第11話

 

 人は嘘をつく生き物だ。

 僕は、生まれた時から凡そ五感と呼ばれるものが人よりも優れていた。僕以外の人間になったことはないので、どれほどの違いなのかは定かではない。僕にとっては当たり前であったが、他の人からすればそうでなかったというだけで、よくある話。まあ、苦労がなかったわけではない。特に聴覚は、騒音や雑音が痛みであった。それもいつしか慣れてしまった。きっと、敏感過ぎる故に、痛みを感じぬよう、鈍感になったのだろう。

 ただ一つ、人の嘘を見抜けるという癖が残った。視線、抑揚、声色、声量、仕草、姿勢、発汗、呼吸、そして心臓の音。見聞きすればわかる。だからこそ思う、嘘は悪ではないと。




「うわー、雨降りそう」

「今日、夜から雨の予報だったけ」


 空はどんよりと分厚い雲に覆われていて、月の光を通す隙間すらなかった。


「そう言えばお天気お姉さんがそんなこと言ってたかもな。こんなに遅くなるとは思わなかったから傘ねーや」

「私も。降り出す前に帰ろっか。かなうちゃんってお家遠いの?」

「ううん。歩いてすぐのとこだよ」


 ここから歩ける距離ということは、学校も徒歩で通学しているのだろう。花開院けいかいん高校は、大学進学のために、全国から受験生が集まる。そのため、一人暮らしをしている層も多いのだが、都心に近づくにつれて、家賃が上がっていくためか、若干のドーナツ化現象が起きており、公共交通機関を全く使わずに登校している生徒の方が珍しい印象だ。


「そっか、なら良かった。でも危ないから、ほまれが送ってくれるって」

「はいよー」


 美空みそらさんの家を確認した段階で、このような流れになる予想はついていた。そして、れんではなく、僕に送迎を頼んだ理由も夏希なつきなりの気遣いなのだろう。時刻は二十一時、中学生は帰宅している時間だ。


「やば、そろそろ電車来ちゃう。廉、行くよー」

「二人ともまたなー」


 雨の匂いが濃くなった。もう降り出すな。おそらく、傘を持っているのは僕一人。この傘をどのように使うかも僕次第だ。


「夏希」

「何ー?」

「これ貸しとく」


 鞄から折りたたみ傘を取り出す。ここから家との直線距離が最も長いのは廉だが、徒歩の時間を考えると、雨に降られる可能性が一番高いのは夏希である。夏希の家は、通学するうえで駅までバスを使うか迷うくらいの位置にあり、坂道が多いので自転車も使いにくいのだ。そして、最終バスも出発してしまっているだろう。


「いや悪いよ」

「いいから」

「でも」

「電車に遅れるぞー」


 廉が夏希の鞄を軽く引っ張る。このまま押し問答になりそうだったので、良き判断である。


「ぐっ。……ありがと! 受けっとっとく」

「ん」

「じゃあ、また明日!」

「じゃあね」


 お互い姿が見えなくなるまで手を振り合う。どうせ明日も会えるだろうと、空気の読めないことは言わないお約束である。


「行こっか」

「うん」


 さて、“偽りの美少女”と共に歩き出す。

ここからの帰り道、他愛のない会話を繰り広げるだろう。しかし、それは無意味だ。何故ならば、美空叶の言動が全て嘘だから。彼女が僕と出会ってから行った言動が、一度たりとも”本当”であったことはない。もちろん、発言の内容の全てが嘘というわけではない。例えば、僕が問うた身長について、彼女が答えた156cmというのは事実なのだろう。しかし、視線、抑揚、声色、声量、仕草、姿勢、発汗、呼吸、そして心臓の音。何をとっても嘘、偽りなのだ。

 もちろん、人と話す際、自身を脚色するために、嘘をつくことなどよくあることだ。声色を作ってみたり、あざとい仕草をしてみたり。


「雨」

「降ってきたね。急ごうか」


 雨に頬に触れたことに気付き、一度瞬きをし、空を見上げる。この一連の動作になんの綻びもない。それどころか、彼女は今日、僕達と出会ってから、一度も乱れることなく一定の心拍数を刻んでいる。そんなことがあり得るのだろうか? わかりやすく言えば、美空叶という人間を演じている何か。

 嘘が悪でないように、この行いが悪だとは言わないが、とても不思議な感覚に陥ってしまう。


「ついたよ」


 どれくらい歩いたのだろうか。彼女の言った通りで、ほんの数分だったはずなのだが、知らない場所に立っていた。美空さんの視線の先が家なのだろう。このようにあやふやな言い方になってしまったのは、そこが家と呼ぶべきなのか分からなかったからだ。背後には街頭があるので、光量は足りているはずなのに、その建物の輪郭はぼやけており、何時ぞやの猫のように夜に溶けていた。


「あがって」

「え?」


 この場合の、あがってとは家にあがっていってという意図で間違いないのだろうか。


「傘いるでしょ? あと、拭くものくらいは用意できるから」


 気にするほどでもないパラパラとした雨であったが、いつの間にか水が染み込み全身が重たくなっていた。美空さんの言葉のまま玄関へ足を運ぶ。本来ならば、こんな軽率な行動はしないのだが、彼女の発言は嘘ばかりなので、何を信じて、何を疑うべきなのかが分からないのだ。これが僕が彼女のことを苦手と感じる理由なのかも知れない。


「お邪魔します」

「玲くん」

「ん?」


 彼女の名前を呼ばれて振り返ると、彼女は突然、僕の胸に飛び込んできた。腕を背中に回し、しっかりと抱きしめられる。女の子らしい柔らかい肌触りが、水に濡れて、より鋭敏になった僕の感覚を刺激する。彼女の呼ばれた名前が耳の中で何度も反復し、心拍数が上昇する。状況が理解できない。


「どうしたの?」

「玲くん、一個聞きたいことがあるんだけど、聞いていい?」


 聞きたいこと。それは雨に降られた状況で、暗闇の玄関でなければ聞けないことなのかを問いただしたい。


「どうぞ」




「先週の深夜、どこにいた?」




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