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 時計の短針が三に重なったのを確認してから、椅子に座ったトウコの首に指を置いた。トウコの両手足には暴れないようにと二人のタイが巻かれており、それはさながら電気椅子に縛られた囚人のようだった。こんな格好させたくないと何度抗議しても、トウコはそれを認めなかった。

 二つに結わえられた根岸色の髪は見てもいつ荒れている。私はそれを認めるたびにどこか悲しくなって、見ないふりをし続けていた。

 首に触れていた指をそうっとずらし、トウコに断りも入れないまま、その髪ゴムをそっとほどく。中心に入っているはずのゴムは切れ、大半がただの紐のようになっている。ほどけた髪に指を差し込み下に下ろすと、数回指が立ち止まった後、数本の髪を伴って滑り落ちた。

 肩ほどに並んだ髪の毛先はバラバラで、むすんでいてわからなかったが素人が切ったようにずさんだった。恐らく母親か、彼女が自分で切ったのだろう。髪を書き分けると、存外細く頼りない首が見える。首の骨が若干浮いていて、カラカラと手招いたあの骨格標本が想起された。

「アイカ。……おねがい」

「分か、てる」

 急かすトウコに返した言葉は、思いのほかぶっきらぼうに震えていて格好悪かった。微かに笑うトウコの気配を感じながら、あらためて息を呑んだ。両手の親指と人差し指で大きな輪を作るようにして、彼女の首に指を這わす。手のひらに伝う彼女の体温が彼女の生を感じさせ、殊更に指先に震えを走らせた。手のひらにふやふやと震えるハムスターを乗せた時のような、言い知れない恐怖。ここで私が手を握りしめたら、勢いよく下に投げたら。そんな容易なことで命を奪ってしまえるという感覚を、私は今、踏み越えようとしている。

 トウコに教えて貰ったとおり、喉よりも首の横、頸動脈を圧迫するように力を強く込めていく。骨と筋肉が皮膚越しに手に触れて、トウコがもがく度に皮膚の下で隆起する。ごうごうと流れる血液が親指の付け根でとくとくと鳴っているのに気付いて、怖じ気づいて力を弱めてしまった。

「っ……アイ、カ……もうちょ、く、て……」

「んんごめ、ん、こう……?」

 トウコの聞いたこともない様なかすれ声に、背中の芯に氷水を注がれたように全身が冷えて、涙が溢れそうになる。苦しめないよう早くしなければ、と遮二無二に力を込めると指先に力が入ってしまったようで、喉を抉られたトウコが苦しそうに数回咳き込んだ。反射的に手を離し、トウコの背中をトントンと叩く。

「ごめ、トウコ、苦しいよね、ごめん、」

「ん、や……大丈夫。えっと……アイカ、膝の上、座って。こっちの方が、多分良い」

 うん、と口を開いたのに、かすれた息は音にならなかった。ただ微かに震える足を動かして言われるままにトウコの膝に跨がった。ぱちりと、トウコと目が合う。

「……ん。あと、多分布の方が力込めやすい、かも。何か……それ。タイツとか、二つ折りにして、ぐって」

 いわれるままにタイツを脱いで、三回ほど折り重ねて両端を持つ。伸縮性はあるものの、折りたたんだそれはそれなりに厚く、人の命を絡め取るのに十分らしい強靱さを持っているように見えた。

 さらけ出された素肌に、冷たい空気がまとわりつく。指先の絡むタイツの先には私の体温と、はしたない湿気が残っている。

「ほんとにタイツでいいの……?その、匂いとか」

 自身の身体に先ほどまでぴったりと触れていたそれを、他人の身体にあてがうのにはやはり少し抵抗が残る。それが例えトウコだとしても、自身の恥ずかしいところなどひけらかしたくはない。

「何言ってんの~、もう、死んじゃうんだから関係無いのにぃ?」

 そんな風に笑い飛ばしながら、トウコは目を開けない。口元は必死に笑って魅せながら、眉間に浮かべた皺も汗も、そのまんまだ。

「いいの、アイカなら。…………だから、お願い。」

「…………」

 トウコは目を閉じて、胸の前で両手の指を絡めて待っている。許しを請うようなその姿に私は胸が苦しくなって、唇を固く結び、黒い縄を彼女の首にそっと巻いた。

「分かった」


 トウコの喉を押しつぶしてしまわないよう気をつけながら、両腕を目一杯に開く。彼女の顔は段々と赤くなり、閉じていた目が薄く開かれていく。

 彼女はきっと苦しいのに、神を見るように恍惚として、綺麗だと、思ってしまった。薄く開かれた唇は何かを告げようと小さくもがくけれど、その音が叶う事は無い。

 先ほどとは比べものにならない早さと確実さで、トウコは遠ざかっていく。行かないでと叫びそうになる声を押し殺し、ただひたすらに腕を広げ、さようならの代わりにトウコにそっとキスをした。彼女の唇はもう既に体温を失いかけていて、その事実がどうしようもなく悲しくて、私はぼろぼろと泣いてしまった。

「トウコ。……トウコ、だいすき」

 腕に力を込め続けるのもいよいよ限界に達してしまって力を抜いても、トウコは嘔吐きも咳き込みも、泣きも叫びもしなかった。つよく絡められていた筈の両手の指は緩くほどかれ、薄く開かれた目はどうしようもなく空虚に見えた。


 一人になった藍色の教室に、途切れ途切れの嗚咽が落ちる。

「ずっと、だいすき」

 明け方の教室に照らされた亡骸は、彼女にそっと、影を落とした。

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藍橙哀歌 小林 凌 @nu__nu

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