第12話
「先週の深夜、どこにいた?」
血の気が引いていく。高まった心拍数が体温と共に下がっていくのがわかる。雨は止んでしまったのか、僕の耳にも届かない。
刑法第百八十五条、賭博をした者は、五十万以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまるときは、この限りではない。
刑法第百八十六条、常習として賭博とした者は、三年以下の懲役に処する。
「先週っていつかな」
「五月七日だけど、そこまで言わないと分からない?」
動揺を悟られないように、返した発言は逆効果で、より自分を追い詰めた形になってしまった。僕が取り乱してしまっている理由は、
「人違いじゃないかな」
「嘘はよくないよ」
君にだけは言われたくない言葉だ。と喉まで出かけかかる。
彼女は大きくため息を付くと、ゆっくりと腕の力を抜いて、僕の胸から離れた。雨が止み、雲が薄れ、月明かりが彼女の顔を照らす。濡れた髪が目にかかり、表情もどこか空虚で、
「これ、君がいけないことでお金を稼いでいる証拠」
美空さんの手には三枚の写真があった。一枚は店に入ろうとしている写真。二枚目はポーカーを行っている時の写真。そして、三枚目は金を受け取っている写真。ご丁寧に現像までしてある。どのようにして写真を撮ったのだろうか、店に入る際は十分に警戒をしていた。相当手だれのパパラッチでも雇ったのか。
「目的は何?」
証拠があるのならば、ここでシラを切っても時間の無駄。彼女がどのような目的でこのような行動を取っているのか知る必要がある。ただの正義感だとは思えない、知らないことばかりだが、そんな精神で生きている人間でないことは知っている。
「目的か、そうだね。この写真を学校にばら撒いたら、君の華々しい高校生活は終わりを迎えるわけだ」
「そりゃそうだ」
「なら、私の猫になってもらおうかな」
「……猫」
「私、犬より猫派なの」
漫画や映画以外でこんなセリフを吐く人類がいるとは驚きである。三回回ってお手からニャーってか。
「つまり、忠犬ならぬ忠猫になれと」
「そう、私に絶対服従してね。私が鳴けと言えば、ちゃんとニャーって鳴くんだよ?」
さて、どう考えても由々しき事態だ。先程から美空さんの発言には嘘がない。これが本当の顔だとすれば、ここまで表裏のある人間の犬、いや猫になるなんて、文字通り人権の剥奪と言っていい。
「僕は愛玩動物としてもイマイチだと思うけど」
「大丈夫。しっかりと可愛がってあげるから」
狂ってやがる。
「……」
打開策を考える時間を設けたいが、一瞬でも隙を見せたらまず間違いなく、彼女の術中にハマってしまう。決して目を逸らさぬように、一挙手一投足の全てに集中する。彼女は、そんな僕の思考など知るよしもなく、絶対零度よりも冷たくニコリと微笑んだ。
「嘘だよ」
「え?」
「だから、嘘」
そんなわけはない。彼女の言葉には一言たりとも嘘は含まれていなかった。
「嘘って、どこからが」
「全部。君の人生に微塵も興味はないからね」
鳥肌が立った。ゼロケルビンの中、凍死しなかっただけマシと思うべきか。
美空さんは空虚な表情に戻ると、背後の壁に備え付けられたスイッチをパチリと押す。照明が点灯し、黒に包まれていた室内が顕になる。美空さんの自宅だと思っていたが、どうやらここは、家の機能を持っているわけではないようだ。分類するならば事務所の類になるだろう。部屋の中心にはテーブルとソファーが設けられており、その空間を照らす星をモチーフにした照明が二階から吊り下がっている。
「ここは」
この場所について問おうとした瞬間、ガチャリと扉の開く音がした。音は二階の方から吹き抜けを抜けてきたので、既にこの建物の中に僕らではない誰かが居たということになる。急な音には身が強張ったが、それ自体に驚くことはなかった。ここは美空さんの自宅の想定であり、誰かしら両親や兄弟が一緒に住んでいてもちっともおかしくはないからだ。こちらもそのつもりで、お邪魔したわけで。しかし、人口照明が付くまでは、漏れる月明かりが照らす空間のみの世界に迷い込んでいたので、他の存在をすっかり忘れていた。
その誰かが、階段をコツリコツリと一音ずつ降りてくる。足音が近づくにつれて、美空さんによって狂わされていた僕の思考はだんだんと整理がついていった。
「
「あなたは」
その声を聞いた時、この一連の出来事の真相に辿り着いた。僕はこの人間を知っている。加えて、彼こそが、僕の抱えている問題の元凶の男であることを認識した。
一週間前の五月七日に路地裏で出会い、まよいぼしという珈琲店を僕に教えてくれた男。そして、おそらく、その八時間前に、同じカウンターでカランコロンとウイスキーを嗜んでいた男だ。一週間前の記憶なので、全体的にモヤがかかっている。こんな時、自分がハイパーサイメシアであればと思うが、生憎、そんなに高性能ではないので、必死に海馬を働かせる。
ここで出会い、美空さんと何かしらの繋がりがあると知らなければ、考えもしなかったが、間違いない、二人は同一人物である。
「自己紹介がまだだったね。僕は暁霞(あかつか)結(ゆう)」
あかつか、ゆう。
「そちらは僕のことをご存知のようですが、……立花玲です」
律儀に自己紹介などしている場合ではないと思うのだが、今は、向こうの出方を伺うしかない。
美空叶は無言のまま。流石に、これで赤の他人であったら、この男がただの変質者ということになってしまう。
「とりあえず二人とも、服を脱ごうか」
うん。ただの変質者かもしれない。
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