見させてもらった、とても眼がいいんだね」

「僕は本物ではありません」


 本物などではない、それは美空叶や、人類史上ほんの一摘みの奇才を指す言葉だ。


「そんなことはない。いずれ分かる」

「どういうことですか」

「この世の全ては必然で、いずれ一つの結末に辿り着くようにできている。その道が無数に存在するだけでね」

「スピリチュアルな話ですね」


 宗教の勧誘ではないだろうな。考え方の一つなので、否定するつもりもなければ、その根拠もない。とはいえ、物語のように起承転結が決まっている世でないことくらいは僕にだって分かるのだ。


「そうかもね。今はそれでいいさ。とどのつまり、君は遠回りをしているってことだよ」

「僕の何を知っているんですか」


 相手の何もかもを悟ったような態度からか、言葉に少々感情が入ってしまう。これでは人生観の話ではないか。人生の終着点などそんなものについて考えたことはないし、これからも考えるつもりもない。そのため、歩んでいる道に正解も不正解もないはずだ。


「何も知らない。知っているのは君だ。ただし、僕は”君の知らないこと”を知っている」

「……僕の知らないこと」


 所詮、赤の他人だ。彼の言葉を信用する理由なんて一つもない。嘘はないが、それが真であるとは限らないのだ。しかし、何故だろう。たった一言、僕の知らない物語に興味が湧いた。


「立花玲くん、今一度問おう。ここで働く気はないかい?」






 長い長い地下道をゆっくりと歩いていく。ローファーが鳴らす音が誰もいないトンネルへ響き渡る。蛍光灯と同じ模様のタイルが繰り返される景色は、この道を永遠に思わせる。


 生まれてこの方、自分の見たものだけを信じてきた。誰よりも鮮明に見えていたから。自分の聴いたものだけを信じてきた。誰よりも鮮明に聴こえていたから。味覚も嗅覚も触覚も同じく自分の感じたものを信じてきた。だからこそ「僕は君の知らないことを知っている」という言葉が頭から離れないのだ。


 永遠など存在するはずもなく、地下道は終わり駅へ。改札を通ると、出町柳(でまちやなぎ)行きの最終電車がちょうどに到着した。ホームには僕を含めて六人の人間が電車を待っており、そのうち五人だけ乗り込んだ。わざわざ電車を逃すなど一体何を考えているのだろうか。ホームにはが唯一残っており、最終列車を見送った。

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まよいぼし @sheep_xx

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