第5話 エピローグもしくは真実

 名人は旅に出ていた。大きな庭にたくさんの壺が並ぶ民家を、彼は一人で任されていた。

 すでに二度も泥棒に入られて、貴重な骨董品の数は前よりも減っている。だが、彼は気にしなかった。

「帰ってくるまで、好きにしてよい」と名人は言った。

「好きにしてもいいのなら、つまりここにある洋塗りの壺を割って壊してもいいんですか」

 咳払いと共にかるい吐血をした。名人はもう長くはないのだろう。

「構わんよ。はっきりいって、ここにあるものは全部ゴミであるからな。上手くできたものは、全部売り払ってしまった」

 壺の対価として得たお金も殆ど使っていなかったみたいで、名人はその資金をもって各地を放浪するつもりらしかった。

 この家も売り払えばいいのに、と彼は素直に思った。自分は名人の弟子でも親族でもないのだ。盗難に失敗した貧乏な若者にすぎない。

 もしかして、家を売ってる暇すらないのだろうか? 彼は濃い茶色の畳の地面からずいぶんと離れてる天井を眺めながら、ぼんやりとそういう結論に達した。

 街に出た。どうもあそこでじっとしているのは健康に悪い。彼は今までそんな風に思ったことは殆どなく、病気になって咳が止まらなくなったときすら、健康に悪いなんて考えが浮かび上がってきはしなかった。

 考えるから行動につながる。盗みを決心した際の彼は、生涯のなかでもっとも理知的だった。仲間や団体と結託せずに、もし捕まっても生活水準の上がる見込みのない彼にとって、数年間の禁固刑は、精神の安定をもたらしてくれるものでしかなかった。

 これ以上、自分に期待しなくて済む。街にはみっともない生き物たちが歩いている。そこで彼はある肖像画に出会う。美しい北欧スラブ系の女性画だった。特徴としては鼻の位置が低い。街中で売られてる肖像画らしく、毛はすべてはがされており、その分だけ表情が豊かだった。

 彼は通りすぎる。無人の店で作品を買っても利益にはならない、それくらい無教養の彼であっても理解ができた。

 デパートで食料品を買い、公園でスマホを見る。息切れしている老人が隣に座ってきたので、その場を離れてから相手の写真を撮った。彼は忘れたい相手を写真に撮る癖があった。

 だんだん暗くなっていく。夕食を作る気もなかったので、駅前にある変わった店に入った。メニューはおにぎりやサンドイッチなどの軽食しかなく、持ち運んだものを店内で食べてもいいと定められた店だった。

 彼はこういう潔さに好感を覚え、販売機からおにぎりを何個か取り出した。あらゆるプロには名前が付いていた。ここには無名のアマチュアしかいない。落ちぶれたプロの料理人が、メニュー表をすべてカタガナで表記したりする、引きこもり感がない。ヤキニクテイショク、とかいったい誰が買うのだろうか。

「稲田さんもプロテスタントでしょう。あの女狐と一緒になってからおかしくなっちゃたからな」

「いや、それは違いますよ」

「なんだ、あの男は元々、気が違っていたとでも?」

 否定した方は愛想笑いをする。彼はカウンター席にいる二人の男たちの真後ろに座った。

「笑ってばかりいないで、違う、というのならちゃんと話してください。あの下品な女があんなに実直な男をたぶらかした以外に、いったいどんな理由があるというのですか!」

「稲田さんは、もう亡くなっているからね」

「お前、久しぶりに姿を見せたと思ったらシンポジウムに染まりやがって。あれはインチキじゃないか。どうしちゃたんだよ」

「私も稲田さんと同じなんです」

 男同士で握手をしている。仕事上の約束のしぐさというよりも、片方が手触りを確かめるように必死だった。

 彼は醤油味のせんべいを口に入れながら、その様子を眺めていた。声や姿形が、彼の知る名人と似ている気がしたのだ。

「ちょっとそこの君、これがAIロボットに見えるかね」

 想定外に話しかけられた。彼は慌ててせんべいを割る始末だった。

「AIロボットって何ですか?」

「いや、僕にもわからないよ。日本の科学技術はこんなにも進歩していないよな。こんな人間そっくりのものが存在しているわけがない。もし、できたとしても、それは僕が死んだあとの話しのはずだ」

 混乱しているみたいだ。

「マルクスだってこんな未来を予測できなかったのに」

 無礼を受けたら決闘を申し込むのは、何も貴族だけに限ったことではない。名人は自分をAIだと言い張った。彼は老人と戦うわけにもいかないので、おとなしく家に帰った。

 玄関には見慣れぬ包みが置いてあった。中身は裸体のスラブ人女性の絵画だった。今日見かけた絵と同じものであると思うが、細部まで確かめたわけではなかったので、彼は判断ができなかった。

 またあの街に繰り出す必要がある。迷惑をかけると心中で察しながら。


(了)

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AIの肖像 @franc33

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